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身代わり聖女ですが、私の正体に気付いた護衛騎士がいきなり求婚してきた

作者: 平瀬ほづみ

「推しのライブに行きたいので、カイエちゃん、その間お留守番お願いできるかしら」

「……は?」


 久しぶりに姉からの連絡が来たと思ったらコレ。

 カイエは水晶玉に映るニコニコ顔の姉を見つめ固まった。

 透き通るように白い肌に銀色の髪の毛、銀色の瞳。

 今日も姉の変装姿は完璧だ。

 三百年も変装し続けているので、堂に入っているというか、カイエなどは元の姿がどんなだったか思い出せない。


「おし? らいぶ?」


 一方のカイエはまっすぐな黒髪、とんがった耳、赤い瞳、しかも瞳孔は縦長。水晶玉に映る姉、水晶玉に反射している自分。神々しい姉、まがまがしい自分。

 もともと姉だって自分と似たような姿をしていた。

 だって魔女だから。


「そう。ど――――しても行きたいのよう~~~~! でも誰かがここで結界を維持しなきゃいけないじゃない?」

「それはそうだけど」


 カイエの姉セレスは、バルディア王国の王都を守る結界を維持管理する「聖女」だ。

 もうかれこれ三百年ほど、そこで聖女をやっている。


 その理由が、バルディアの当時の王様と恋に落ちて結婚し、「私がこわーい魔物から子孫を守るね!」と、結界を張ることを約束したのだ。その際、魔女に結界を維持管理してもらうのはどうかなー、ということで「聖女ってことにしとけばいいんじゃないかな!」……という顛末で、セレスは魔女から聖女になった。


 だから表向き、バルディアの王様は聖女と結婚し、その聖女が今も魔物から王都を守っている、ということになっている。

 このことは、今は亡きセレスの夫を除けば、カイエの一家(両親と、兄、カイエ)しか知らない。


「結界が維持できそうな人材って、カイエちゃん以外だとお母様になるんだけど、お母さまには頼めないじゃない?」


 水晶玉の向こうでうーん、とセレスが唸る。


「魔王だからね……」


 カイエはこめかみを押さえた。

 そうなのである。

 この世界にはこわーい魔物が跋扈している。それを退治できるのは聖騎士と呼ばれる、特別な力を持つ存在のみ。

 セレスのように結界を張って魔物の侵入を防いでくれる存在は、まさに女神! なのだが、そのセレスが実は魔王の娘というオチ。


 バルディアの王都は魔王の娘を魔除けとして使っているのだ。


 もちろんバルディアにも聖騎士はうろうろしている。

 セレスは国民も聖騎士もぜーんぶ騙して、聖女としてバルディアに暮らしているのだ。

 何が楽しくて……と思うが、セレスは「パパ(=セレスの夫)と約束したんだもん」といたって大真面目。

 なんだそりゃ、と魔王一家は呆れたが、本人がやりたいというのだから放っておけ、と家族会議で決定したらしい。カイエが生まれる前のことなので詳細はよくわからない。


「聖女の身代わりを引き受けてもいいんだけど、それじゃ私にメリットなくない?」

「お小遣いあげるからぁ」

「金額による」

「これなんかどう?」


 じゃん、という効果音付きで出されたのは、半透明で七色に光り輝くお皿……ではなく、竜のうろこだった。


「それは姉さんの持ち物でしょ」

「私、持ってなくてもいい気がするんだよね」

「もしそれがないことでボロが出たら、バルディアにいられなくなるわよ」


 カイエが睨むと、それはいやだなぁ、とセレスが残念そうに呟いてうろこをひっこめた。


「じゃあライブで推しグッズいっぱい買ってくるね。それでいい? あっ、神官長が呼んでるわ。詳しいことは手紙で送るからあとはよろしくねっ」

「あ、ちょっと」


 ブツッと切れた通信に慌てて声を荒げてみても、聞こえるはずもなく。

 カイエは沈黙した水晶玉の前で頭を抱えたのだった。


 ***


 この世界は創世の力を持つ竜が作ったとされる。世界は創世に満ち溢れ、人々は創世の力を使って暮らしていた。けれど千年前と少し前にその竜が飛び去ったことで、この世界から創世の力が激減した。

 残ったわずかな創世の力の影響を受けて、魔物が生まれた。人の心の闇から生まれる、厄介な存在だ。恨みつらみ妬み嫉みのエネルギーが実体化して人々を襲い、闇に引きずり込んで闇の力が増す。


 魔物たちはこの世界に残っている創世の力を上手に取り込んで使いこなす。

 けれど普通の人間にはそれができない。しかし中には、この世界に残っている創世の力をうまく使いこなせる人間もいた。そんな人間たちで作られたのが「聖騎士」と呼ばれる、魔物を狩る集団だ。

 そしていつからか、創世の力は魔力と呼ばれるようになった。


 魔物とは基本的に人の心の闇から生まれるものだが、「魔王」は違う。

 魔王は竜が生きていたころからこの世界にあり、人の心の闇から生まれる魔物とは一線を画す存在だった。しかし人間の魂を糧とすることから、人間からしてみれば魔王も魔物も大差ない。

 せめてもの救いは、魔王はむやみやたらに人を襲わないことだ。

 その魔王は現在、魔王城に暮らしている。人が近づけない、魔物だらけの大陸の最深部にある。


 その魔王には三人の子どもがいる。


 長男は人の住む大陸の南の国でなぜか英雄に祭り上げられ、長女は北の王国で聖女をやっている。

 そして末っ子のカイエは、十数年前までは東の国の最果てに居を構え、「東の魔女」というあだ名で呼ばれていた。今はその場にいないし、目立った活動もしていない。

 最近は「東の魔女は死んだらしいよ」という噂も聞こえるようになってきた。

 あながち間違っていないとは思う。


 ***


 ――無視してもいいけど、バルディアの結界がなくなるのは問題だもんね。


 手紙を受け取ったあと、カイエはため息をつきながらバルディアの王都にやってきた。

 手紙によると留守番は十日程度でいいらしい。

 十日ならまあ、何とかなりそうな気がする。


 バルディアの王都は魔除けの結界がバッチリ張ってあるが、セレスからあらかじめ受け取っていた鍵を使って、神殿の中にあるセレスの部屋に転移する。内側から手引きがあれば、結界なんて意味がないのである。


