第10話 分岐点前
訓練が終わるとアーシャはみんなに飲み物を配った。
いつの間にか用意していた甕から柄杓でカップによそってくれたそれは、幾つかのハーブの煮汁と蜂蜜を混ぜた水で、喉に効くやつだと言う。
確かに、じんわりとした甘さと香りが喉に染み入る感じがして、ガラガラに枯れていた声はそれで若干マシになった。
すごいありがたい事ではあるけど、この惨状をもたらしたのが誰かかと思えば、なんというか、飴と鞭がひどい。
その後、ある程度回復したみんなを集めて、明日から早速義勇軍としての任務が行われる事を伝えた。昨日来て明日いきなり出発と言われる事に驚く人はそれなりにいたけど、今日の訓練はとりあえず続かない事にホッとしてる人の方が多い。
ちなみに、トビアスさんみたいにその任務での「同行者」について勘づいた人はちょっと遠い目をしていた。
しかし、この時一つ問題が起こった。
輸送ルートの説明をしていた時の事だ。
僕は軍議でウィレムさんから聞いた通りのルートを聞いた通りの理由でみんなに伝えた。
すると、「理由はなんとなく分からんでもないけど、それでもやはり自分たちは素人なんだから、素直に街道を行くだけのルートの方が良かったのでは」という質問が出た。
それは純粋な疑問がポロッとこぼれ落ちただけみたいで、質問というよりむしろ感想と言うべきものだったかもしれない。
でも、僕はこれに上手く答える事ができなかった。
暫くして訓練は解散になった。
そして、日が暮れ、再度粥と豆の夕飯を貰い、与えられている部屋に戻る。
その間、ずっとあの問いかけが頭の中で跳ね返っていた。
本当に僕はあの時、ウィレムさんの言う事を素直にそのまま信じ込んでよかったんだろうか。
しかし、結局自分らは単なる素人だ。そしてハリーさんはプロフェッショナルであり、ウィレムさんの知識も僕より勝るのは確かだろう。
僕程度が思いつく疑問など既に検討されているのが当然だ。
ならば、向こうの判断の方が妥当であると考える方が自然だろう。
それでなお、このルートに決まったのだからそれでいいじゃないか。
でも、自分を納得させようとすればするほど、心の中のモヤモヤが増える気がした。
明日はいよいよ僕の「初陣」となる日である。
実際に戦いがあるのかはわからないし、率いる人たちも僕と同じくただの村人だ。みてくれは多少彩られるっぽいけど。
それでも、隊は隊で、軍は軍だ。義勇軍を率いて城門をくぐり、出陣するなんてまさしく「英雄譚」の始まりとして相応しい展開じゃないか。
それは僕が待ち望んでいた瞬間であり、これを期待してここに来たはずなのに。
一体、何を悩むというんだろうか。
その時、部屋の扉がノックされ「入るぞ」というアーシャの声が聞こえた。
そして彼女は僕の部屋に入って来たってまだこっちなんも言ってないんですけど強制ですかそうですか。
遠慮がないなあこの人は。
「アルフレッド、私は君の意思の確認に来た」
彼女は僕の前まで来て椅子に座り、僕と目線を合わせると開口一番そう言った。
…僕の、意思?
「しかし、その前に言っておくべき事がある。今、この段階に至っては「輸送ルートにおいて迂回路を選択するのは妥当か」という問いはもはや何の意味も持たない」
「…バレた?」
まさにそれで悩んでいるのに。
「わからいでか。君と出会ってからどれだけ経つと思う」
「三年」
その間の濃さはともかく、出会ったの自体は去年だよアーシャ。
「…それは、そうだが。ともかく」
あ、ごまかした!
