第22話
朝、昨日貰った短刀を鞘から引き抜いてみると、鋭く光る刃が出てきた。
ちょんと触るだけで皮が切れそうで、よく手入れされていることがわかる。
一方で鞘のほうは少し滑らかになる程すり減っていたりと、材質や高そうな雰囲気の割には派手ではなく、結構使い込まれている気もした。
その後、身支度を終えて食堂に行くと、すでに義勇軍の面々が集まっていた。
またも粥と豆のスープが並べられ、皆、黙々と食べている。
トビアスさんが近づいてきて、小声で言った。
「おお、アルフレッドくん。今日からいよいよか」
「…うん」
「…大丈夫かい?なんだか昨日と様子が違うが」
「…あ、ええ、いや、ちょっと寝不足、かも?」
僕は短く答えた。
アーシャはまだ来ていなかった。
また一人で部屋にいるんだろうか。
ベルトに刺した短刀の位置を少しずらして椅子に座り、僕はスープをすすった。
少し塩気が強い、旅のための味付けだろう。
やがて、ウィレムさんが姿を現した。今日はやけに機嫌が良さそうだ。
「おお、勇士諸君! いよいよ本日の出陣である!」
また長い演説が始まるのかと思ったが、今日は意外にも簡潔だった。
「これより諸君は、南の駐屯地へ向けて物資を輸送する。ルートは既に伝えてある通りだ。行軍の訓練ではあるが、ちょっとした遠足とでも思って、気楽に励め!」
気楽に、か。
昨日の言葉を思い出す。
「悪意」「覚悟」「生き残れ」
気楽になど、できるわけがない。
それでも、僕は前に進むしかない。自分で選んだ道だ。
とはいえ、総督府の門をくぐる瞬間は、思わず立ち止まりそうになった。
目の前にあるのは、来た時も見た田園風景…のはずだった。
しかし、なぜだろう。前と何も変わらないはずの景色が、今は違って見える。
門の向こうは、「戦場」へと続いている。
その感覚が、そう思わせるんだろうか。
「どうした、アルフレッドくん。足がすくんだか?」
後ろから声をかけられ、我に返る。振り返ると、トビアスさんが少し笑いながら立っていた。
「あ、いや、ちょっと考え事を……」
「ははっ、やっぱりか。ま、初めてってのは誰でもそういうもんだよ。私も、初めて村の外に出た時は三日間ろくに眠れなかったし、買い出しにも失敗しかけたものだ」
彼はそう言って、自分の荷物を背負い直した。
彼の言葉には、からかいがありながらも温かさがあった。
彼との関係は昨日と今日ぐらいのものだけれども、あの「鍛錬」で何かしらの仲間意識でもできてたんだろうか。
被害者仲間とも言うのかもしれない。
総督府というか、アーシャからのだけど。
義勇軍の面々が、続々と門をくぐっていく。
それは、数日前までただの農民だった者たちだ。
槍の持ち方すら知らなかった者たちが、今は武装し、隊列を組んで歩いている。
そして、その後方に、彼女がいた。
アーシャは相変わらずフードを深くかぶり、集団の最後尾を静かに歩いている。
腰に差した短刀の重みを確かめる。
ひやりとした銀の感触が、指先に伝わった。
「出陣、か」
隣でトビアスさんがぽつりと呟いた。
その声には、感慨と不安が混ざっていた。
「トビアスさんも、こういうの初めて?」
「ああ、うん。まあ、そりゃそうだよ。つい先週まで、畑の世話で忙しかったのにな。今じゃ見てくれは立派な兵隊さんだ。人生ってのはわからんもんだ」
彼は笑ったが、目の奥は笑っていなかった。
誰だって不安なのだ。僕だけじゃない。
総督府の城壁が、徐々に遠ざかっていく。
街道を南に下ること小一時間。
周囲の景色は、開けた田園から次第に変化し始めた。
畑は減り、代わりに背の低い雑木林が増えてくる。
先頭を歩く僕の隣には、ウィレムさんから「道案内」として付けられた傭兵の人がいた。
彼は終始無口で、必要最小限のことしか話さない。