「あーん久しぶりぃ」


 転移先はセレスの自室。

 ニッコニコ顔のセレスが待ち受けていた。


「これ私に似せる薬ね。見た目も私そっくりになるの。一日一回一錠、飲み忘れないでね。衣食住は世話係の女官にお任せすればいいし、何かあったら女官を呼んで言いつけたらオッケーよ」

「至れり尽くせりね。で、聖女の仕事は? 私は何をすればいいの?」


 セレスから白い錠剤が詰まった、透明なガラス瓶を受け取りながらたずねる。


「ここでこれ持って、私が帰ってくるのを待っててくれればいいわよう」


 セレスがふわっと何もないところから虹色のうろこを取り出し、カイエに押し付けた。


「姉さんが持っていなくてもいいの?」


 創世の竜のうろこは、カイエたちの魔力の源だ。といっても、もともと強い魔力を持っているので、うろこがなくても多少の魔力は使える。


「別にぃ。私、もともと強いもん。ていうか、これがなかったらカイエちゃんの力では結界を維持できないでしょ」

「……まあ、そうだけど……」

「じゃあ、あとよろしくう」

「えっ、もう!?」


 驚くカイエを残し、セレスの姿はさっさと消えていた。


「セレス様、どうかされましたか?」


 ドアの外からそんな声が聞こえる。カイエは慌ててセレスの残した瓶のふたをこじ開け、中に詰まった錠剤を一粒飲み込んだ。

 スゥッと、まっすぐな黒髪がゆるくウエーブがかった銀髪に、華奢で凹凸が少ない体がメリハリボディに代わる。カイエが着ていた漆黒のミニワンピがパツパツだ。


 ――スタイルよくていいわよね。


 ドアが開いて女官が入ってくる。

 間一髪で間に合った。


「セレス様?」

「ええと……新しい服に挑戦してみたけれどサイズが合わなくて。着替えるのを手伝ってくれる?」


 セレスに扮したカイエの苦しい言い訳に、女官が目をぱちくりさせたが、すぐに「もちろんです」と頷いた。


***


 その騎士に会ったのは、セレスの身代わりを始めた翌日のこと。

 ボロを出したくないので体調不良を理由にサボろうかと思ったのだが、「すぐ済みますし、着任する騎士隊長の挨拶を無視されるのはどうかと」と神官長に渋られたので顔を出すことにしたのだ。


「本日付けで神殿の護衛責任者に着任いたします、バルディア聖騎士団第一隊長のアスター・ヴェンデールと申します」


 謁見用の広間に行けば、黒い騎士服に身を包んだ金髪の青年がそう名乗って、カイエの前に剣を差し出して跪く。


 ――ええと……。


 何かこう儀式的な動作が必要っぽいが、そんなものは知らないんですけど。

 助けを求めるように神官長に目をやるが、怪訝そうにこちらを見るだけ。

 反対側にいる立場が高そうな女官に目をやっても、同じように怪訝な眼差しをしているだけ。


 ――姉さん……私もうボロが出そう。帰ってきたらきっちりフォローしてよね。


 まあ、あの姉のことだ。

 多少おかしな行動をとっても「あの聖女様なら」ということになっ…………


 ――るわけないと思うけどォ、


 ……てくれないと困る…………。


「こんにちは、騎士アスター! 今日からよろしくね! 頼りにするからね!」


 カイエは精一杯「あの姉っぽく」笑いながら、跪いて剣を掲げるアスターの前にがばっと勢いよくしゃがみこみ、剣を掲げた手を両手で包んだ。そのままぶんぶんと振る。

 アスターがぎょっとしたように目を見開く。


 正面から覗き込んだアスターは氷色の瞳が印象的な、非常に凛々しい顔立ちの青年だった。セレスから借りているうろこがあるせいか、いつもよりもはっきりとアスターの中にある魔力を感じる。


 ――この人、ものすごく魔力が強いわ。


 まるで人間ではないみたい。

 いや、人間だけど。ちゃんと人間だけど。それはわかる。


 ――私も昔はこれくらい、魔力を感じ取ることができたのよね。


 うろこさえ無事なら、セレスに遜色ない魔力を持っていた。

 ちょっと切なくなりながら、アスターから手を離して立ち上がる。

 一方のアスターは固まったままだ。じっとカイエを見つめている。


 はっとして神官長を見れば「ヤレヤレ」といった感じで首を振る。反対にいる女官に目を向けると、額を押さえたまま天井を仰いでいた。


 やっちまったようである。


   ***


「申し訳ない、ヴェンデール隊長」


 聖女セレスとの謁見後、アスターは神官長から呼び止められてそう切り出された。


「聖女様はいつもああなのですか?」


 アスターはセレスがつかんでぶんぶんと振った手を見つめながら、問いかける。


「言動が突飛な方ではありますが、儀式では威厳のある、皆が思うような聖女様を演じ、いえ、聖女様らしい振る舞いをされますよ。今日はどうされたんでしょうね」


 はあ、と老齢な神官長がため息をつく。

 神官長は長年聖女に仕えている人物だ。その人物がおかしいというのだから、今日の聖女はおかしかったのだろう。


「……まるで他人みたい、でしたか?」


 アスターが確認すると、そうですね、と神官長が頷いた。


「まあ、あの方はただの人間ではありませんからね。我々の尺度で測ってはいかんのでしょう」

「そうですね。この三百年ずっと、変わらない姿で王都の結界を維持し、この国を魔物たちから守っている……聖女どころか、セレス様は女神様なのかもしれませんね」


 アスターの言葉に、神官長も同意したものの、


「あんなおてんばな女神様がいらっしゃったら驚きますけどねえ」


 しみじみと呟いた。苦労しているらしい。


 神官長と別れたあと、アスターは今日から護衛の責任者となる神殿を見て回ることにした。

 神殿は大きくない。護衛の聖騎士は五人体制だ。交代しながら二十四時間体制で護衛に当たる。

 ふと人の気配を感じて見上げると、銀色の髪をなびかせて聖女セレスが回廊を歩いていく姿が目に入った。


 ――まるで他人みたい、か……。


 アスターは聖女セレスを知らない。

 しかし、セレスから漂う懐かしいにおいには気が付いていた。

 あの人がこんなところにいるわけがない。だってあの人は魔女だ。

 なのに聖女から、よりにもよってアスターの恩人であり捜し求めている魔女のにおいがした。

 そう、においだ。

 忘れるはずもない。


 まっすぐな黒髪、赤い瞳、縦長の瞳孔、とがった耳……あの魔女は、美しくもまがまがしい見た目をしていた。それなのに、まとうにおいは甘くて優しい。

 アスターの心をとらえて離さないにおい。


 ――どういうことだ?


