第1話 『評伝 ユストゥス・アルカン』
建築物としてのレギ・ペトラ総督府は、フレスウィア州のローン川の東岸(この川は基本的に大陸を西から東に向かって流れるが、その河口の手前で一時的に北上する部分がある)に築かれた城である。
かつてこの地はさほど重要な場所ではなかったが、帝都からローン川へ続く運河が掘削され、帝国江南の開発が始められるようになると、川の河口に近しいこの地は水上交通の要衝となり船を監視する為の砦が築かれた。
これが総督府の始まりであると伝えられている。
その総督府の現在の主人が、ユストゥス・アルカンという男である。
2mを超える巨躯よりも長い金棒を、100の倍はあろうかという巨体に見合った膂力で振り回し、その武勇から帝国の北平将軍に任じられ、帝国北壁における司令官として対異民族の最前線に立つ男であった。
しかし、彼は歴史において二人の敵将に敗れたことで、その名を刻まれている。
帝国と王国の戦役ではウーグマイに敗れ、「彼がが始めて破った帝国の将」として語り継がれる事となってしまった。
戦争が始まったまさにその時、彼は眼下に広がり、そして想像を絶する規模で草原から駆け出でてくる異民族の若き王の軍勢に対し、その対処において彼は見た目相応の機敏さを発揮してしまう。
かくして北壁の師団は、自らが守るべき壁の上で分断され各個に撃破されてしまい、ユストゥスは兵を見捨てて命からがら脱出したのであった。
しかし禍福は糾える縄の如し。
彼は最初に負けたからこそ、その後の悲劇を免れる事ができた。
当時、ウーグマイ王はごく短期間で帝国を併呑する事を目論んでいた。
その為、彼は北壁の攻略後に一旦進撃を止め、自身らへの対応の為に遅遅とした歩みで出撃した皇帝ソキウス1世含む帝国軍が集結するまで待機した。
そして、一塊となった禁軍はウーグマイに一蹴され、帝都の陥落により皇帝及び高級将校の悉くがイェンリヒに囚われたのだが、その間にユストゥスはローン川を超え、江南に逃げ延びることに成功したのである。
やがて彼はテオドリックの軍に合流し、正式に皇帝の任命を受けた軍上層部の生き残りとして「帝国四将」の一人となる。
さて、「帝国四将」のうち、最も声望を集めたのは基本的にフィネガン皇子であったが、他の三将はどうであったか。
テオドリック(当時はコンストラクラ1世)は、その強引で独善的な手法に反感を抱かれる事はあっても、王者の風格を備え帝国の未来を見据えており支持する者も居た。
クエンティンは、大義大望を理解できぬ近視的な小人であったが、官吏としては有能であった為、帝国の保全において功ありと評価する者も居た。
一方でユストゥス・アルカンである。
確かに彼は優れた武勇を披露し北平将軍に任じられ、ウーグマイに敗北するまでは北壁を守り通してきた。
しかし、兵士や現場指揮官としては優秀な男ではあったのだが、司令官として後方で兵や物資を差配する立場となると、たちまち目の前の書類で踊る金銭の額に目を曇らせてしまった。
テオドリックやクエンティンも決して清廉な人物ではないのだが、それらに輪をかけてユストゥスの欲深さは救いようがなかった。
官費の着服、物資の横領はもちろんの事、国家の大事と称して物資を強要し、軍を率いては略奪同然に徴発した。
そんな彼が民衆から好まれるはずもなく、そもそも敗残の将である彼の人気は著しく低かった。
しかし、テオドリックはこの腐敗を認識してはいたが、彼曰く「己も利用できてむしろ好都合である」と「この程度の小遣い稼ぎ」であれば許容範囲だと放置した。
クエンティンは、もし彼が罷免されてしまえば帝国軍から将軍が不在になってしまうと考えた。将の任命を執り行う軍機処は今や帝都ごと敵の内にあり、皇帝の詔勅も出せない以上新たな将を任じる事はできないと固執していたのである。
彼は「私にはよくわからないが、将軍が必要だと言うのであればそれは必要なのである」とこの不道徳から耳を塞ぎ目を瞑った。
フィネガンは、この間一歩でも多く北へ進み征伐を敢行せんと戦場でイェンリヒ兵と切り結んでいた。
このように彼の不正は他の有力者のお目溢しを受けるギリギリの範疇に留まっており、表沙汰にされることがなかったのである。
後に「均衡派」となるユストゥス・アルカンのバランス感覚はこの時から培われていたのかもしれない。
しかし、政治のバランスが達者になるにつれ、生活と身体のバランスは急速に崩れていった。
元より、その膨れた腹を満たす彼の食事は膨大だったのだが、前線に赴く量が減り、自己の鍛錬も怠るようになってからもその量は減ることが無く、むしろ連日の宴席により増える有様であった。
いつしか、その体の重さは200を超え、かつては馬を選抜すれば台を用いて乗る事も可能だったのだが、今や輿か馬車でないと移動する事もできなくなってしまったのである。
戦後、彼はレギ・ペトラの総督職を拝命し、ここに赴任した。
そして「均衡派」と評されるに値する蝙蝠外交を帝都と南都との間で行うようになる。
しかし、フィネガンがこの世を去り、テオドリックとクエンティンの直接の目から離れた土地に移り一つの独立した勢力となる事で、彼の欲望は、自身の腫れ上がる腹と比例するように、さらにはみ出すようになっていくのである。
彼は帝国として元来より集めていた税の他に、総督として必要に応じて臨時に設定できる税を恒常化し、レクサントンの新法派がそれまでの旧法で個別で徴収されていた税を効率化のために統一させた税を「新税」としてこれも別に納めさせた。
また、ローン川を下る船には旧法の通行料に加えて新法の税を、上る船にはその逆を要求した。
そして当然のように、本来の税額との差分は全て自身の懐へ流し込んだのである。
これには流石のテオドリックとクエンティンも眉をひそませたが、かと言って対処する術もなかった。
クエンティンが宰相の権限でユストゥスを罷免すれば、ユストゥスは完全にテオドリックに付くと思われた。
テオドリックには、独立した総督をどうこうできる権限はない。皇弟として非難する事で彼の名声を傷つける事はできるだろうが、レクサントンの外において形はどうあれ新法を用いてくれるユストゥスを潰すメリットも存在しなかった。
テオドリックとクエンティンが組めばこの不埒者を誅する事は容易かったが、それができるならこの帝国の状況は発生していない。
かくして、総督ユストゥスはまたも上から見逃される事に成功した。
そう、上からは。