「次の分岐路を左だ。その後、森に入る」
「森?」
思わず聞き返していた。
確かに地図では、森の中を通るルートになっていたし、事前にもそう聞いている。
しかし、このルートはアーシャが言うところの「非合理」であり「悪意」がある物とまで言う。
それを、この傭兵さんがどう思うのかが気になったのだ。
「ああ。街道を外れて、少しばかり遠回りになるが、様々な環境を経験させるのが目的だ」
様々な環境。
あの「軍議」でも聞いた言葉。
昨晩の言葉が蘇る。
「この迂回路は近道ではなく、平易な道でもなく、安全を確保できる道ですらない」
この人は、本当に何も知らないのだろうか。
それとも、知っていて黙っているのか。
彼の横顔を盗み見るけど、表情からは何も読み取れない。
「…わかりました」
僕は前を向いて歩き続けた。
昼過ぎ、一行は森の入り口に到着した。
木々が生い茂り、昼間だというのに薄暗い。
道は細く、隊列を組んで歩くには少し窮屈だった。
「ここで一度休憩とする!」
暫く歩くと傭兵さんが声を張り上げて、義勇軍の面々はほっとしたようにその場に座り込んだ。
一応、元から体力仕事の面々だけあってか、そこまでの疲労は見えないが、やはり行軍なんていう慣れない事は堪えるらしい。
僕は少し離れた木の根元に腰掛け、水筒の水を一口含んだ。
そして、無意識のうちに後方を探す。
いた。
アーシャは少し離れた場所に立ち、森の奥を見つめている。
彼女は休憩も取らず、ただじっと警戒しているようだ。
…無理はしないで欲しいとは思うけど、僕が思うだけ無駄かもしれない。
その視線の先には、何があるのだろう。
つい立ち上がり、彼女の方へ歩き出そうとした。
でも、すぐに思い直した。
「隊長」として、今はみんなと共にいるべきだ。
それに、アーシャはきっと、必要な時には自分から来る。
再び腰を下ろし、背中の荷物に寄りかかる。
木々の隙間から差し込む木漏れ日が、地面にまだらな模様を描いていた。鳥の声もせず、不気味なほどの静けさだ。
「アルフレッドくん」
声がして顔を上げると、トビアスさんが二つのパンを持って立っていた。
「一つあげるよ。まだ先は長いぞ」
その言葉に甘えてパンを受け取り、それを頬張りながら、僕は彼に尋ねた。
「…トビアスさんは、この先に何があると思う?」
「何って……目的地の駐屯地だろ?」
彼はきょとんとした顔で答えた。
「そうじゃなくて、その途中に。例えば、森の中とか、谷とか」
「さあな。賊が出るって話は聞いているし、そもそもそれが理由だけども、なんだかんだで私たちは結構な大所帯だ。襲われる心配なんてないだろう。それに、前後にちゃんと護衛もついてるし」
「…でも、もし襲われたら?」
「そん時は戦う…のかな。怖いのは否定できないけど」
トビアスは笑ったが、その笑顔はどこか強がっているように見えた。
「というか君が不安にならんでくれよ隊長さん」
「えっ?」
「私はね。一昨日の試験の時、あの傭兵隊長に真っ向から挑んだ度胸、それを買っているんだよ?そうでもなきゃ自分の子供みたいな年齢の子についていくわけないさ」
トビアスさんの言葉に、他の数人の男たちもうなずいた。
彼らは、僕を信じている。
隊長として、頼りにしている。
その重みが、ずしりとのしかかる。
「……うん。わかった」
僕はそれだけ答えるのが精一杯だった。
その後、休憩を終え、再び隊は動き出した。
やがて、森の出口が見えてきた。
その先には、開けた谷間が広がっている。
地図で見た通りの場所だ。
「ここからは谷間を通る。見通しは悪いが、それも訓練の内だ」
先導の傭兵さんが無感情に告げる。
また、「訓練」。
僕は深呼吸を一つし、谷間へと足を踏み入れた。
冷たい風が、頬を撫でた。