 けれど、この十五年、どんなに捜しても噂のひとつも聞けなかった魔女の気配を見つけることができた。

 これは運命だ。

 セレスの後ろ姿を見つめながら、アスターは拳を握り締めた。


 ――俺は必ずあの魔女を捜し出す。東の魔女カイエを。……まずは聖女に近付くことだな。


 聖女は東の魔女となんらかの関係があるはずだ。

 でなければ、アスターが捜し求めている東の魔女のにおいがするはずがない。


 ***


 身代わり三日目。


 カイエは行儀悪く、神殿の一階にある自室の窓辺に腰掛けて、空を眺めていた。

 ふわもこな雲が風に乗って流れていく。

 雲を眺めながら、カイエはセレスのことを考えていた。

 今頃、推しのライブに熱狂しているだろうか。


 ――というか、「推しのライブ」って、何……?


 そのあたりの説明はないままだ。セレスにとってとても大切なものらしいことは、話ぶりからうかがえるのだが。


 昨日の着任式のあと、神官長と女官長(あの立場がある女官は女官長だったらしい)に問い詰められ「何か変なものを食べてしまい、記憶がふわふわと曖昧になっていて……」と苦しい言い訳をする羽目になった。

 驚いたことに神官長も女官長も「聖女様ならやりかねない」と納得したことだ。

 姉の普段の生活態度が気になる。三百年もここで聖女をしている人なのに、それでいいのか。


 記憶喪失は一時的なもので、十日もすれば元に戻るから、それまでは重要な儀式などは入れないでほしいと頼んだ結果、「聖女様は体調不良につき休養中」ということにしてもらえた。

 それ自体は「しめしめ」なのだが、そうすると今度は退屈でしかたがない。


 二十歳前後に見えるカイエだが、これでも百歳近い。一人暮らし歴も長い。時間はいくらでも潰せるが、それは自分のやりたいことをやっていればこそ。

 ここには、カイエのやりたいことがない。

 本当にぽかんとしているだけ。


 ――まあ私がここにいてこれを握り締めていれば、代役は務まるんだけど。


 懐に忍ばせていた竜のうろこを取り出す。

 手のひらサイズのそれは半透明で七色の光を放っている。

 この世界を作ったという創世の竜のうろこ。これを持っているのは魔王である母と、三人の子どもたち。持ち主に途方もない魔力を与えてくれるもの。


 もともとうろこはすべて母が持っていた。創世の竜から直接与えられたのが母だったのだ。

 理由はよくわからないが、母がこの世界の生まれではないことが関係しているらしい。母の正体については母本人もよくわかっていないので、聞くだけ無駄だ。「魔王」という呼び名だって人間が勝手につけたものだ。


 母は三人の子どもたちに自分の持つうろこを与えた。

 カイエも持っていた。

 でも失ってしまった。


 そのことは後悔していないけれど、そのせいで魔力は弱まり、今も魔力の流出が止まらない。寿命も減っているようだ。証拠に、以前ならすぐに消えた傷も、今はなかなか消えない。

 魔力が少ないのは不便だとは思うが、それよりも悲しいのは寿命が縮んでしまうことだ。

 家族を残して、カイエが先に逝ってしまうのだから。


 ――でも人間なら当たり前なんだよね、これが。


「ご気分が優れませんか」


 ぼんやりしていたところにいきなり声をかけられて、驚きのあまりカイエはバランスを崩してしまった。

 窓の外に体が投げ出される。

 とっさのことで何もできなかった。

 誰かがカイエの体に腕を回す。

 体中に衝撃が走る。

 不思議と痛みはなかった。


 おそるおそる目を開けると、至近距離にアスターの整った顔があった。

 カイエは地面に膝をついたアスターに抱き留められていた。


「申し訳ございません。聖女様を驚かせるつもりはなかったのですが、見回りをしていたら一人で窓辺にいるところが目に入ったもので、つい」


 アスターが気遣わしそうにカイエを見つめる。

 吸い込まれそうな美しい氷色の瞳に、思わず見入ってしまう。

 その瞳の奥で何かが揺れた。

 はっと我に返る。


「ご、ごめんなさい! 重たいわよね」


 急いでアスターの腕から逃れようとしたが、なぜかアスターは腕を離さない。それどころか、ぎゅっと力を込めてカイエを抱きしめてきた。

 アスターがカイエの首筋に顔を埋めて深く息を吸う。


「……このにおい、間違いない」

「におい?」

「なぜ聖女様がこのにおいをまとっているのですか? これは……東の魔女のにおいです」

「は……はあ!?」


 東の魔女のにおいだと!?


「なぜですか。教えてください。聖女様は東の魔女と何かつながりがあるのでは……?」


 バッと体を離し、今度は肩を掴まれて顔を覗き込まれる。


 ――もっ、もしかして私が東の魔女だとバレた……?


 だが東の魔女は十数年前に姿を消したままだ。

 アスターはせいぜい二十代半ば。

 もともとカイエはめったに人前に出なかった。

 カイエのことを知る人間がそうそういるとは思えない。

 これは勘違いか、激しい思い込み……の類に違いない。


「なんのこと?」


 というわけで、カイエはしらばくれることにした。

「ですが」

「鼻がきくのね、坊や」


 カイエはそう言ってアスターの鼻をつまんだ。ふがっ、と美青年がらしくもない変な声を上げる。腕の力が緩んだところでカイエはアスターの腕の中から抜け出し、距離をとった。


「私はセレス、この国の聖女。東の魔女なんて知らないわ。私の前で魔物の名前なんて出さないでちょうだい」

「東の魔女は魔物ではありません。東の魔女は素晴らしい女性です」


 カイエの言葉にアスターがむっとしたような顔で食らいつく。


「魔物よ。人をたぶらかして魂を貪り、何百年も変わらない姿で生き続ける、そんなものが素晴らしい存在のはずがない」


 カイエたち魔王の一族は人の魂が糧である。人の世に紛れて暮らす兄にしても、姉にしてもそう。

 どんなに人間に慕われても、自分たちは人間の魂を食べなければ生きていけない。

 いくら見た目が人間に近くても、普段は人間ぽく振る舞っていても、人間を狩る時、自分が魔物だと痛感する。

 だからカイエは人と距離を置いていた。情をかけたら狩れない。兄姉は好きだが、どうして人の中で生きながら人を狩ることができるのか不思議でならない。


「……それでいったら聖女様はどうなのですか。何百年も変わらない姿のまま生き続けていらっしゃる」

「私が魔物とでも? あなたたちを守るこの結界を張り続けている私を?」


 カイエが睨むと、アスターがはっとしたように目を伏せた。


「申し訳ございません。口が過ぎました」

「本当よ。ひどいわ。もう行きなさい、騎士アスター。私はあまり気分がよくないの」


 カイエはそれだけ言い残すと踵を返し、アスターの前を立ち去った。

 姉っぽく、というより聖女っぽく振る舞えただろうか。

 それはそれとして、


 ――素晴らしい女性ですって? 私が?