「ともかく、君は、この「迂回」の不合理さを感じている。当然だ、この「迂回路」は近道ではなく、平易な道でもなく、安全を確保できる道ですらない。そして、そのいずれもが街道を通れば事足りるという有様だ。だが、君はこの迂回を承諾した」
「そ、それは…、様々な環境を経験させる為だからと…」
「君自身も納得していないお仕着せの理由を口にする必要はない」
僕の言い訳は途中で遮られ、バッサリと切り捨てられた。
「う、で、でも、その後アーシャには相談しようとは…、色々あったから忘れちゃってたけど…」
「アルフレッド、もう一度言う。「もはやその問いに意味はない」」
彼女が僕の目を見る。
「事が決まった後で私に相談してどうなると言うんだ。私が肯定すれば、確かに君は安心しただろう。だが否定した時は、君はウィレム・セバスティアンの元に向かい、計画の変更でも願い出るつもりだったのか?」
「うっ…」
確かに、何も、考えていなかった、かも。
「「義勇軍の輸送隊は迂回路を進む」。立案者が差し出したこの提案が、実行者に受け入れられた時点で、これはほぼ確定された事項となった。これを覆すのは容易でない。故に、私は「今更」だと言っている」
「…」
もはや何も言い返す術がなかった。
「そして一番重要なのは、君自身が認証側にいる事にある。そこにどのような過程があったとしても、君はこの決定における責任を持つ側の人間なんだよアルフレッド」
責任。
「決定は結果を導く。たとえ、それが死を含むものであったとしても」
死。
試験前にも聞いた不穏な語句が繰り返される。しかし、それらが単なる脅しでない事は僕にも理解できる。できてしまうが為に、僕の口からは言葉が出てこない。
「…アルフレッド。私は君を痛めつけたい訳でも、糾弾したい訳でもない。だが、決断する者はその全ての結末の責任を負わねばならない。手遅れになる前に君がそれを知らねばならない以上、この言い方をするしかないと私は考える。許せ」
「う、うん…」
内容はともかく、その声には若干の労りの色があった。ほんの僅かだけども。
でもそうだ、「今更」後悔をしてもしょうがない。ただ落ち込む暇があるならば、彼女の話を聞いて今後を考えるべきなのだろう。
「さて、君を悩ませる原因の一つがこの「責任」だ。君の決定が「義勇軍」の運命を決定した。この事実に君は薄々勘づいている。そこに君の後悔の種がある」
「な…成程」
「では、論を次に進める。君の後悔の種を育て上げた疑念は何か。それはこの輸送計画の「違和感」だ。先も述べたようにこの計画に「合理性」は欠片も存在しない」
僕の内心を知ってか知らずか、いや読まれてそうだな。ともあれ、アーシャは話を続ける。
「無論、総督府の人間が皆全て無能であるが為に、このような無意味な計画を立てたという可能性はあるだろう」
…ここまで他人を悪く言う彼女は初めて見たかもしれない。あの夜の時もそうだったけど、もしかして、彼女とこの総督府の人たちとの間には何かしら因縁でもあるんだろうか。
「しかし、これを単なる愚策であると断じないのであれば、この奇妙な計画には何かしらの意図があると考えるべきだ。悪意とでも言うべき作為が」
「あ、悪意?」
唐突に出てきたその語句に思わず僕の声が上ずる。あくまで、僕はこれが「正しいか否か」でしか考えていなかった。つまり、これがミスではなく、「正しく、間違っている」事など考えもしていなかったのだ。
「そうだ、悪意だ。この「輸送計画」が出てきた事で私の中で確信に至った結論が一つある。そしてこれは、「今更」ではあるが君の疑問への回答ともなるだろう」
またも、僕の反応を意にする事なく彼女は言葉を続ける。
そして僕としても、色々言われてもやはり、この「計画」に対するアーシャの考えは気になるものだった。
思わず唾を飲み込み、言葉の続きを待つ。
彼女が再度口を開く。
「アルフレッド。…この義勇軍は危険だ」
今度は思ったより驚きを感じなかった。むしろ、妙に落ち着いている僕自身に対して一番驚いたかもしれない。
正直、ここまで来ると彼女が今ここに来ている意味はなんとなくわかってきている。
警告に来ているんだ。彼女は。
「…それは人質に取られるとかそういうのよりも?」
ここに来る直前、村でアーシャが説明してくれた「穏当ではない」方の予測を口に出し、一旦確認をしてみる。
「それ以上だ。この義勇軍は、ほぼ確実に実戦を経験する事となるだろう。それも、極めて不利な状態で」
実戦。
「「賊」と呼ばれるような小規模の非正規な武装勢力を相手するにあたって、一番肝要となるのは如何にしてその相手を捕捉するのかにある」
待ち望んでいた筈の2文字。
「賊がなぜ犠牲者を探し、これを襲うのかと言えば、それは他者を打ち倒し、物を奪う為だ。ならばこれを討伐するべく、撃破できるだけの兵を集めた所で相手が出てきてくれる筈がない」
華々しく武勲を挙げ、英雄が凱旋する為の「前提」。
「無論、常に厳密に警戒し続ける、快速の即応部隊を複数用意して即座に対処するという手段もある。しかし、それ以上に効率的で省力的な術がある。襲わせる為の、襲いやすい生贄を用意する事だ」
しかし、いざそれが、本当に、現実に、眼前に迫るとなると、その言葉が重くのしかかる気がした。
「義勇軍は囮だ。警邏の巡回する街道を外れ、見通しの悪い森を通り、警戒のし難い谷を抜けるこの練度の低い「輸送隊」は、賊徒の襲撃を呼び寄せる餌として消費される」
「アルフレッド。以上を踏まえ、君に一つ問う」
「君は、このまま明日を迎える覚悟はあるか?」