 アスターの姿が見えない場所まで来たところで、カイエは立ち止まり、唐突にうろたえ始めた。


 ――そんなこと言われたことは一度もないわ。においとか……においって……。


 試しに自分の腕を持ち上げてクンクンしてみる。毎日風呂には入っているし、服だって洗濯しているので、クサイということはないはずだ。


 ――あの口ぶりだと、本当に私を知っているみたいね。どこかで会ったことあるのかしら?


 うろこを失って以降は特に人目を避けているから、まったく心当たりがない。とすると、それよりも前?

 ただ、あのひたむきな瞳には見覚えがある気がする。

 どこで見たんだったかなぁ、と記憶を手繰っていて思い出した。


 ――しばらく預かっていた子犬があんな目をしていたんだわ。大きな目をクリクリさせながら、おやつを楽しみにしていたわよね。


 あの犬を預かったのは、今から十五年ほど前のことだ。


 十歳くらいの男の子が力のある魔物に捕まって厄介な呪いをかけられ、どこかでカイエの噂を聞きつけたのだろう、身なりのいい男女が助けてくれと泣きながら駆け込んできたことがあった。

 どこかの貴族様だということはぼんやり覚えている。正直、依頼主が誰であってもたいして興味がないので、どこの誰だったかはわからない。


 昼は犬になり、夜は人間に戻る呪いはだんだん男の子の体を蝕み、犬でいる時間が長くなっていく。調べたところ、犬でいる間は人間の意識がない。人間に戻った時も同様に、犬でいたことを覚えていない。


 たいした呪いではないと思った。この程度の呪いの解呪のために実在するかどうかもあやしい「東の魔女」を捜して駆け込むなんて、さすがお金持ちねぇ、などと感心しつつ、力がある魔物だと言っても自分に匹敵するわけがないとタカをくくっていた。


 呪いは魂に食い込んで、カイエではどうすることもできなかった。おそらく夫妻はあちこちを訪ね歩き、すべてに断られたに違いない。

 なるほどこれは、「東の魔女」にすがりたくなるのもわかる。

 そしてカイエにもプライドはある。

 けなげに呪いに耐える少年に同情できるくらいの心も持ち合わせている。


 だからカイエは、自分の魔力の根源でもある竜のうろこを使って呪いを解いたのだ。……少年に呪いをかけた魔物を殺しに行くという方法で。

 その時にうろこは砕け散り、少年の呪いは解けたけれどカイエも魔力を失った。


 今のカイエは、かつての一割にも満たない魔力しか持っていない。そしてその一割の魔力が体から流れ出ていくのを、止めることができない。いずれは魔力が枯渇して死んでしまう、弱弱しい存在になってしまった。


 家族は心配している。

 大丈夫だよといつも答えている。

 不安なんて見せない。

 大好きな人たちが悲しむ姿は見たくない。

 あの少年だって堪えていたことを、少年の何十倍も生きている自分ができないはずないのだ。


 ――あの子よね……?


 アスターは二十代半ばに見えた。

 あの男の子は、十五年前に十歳くらいだった。

 確かに計算は合う。でも自分のことを覚えているはずがない。


 第一、カイエは、子犬の世話しかしていない。あの子が人間に戻れる時間は本当に少なかったし、人間に戻ってもあの子はずっと朦朧としていた。

 あの子に懐かれるような何かをした覚えはない。

 子犬はかわいかったけど。


 ――わからん。


 どうせあと七日程度でここを立ち去る。相手は実力のある聖騎士。今のカイエなら彼の剣に勝てないだろう。


 あんまり深入りしないほうがよさそうだという結論を出し、カイエは再び歩き出した。その後ろ姿を追いかけてきたアスターがそっと見つめていたことなど、当然気付くわけもなく。


 ***


 身代わりの引きこもり聖女を始めて六日たった。


「カイエちゃん! 留守番ありがとうね。明日には帰れそうだわっ」


 夜明け前、ぐっすり寝ていたカイエのすぐそばで大音声が響く。

 なにごとっ、と顔を上げると、枕元に置いていた水晶玉に姉の姿が映っている。


「あらあらその姿、ちゃんとお薬飲んでいるわね。えらーい。でも気を付けてね、薬効は飲んできっちり二十四時間で切れるから、少しでも飲み遅れると元に戻っちゃうのよね~~~。私の能力の限界だわー」


 べらべらとよくしゃべる姉だ。


「……いま何時だと思ってるのよ」


 寝ぼけ眼で水晶玉を睨みつけたら、姉はケタケタと笑った。手にはジョッキを持っている。嘘でしょ、もう明け方なんだけど。窓の外、白み始めた空を確認してカイエは呆れた。


「うまくごまかしてくれてる?」

「知らない。あんまりうまくいってないと思う。姉さんがあとでフォローしておいて。いっぱいやらかしているから大変だと思うけど」

「大丈夫、私も普段からいっぱいやらかしてる!」


 はっはっは、と酔っ払いが大きな声で笑う。


「カイエちゃんにお土産いーっぱい買ったからね。明日をお楽しみに!」

「そんなお土産だけじゃ全然足りない! お小遣いちょうだい!」

「いいわよう~~~~。お姉様に払える金額ならね」


 唐突にプツンと通信が切れる。

 あの酔っ払いがー、と思いながらカイエは再び布団をかぶった。

 安眠妨害もいいところだ。もう少し寝よう。


 ――明日には姉さんが帰ってくるのかぁ……。


 そうなればアスターともお別れだ。

 アスターとはあれからもたまに顔を合わせるが、カイエが意識して避けているので言葉を交わしてはいなかった。

 アスターと会うと、彼はもの言いたげにこちらを見つめる。

 その視線がなんだかいたたまれないのだ。


 ――アスターが仮にあのワンコ少年だったとしても、過ぎた話だし。


 別に関わりたいとは思わない。彼が元の体に戻って問題なく過ごせているのならそれでいい。

 眠気はすぐにやってきて、カイエを夢の中に連れ去ってくれた。




「セレス様、おはようございます!」


 耳元で大きな声がする。

 うるさい。まだもう少し寝ていたい。


「セレス様! 今日は国王陛下との謁見が……セレス様!?」


 いつもの世話係の女官が焦ったような声を上げる。

 何……と思って布団から顔を出すと、女官の顔があり得ないほど青くなっていた。


「どうしたの……」

「だ……だれか! セレス様が!」

「私ならここに」


 いる、と言おうとして、頬にかかる髪の毛を払いのけた時に気が付いた。

 髪の毛が黒い。

 はっとなって飛び起き、枕元の水晶玉を見つめる。

 黒髪、赤い瞳。縦長の瞳孔に、とんがった耳。

 いつもの自分が、なめらかな水晶玉に映っていた。


『薬効は飲んできっちり二十四時間で切れるから、少しでも飲み遅れると元に戻っちゃうのよね~~~』


 陽気な姉の声が蘇る。

 そういえばいつもは朝食後に飲む薬を、昨日はなんだか目がさえて早起きしたから、忘れないうちにとちょっと早めに飲んだ気がする。初日に昼過ぎに飲んだから作用は半日ぶん繰り越されていると思っていたが、そんなことはなかったのか。


 ――なんて適当な薬を作るの!


 姉を呪っても時すでに遅し。


「誰か――――! 魔物が入り込んでいるわ!」


 女官の叫びにカイエは布団をはねのけると、寝間着裸足のまま窓から外に飛び出した。

 ここから逃げ出すことは簡単だ。でも自分がいなくなったら、王都の結界が消えてしまう。カイエはここにいなくてはならない。


 では自分がセレスの身代わりだと正直に言う? それはできない。セレスは聖女だ。魔物が身内にいるはずがない。

 魔力でみんなぶっ飛ばす?

 いくら魔力が減ってしまったとはいえ、そこは魔王の娘である。それくらいはできる。


 ――さすがにそれはやりすぎよね。


 騒動が大きくなりすぎて姉が収集できない事態になったら大変だ。

 この王都は、この国は、姉がその生涯をかけて守ると決めた場所なのだ。

 事実、聖女がいるからこの王都はもちろん、バルディアという国は魔物の活動がだいぶ抑制されている。セレスは文字通りこの国にとってなくてはならない聖女。セレスの居場所を奪ってはいけない。


 ――どこかに隠れて姉さんが帰るまで持ちこたえなければ……。


 この際、王都の中ならどこでもいい。むしろ神殿じゃないほうがいい。

 外に出よう、と思ったその時、神殿を守る護衛騎士たちがぞろぞろと神殿の中に入ってくるのが見えた。いつもより数が多い。非番も呼び出されたのだろう。


 ――うわっ、無理!


 聖騎士は魔力探知に優れている。カイエが魔力を使ったら一発で発見される。


 ――見つからないようにコソコソ抜け出せば……


「いたぞ! 魔女だ!」


 そろそろと建物の壁伝いに移動していたら、背後から声が聞こえた。

 ぎくりとして振り返ると、聖騎士の一人がカイエを指さしている。

 もう見つかってしまった。早すぎる。相手が多すぎるのだ。


「であえであえ――――!」

「魔女はここだ!」


 わらわらと神官や女官たちも出てくる。

 魔力が使えたら、こんな雑魚はまったく問題じゃないのに!

 魔力が使えないからコソコソ逃げるしかない。


 ――めんどくさ――――い!!!


 心の中で叫びながら、カイエは発見上等とばかりに神殿の庭を突っ切り始めた。


「あそこだ!」

「魔女だ!」

「御用だ御用だ!」


 ――私が何をしたっていうのよー! あなたたちを守る結界を守ってあげていたのに!


 ヒィン! お姉ちゃん早く帰ってきてー!

 あっちからもこっちからも追っ手がかかる。


 ――むりむりむりむり! もう目立とうがなんだろうが実力行使で神殿の塀を破って外に……


 出てやろうと思った、その時。

 ヌッと、目の前に黒い影が現れた。

 走っているカイエは急には止まれない。慣性の法則である。


「ヒィン!」


 変な声をあげてカイエは黒い影に突っ込んだ。


「声を出すな」


 黒い影がぎゅっとカイエの背中を足元の植え込みの裏に押し込む。


「ヴェンデール隊長! こちらに魔女が来ませんでしたか!?」

「いや、見ていないな」


 植え込みにカイエを隠しながら、アスターはしれっと嘘をついた。


「もう市街地のほうに出ているのかもしれない。魔女は転移魔法を使う」

「転移の痕跡は見られないのですが」

「誰にも知られないように神殿に入り込んだ魔女が、魔力の痕跡なんか残すわけないだろう。とにかくこっちには来ていない、これだけの人数で捜しても見当たらないのなら神殿の中にはいないと見ていい。市街地を捜せ!」


 アスターの声に「はっ」と小気味よく答え、騎士たちが去っていく。


「朝から呼び出されて何事かと思ったら……」


 それを確認したあと、アスターは足元にうずくまる寝間着姿のカイエを見下ろした。


「まったくあなたは……。そんな薄着であいつらの前を走り回ったんですか」

「いきなり追いかけてきたのはあっちだもの、しかたがないわ……って、はっ! 騎士アスター、どうして私を庇ったの。私は聖女に成りすましていた魔女よ?」

「通報内容は、魔女が神殿内に入り込んだ、聖女が見当たらない、だけなんですが……。あなたが成りすましていたのですか」


 アスターに指摘され、カイエはしゃがみこんだまま口を押さえた。

 時すでに遅しである。


「まあ、聖女様がおかしいな、というのは気付いていたので、むしろあなただとわかって俺は腑に落ちましたよ、東の魔女カイエ」

「……どういうこと?」


 体を起こしてアスターを見上げる。


「俺は鼻がきくんですよ。子どもの頃、魔物に犬へ変えられる呪いにかけられたことがあって」


 アスターが手を差し伸べてくる。思わずその手に手を伸ばせば、ぐっと引っ張って立ち上がらせ、そのまま抱き上げられた。俗にいうお姫様抱っこだ。


 なぜ私はアスターにお姫様抱っこされているのでしょう?


 まったくわからない。理解が及ばない。事態が把握できない。


「ああ、やっぱりそうだ。このにおいだ……」


 お姫様抱っこされたまま、アスターにすんすんと首元のにおいを嗅がれる。


 ――ひいー、大丈夫なのこの人!?


 魔女のにおいを嗅ぐ美形聖騎士。おかしすぎる。絵がヤバイ。理解の範疇を超えている。対処しきれない。カイエは混乱の極みにいた。

 足元にふわりと転移の魔法陣が浮かぶ。


「待って、あなた魔法が使えるの?」

「聖騎士ですから」

「いやいや待って。そうじゃなくて! 転移なんて高度な魔法、いくら聖騎士だからって、ただの人間が使えるわけないじゃない!」

「暴れると落ちますよ」


 アスターの腕から逃れようとじたばたするものの、普段から鍛えている成人男性の腕から逃れられるわけもなく、カイエは「ひぃぃぃぃ」という情けない声とともに、転移の魔法陣が放つ光の中に消えることになった。


***


 連れて行かれたのはアスターの部屋。王城の敷地内にある騎士の宿舎だという。

 意外に広くてきちんと片付けられているのは、アスターが隊長だからだ。頼めば洗濯や掃除が入るらしい。


「すごく待遇がいいのね。あなたって、もしかしてとても偉い人?」


 まじまじと聞いたカイエに、アスターが呆れたような視線を寄越す。


「バルディア聖騎士団の第一隊長です。最初にそう名乗りましたが」

「……そうだったかしら。神殿の護衛責任者というのは覚えているんだけど」

「そうですか。まあ、あなたが俺に関心がないのは、今に始まったことではありませんでしたね」


 言いながらアスターが奥の部屋からシャツを持ってきて、ふわりとカイエの肩にかける。


「薄着は目に毒ですので」


 きょとんとしていると、そんな声が飛んできた。


「私は姉さんほどスタイルよくないから、それほど毒になるとは思えないけど」

「姉さん?」

「あ」


 あわてて口を押さえたが時すでに遅し×2回目。


 ――私って、どうしてこう……。


「さて、東の魔女カイエ殿。話をお聞かせ願えますか?」


 アスターがにっこり笑って居間にある椅子をすすめてくる。


「そ、それならあなたの話が先よ、騎士アスター。どうしてあなたは、上位の魔物しか使えない転移魔法が使えたの? それに鼻がきくって」

「本当に俺のことはまるで覚えていないんですね。心当たりもまったくありませんか?」


 正面に立たれ、見下ろされる。

 眼差しが冷たい。目の色が氷色なだけに、なんだか急にまわりの温度が低くなったように感じる。カイエは肩にかけたアスターのシャツをぎゅっと抱き寄せた。


「犬に変えられた男の子のことなら覚えているわ。あれがあなたなの? でもそれと、魔法が使えることの因果関係は?」

「呪いをかけられた後遺症というのでしょうか。俺に魔法をかけたのは相当力が強い魔物だったようですね。あなたは俺の呪いを解くのは無理だと言った」

「覚えているの? それとも誰かに聞いたの?」

「覚えています。あなたと初めて会った日のことも、あなたのもとにいた日々も、あなたと別れた日のことも、すべて」

「ええ、そんなことってあるの? おかしいわね、あの時、あなたは犬になっている間のことは覚えていないと言っていたわよ?」


 アスターにかけられた呪いは相当強く、アスターの魂も体もすべて蝕んでいた。呪いにかけられていた間の記憶なんて残っているはずがない。


「話は最後まで聞くものですよ。……呪いの後遺症だと言ったでしょう。あの時覚えていないと言ったのは、嘘じゃない。あとから思い出したんです。あなたのことも……あなたのにおいも」

「におい?」

「犬にされていたせいか、あれ以来、鼻がきくようになったんです。それに魔力も強くなった」


 こんなふうにね。そう言いながら、アスターが手をサッと振ると、目の前に神殿の様子が浮かび上がった。魔女はどこだと捜し続ける神官長に、女官長。魔女が聖女を連れ去ったのでは。あるいは殺したのでは。けれど結界は無事だ。どういうことだ……。


 ――こんな魔法、上位の魔物だって使えない。


 まるで自分たち、魔王の一族と同等ではないか。

 どうしてそんなことが。


「実は私の身内とか?」

「違います」


 うっかり口にしてしまった疑問を、アスターがきっぱりと否定する。


「俺の魔力が強くなったのは、あなたが俺の呪いを解くために、俺に呪いをかけた魔物を創世の力を使って退治したからです。呪いを通じて俺と魔物はつながっていた。魔物が受けた創世の力が俺に流れ込んだんです。ほんの一部ですが、それはとてつもない力でした」


「……確かにあいつはめんどくさくてうざくてなかなか殺せなかったから、私は創世の竜のうろこを使ったわ。でも呪いを通じてあいつに使った魔力があなたに宿るなんてことがあるの? 初耳」


「そうでなければ、俺がこれほどの魔法が扱える理由の説明ができません」


 アスターがパチンと指を鳴らすと、目の前の幻影がフッと消える。


「おかけで俺は聖騎士の中でも抜群に力が強いから、トントン拍子に出世できました。創世の力は俺を魔物には変えなかった。この体は人間のままです」

「よかったじゃない」

「そのかわり、あなたは魔力を失いましたね、東の魔女」

「いや別に失ってないし。弱くなっただけよ……ほんのちょっと」


 よく調べてるアスターが怖くなり、カイエは話を盛った。……だいぶ。

 アスターは相変わらず怖い顔をして見下ろしてくる。

 だいたい身長差があるのに、こっちは座って向こうは立って、視線の高さがおそろしく離れているせいで見下ろされ度がものすごく高い。威圧的! これはいったいなんというハラスメントか。


「俺の話はしました。次はあなたの番です、東の魔女カイエ。なぜあなたは聖女のふりをしていたのですか。先ほど聖女を姉と呼んだ理由はなんですか?」


 淡々と尋問は続く。

 アスターという男、人のにおいを嗅ぎまわる変態性を持っているが、若くして騎士団の隊長を任されるだけあって、仕事はできるらしい。


「……ほかの人に黙っていてくれるのなら」


 姉は長年正体を隠している。

 バレたらバルディアに居られないことがわかっているからだ。


「ことによります」


 氷の瞳がスッと細められる。あかん、これはあかんやつや。

 アスターの良識に賭けよう。

 アスターもバルディアの民なら、聖女の重要性を理解しているはず。


「聖女セレスは私の実の姉なの、騎士アスター。生まれつきの魔女、魔王の娘よ。バルディアの王様と恋に落ちて結婚する時、魔女だと体裁が悪いから聖女ということにしたのよ。私が聖女のふりをしているのは、その姉に留守番を頼まれたからよ」


 カイエはアスターの前に手のひらを突き出し、竜のうろこを呼び出した。虹色に輝くそれは光を放ち、アスターの居間を明るく照らす。


「これは姉の竜のうろこ。私のうろこがすでに失われていることは知ってるでしょ? 姉のうろこを使って私が王都の結界を維持しているのよ」

「本物の聖女様はどこへ?」

「知らないわ。推しのライブに出かけるって言ってた。明日あたりに帰ってくるそうだから、本人に聞いたらいいじゃない」


 カイエはうろこをしまい、アスターを睨んだ。


「私は何も悪いことはしていないわ。姉に言われた通り姉の代理人をしているだけよ」

「……あなたの姉上は、聖女で、魔女、なんですよね。」


 アスターが確認するように聞く。


「そうよ。魔女のくせに聖女のふりをしているの。もう何百年も。恋した人はとっくに死んでいるのに律儀よね」

「魔女は……いや、聖女様は、ご自分の伴侶を魔物にはしなかったのですか。いや、そういうことはできないのですか、もしかして」

「人間を魔物にすることはできないわね。私の使い魔にすることはできるけれど。……姉さんは、旦那さんに人間でいてほしかったんじゃない?」

「人間で?」

「姉さんは人間であるその人に恋をしたのよ。私たちみたいな化け物の仲間になってほしくなかったのだと思うわ」


 亡き夫との約束を律儀に守り続けるセレスに思いを馳せながら、カイエが呟く。


「……魔女は人間と結婚できるんですね。聖女様にはお子様がいらっしゃったはずだ……そのお子さまたちが現在のバルディア王家の人々なのですから。……魔女は人との間に子もなせる」

「そうね。子どもは半妖だけど、生まれてすぐ魔力を封じてしまえば、人間の子として生き、死ぬことは、姉さんの子どもたちで証明されているし」

「なんという僥倖」


 カイエの言葉に、アスターの頬が緩む。

 笑うシーンではないだろう。

 いきなり喜色を浮かべた美男子にカイエは思わずひきつった。

 この人、何を考えているのかさっぱりわからないから本当に怖い。


「ねえ、もういいかしら。姉さんが帰ってくるまで隠れているから、私を見逃してちょうだい。私を捕縛すると姉さん……聖女様に迷惑がかかるわよ。バルディアから聖女がいなくなったら、あなたたちだって困るでしょ?」

「ええ、そうしましょう。この部屋に隠れているといいですよ」

「えっ、ほんと? やったあ」


 アスターのセリフに喜んだ次の瞬間、アスターがカイエの前にいきなり跪いた。

 なんなのっ、と身構えたカイエの手を取ってそっと口づける。

 なんなのマジでっ、と固まったカイエにアスターが微笑む。


「カイエ、俺はあなたを捜していました。ずっと、探していました。俺を助けてくれた魔女……美しく、強い、そして優しい魔女を、ずっと捜していました。しかし俺を助けてくれたあと、あなたは忽然と姿を消した。あなたが住んでいた小屋はもぬけの殻だった」

「……魔力が弱まってしまったから、あの場に留まれなかったのよ」


 それなりに多方面で恨みを買っているから、弱っていると知られたくなくて、うろこを失ったあとのカイエは棲み処を転々としていたのだ。


「ええ。あなたの魔力が弱くなったことも感じていました。俺のせいです」

「違うってば。負い目とか責任とかそういうものは感じなくていいから! 私が好きで勝手にやったことなんだから」


 だから手を離してくれるかなぁぁ、とカイエはアスターにつかまれたままの腕を引っ張った。

 抜けそうにない。なぜだ。


「俺が犬になった時も、あなたは献身的に俺の面倒をみてくれました。覚えています。あなたはとても優しかった」

「一般的な子犬の世話しかしてないと思うけど」

「そんなあなたに、俺は恋をしました」

「そっかあ……恋かあ……って、は!? 恋!? 私に!?」


 素っ頓狂な声をあげたカイエに、アスターが微笑む。それはとても魅惑的な微笑で。

 けれどなぜかその微笑に感じるのはときめきではなく悪寒。


「魔女と人間でも結婚できると知ってほっとしました。ずっと、好きになってはいけない人を好きになってしまったのだと思っていたから」


 しみじみとアスターが呟く。

 まあ、そうだろう。

 聖騎士は魔物を狩る者。

 カイエは魔女。狩られる側だ。


「魔女カイエ。私、アスター・ヴェンデールはあなたに結婚を申し込む」


 跪いたままアスターがまっすぐな視線で告げる。

 さっきまでは冷たいと思っていた氷色の瞳が今はどこか熱っぽくて、視線に妙に力があって、目が逸らせない。

 じわじわと喉元にせりあがってくるのは、恐怖だ。

 いけない。このままここにいたら食べられる。直感的にそう思う。


 冷静に考えたら、人間であるアスターがカイエを食べるわけがないのだけれど、カイエを見つめるアスターの視線はどう考えても獲物を狙う獣。

 この場合、文字通り「獲物」として狙っているわけではないだろう。色恋沙汰に疎いカイエだってそれくらいはわかる。


 アスターから感じた恐怖の正体はこれだったのだ。

 狙われている。私の貞操が。

 冗談じゃない。


「待って……アスター。私、ぜんぜんあなたのことを知らないんだけど?」

「これから知っていただければ十分です」

「あなただって私のことを知らないでしょうが」

「よく存じあげておりますよ。あなたは優しくて情に篤い。俺のことも見捨てなかったし、姉上の頼みもこうして聞いている」

「あなたを見捨てなかったのはたまたまよ! うぬぼれないで。姉さんは身内だから当たり前でしょ」

「あなたの気の強さも織り込み済みです。これは口説き甲斐がありそうだ」

「勝手にロックオンしないでよ! 人間のくせに! 私は魔女よ!? あなたとは違うの、化け物なの! 姉さんみたいに割り切れないから、人間とは一緒に生きられないのよ!」

「俺もたいがい化け物だと思いますよ。あなたに心の内を見せられなくて残念だ」

「あっ、なんかそれは見たくないかも」


 焦ったカイエににっこりと笑って、アスターが立ち上がる。


「騒動を収めてきますので、ここにいてください。部屋は自由に使ってくださってけっこうですが、外出はなさらないように。……たとえ逃げても、俺は逃す気はありませんけどね」


 そう言って転移の魔法陣を輝かせて、アスターの姿が消える。

 カイエはほっと息をついた。

 アスターを前にしている間、ずっと身構えて体に力を入れていたので、どっと疲れが出る。


 ――なんか、すっごくめんどくさそう……。


 関わるとろくな目に遭いそうにない。

 

 逃げよう。


 カイエもまた立ち上がると、玄関に向かった。

 が。


「なんっで、あかないのよっ」


 玄関のノブを掴んだ瞬間、弾き飛ばされてしまった。

 よくよく見たら淡く封印の魔法陣が玄関に浮かび上がっている。

 これはもしかして、と窓に向かう。

 窓は開いた。

 が、外に出ることはできなかった。

 幕のような結界が張られており、その先に行くことができないのだ。

 普通の人間に作ることができないほどの、強固な「檻」に閉じ込められているようだ。


「ふううん……?」


 きれいな顔をしてなかなかゲスい、あの聖騎士。


「いい度胸じゃないの、人間のくせに。私を誰だと思ってるの?」


 姉の持ち物だけど拝借してもいいだろう。

 カイエは縦長の瞳孔を開くと、手のひらに虹色のうろこを呼び出した。


 ***


 その頃、神殿では。


「えーとぉ…………」


 かわいい妹が頑張っているっぽいので、予定を切り上げて早めに帰宅したセレスが、神官長や女官長、そして先ほど駆け付けてきた護衛責任者のアスターに取り囲まれていた。


「聖女様、これはどういう……」


 神官長がこめかみに青筋を立てながら問い詰めるのも道理で、セレスは持ち帰ったカバンいっぱいにぬいぐるみや抱き枕、マグカップ、イラストブックにあらゆる薄い本と、本人には宝の山、第三者には謎なグッズを詰め込んでいたのである。それを神殿の責任者三人に見つかり、目の前に並べさせられ、じっくり検分されたうえに、自分は実は魔女で、東の魔女と呼ばれる妹に聖女の代役を頼んでライブに出かけていた旨の説明をさせられるという、地獄を味わっていた。


「だ、だって、私、ずーっとここにいるんだもん! つまんないんだもん! でもパパとの約束だから結界の維持はしなきゃいけないんだもん! 代役を頼めるのが妹しかいなかったんだからしかたないじゃな――――い!」


 だからグッズの没収はしないでぇー、と泣くセレスに三人はしばらく固まっていたが、


「まあ、今回は何も……被害はなかったので……そういうことでしたら……」


 神官長が唸る。


「そうですわよ、神官長。セレス様が長らくこの国を守っていらっしゃるのは事実。セレス様の正体に関しては問題ないかと思います。ただ……そうですね……正体が魔女であると明るみになるのは得策ではないと思います。これからも、セレス様は聖女様でいらっしゃってくだされば、私達としては……」


 女官長がちらりとセレスを見る。


「いいの?」

「セレス様はどうなのですか。もうずっとこの国をお一人で守り続けていらっしゃいますが、いやになったりは? お辛くは?」


 アスターの問いかけに、セレスは首を振った。


「この国には私の子どもたちの子どもたちの子どもたちの子…………要するに私の子どもたちがたくさん住んでいるもの。いやになったり、つらいと思ったりはないわ。家族がニコニコ暮らせるのが一番よ」


 セレスに答えに、三人は「ふむ……」と黙り込む。


 そろそろグッズを片付けてもいいだろうか。

 じっくり見られたあとだけど、出しっぱなしだと恥ずかしい。


「魔女カイエに関しては、なんらかの手違いで迷い込んだ魔物、すでに退散済みということにしましょう」


 しばらく考えたあと、アスターが口を開く。


「被害は何も出ていません。結界もほころんでいないし、聖女様も無事。大事にするべきではありません。騒ぎが大きくなると、聖女様のお立場が悪くなる。それでは神殿も困るでしょう?」


 ちらりとアスターが神官長を見る。


「ヴェンデール隊長のおっしゃる通りですな。……聖女様、これからお出かけ前には私たちにも教えてくださるとありがたい。魔女カイエに悪いことをしました」

「あらっ、これからお出かけを認めてくれるのかしらっ」

「聖女様のこの国への貢献度を鑑みれば、ダメとは言えますまいが……問題は聖女様の代役ですな。魔女カイエが引き受けてくださればのお話ですよ。……そういえば、その魔女カイエはどこに行ったのでしょう。ヴェンデール隊長、ご存じですか?」

「さあ、私には……。見つかったという報告はありませんので、どこかに隠れているのでは?」


 神官長の質問にしれっと答えるアスターに、セレスは思わず噴き出しそうになった。

 アスターがカイエを自分の部屋に閉じ込めていることは知っているのだ。何しろカイエに持たせているのは、セレスのうろこだから。


 あのきれいな顔の下で何を考えているのやら。


 うろこを通じてアスターの告白を聞かなければ、アスターの気持ちなんて気付かなかった。

 セレスがカイエに身代わりを頼んだタイミングでアスターが聖騎士として神殿に現れたのは、本当に偶然だ。

 別名、運命。


 おもしろそうなので二人を……というか、主にカイエをつつきまわしたいところだが、カイエが怒り狂うのは目に見えているので、今は我慢我慢。


 その時。

 大きな衝撃が、神殿のすぐそば、王城のあたりで炸裂し、その衝撃波が一瞬にして王都に広がった。

 神官長、女官長、アスター、そしてセレスの四人はそろって震源地に目を向けた。

 誰かが大きな魔法を使った。


「……やってくれるじゃないか」


 アスターが低く呟く。

 どうやらカイエはアスターを本気にさせたらしかった。


 ――私のうろこだけど、しばらくカイエに預けておくかなぁ。


 そうなると、「聖女」の姿の維持ができくなるのだが、結界の維持が優先だからしかたがない。

 儀式はなるべく控えめにして、好きなことに没頭していよう。

 そうしよう。


「何かよくないことが発生したようなので、見てきます」


 神殿の護衛責任者であることを放棄して駆けだすアスターを、呼び止める者は誰もいなかった。

 神官長と女官長が顔を見合わせる。

 全員の注意が逸れたのをいいことにセレスはいそいそと推しグッズをバッグに詰め戻しながら、一人でニヤニヤしていた。


 アスターはしつこそうだし、魔力も強い。


 ――カイエちゃん、うまく逃げ切れるかなぁ。


***


 ※セレスのうろこは後日、アルバイト代の請求書とともに送り返されました。






聖女を追放しようとして失敗しました。

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