表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/36

8.迷い(後)

「しつこいな。それよりも自分のことを考えろよ。今日も男のとこ

だったんだろ?」

 おれは美保の目を見て言った。

「うん」

 美保は淋しそうに頷いた。

「で・・・またふってきたのか?」

「なんか飽きちゃった。最初会った頃は仕事に誇りをもってたよう

に感じられたのに、この頃は愚痴ぽいのよねぇ。なんで男って回数

を重ねると愚痴るのかなぁ」


「美保。おまえいっつもそれだな。飽きて、理由をつけて自分を正

当化しようとしてるぞ。愚痴るってことはな、結局おまえに本音を

言ってるんだ。心をオープンにしてんだぞ」


 美保はビールを一気に飲んでため息をついた。

「でも・・・文句にしか聞こえない。そんな私に言うんだったら、

その愚痴ってる相手に言えばいいのよ」

「それが言えるんだったら、苦労はしないさ。言えないから、一番

自分に聞いてほしい相手に言ってしまうんだよ」

 おれはそう言うと、テレビのチャンネルを変えた。零時を過ぎる

と、どこもかしこもバラエティ番組ばかりだ。


「剛は・・・」

 美保はどこか遠くを見るようにして、呟くようにして言った。

「剛がどうかしたのか?」

 おれは美保に尋ねた。

「剛は・・・言わなかった。私に愚痴なんか言わなかった。だから

好きになったのかもしれない、別れられないのかもしれない」


「自分に都合のいい理論だな。おれは逆だと思う。美保がそういう

考えだから、なかなかうまくいかないんだよ」

「え、どういうこと?」

「剛は人を見抜くようなところがある。あいつは美保に惚れてる。

剛はな、美保のことを本音を言っても受け入れてくれそうもないと

思ってるんだよ」


「剛がテルにそう言ったの?」

「いいや。そういうことは、はっきり言わなくても話してると言葉

のはしはしにでてくるんだよ。あいつとはガキの頃からのつきあい

だし、お互いのことはなんかわかるんだよ」

「剛もふつうの男だったんだ」


「あたりまえだ。美保、剛に本音を言えよ、そしたら剛も楽になる

し、ふたりの間はうまくいくんじゃないか?」

「私が本音を言ったら・・・剛はもっと悩むと思う」

「なんでだよ?」

「それは言えない」


 美保はそう言うと、ビールを一気に飲み干して、缶を握り締めた。

グシャという音が耳についた。おれはその行為に美保の本心を見た

気がした。

「私は本心を人に言ったことはないの。わかってもらえないから。

佳奈にさえ言ったことはないのよ」


 佳奈にさえ言ったことはない。おれはその言葉に少なからずショ

ックを受けた。佳奈は美保のことをほんとうに心配していた。

 美保をなんとか幸せにしてやりたいと考えていた。だから、おれ

に美保のことをよく話していた。それが佳奈にさえ言ったことがな

いとは・・・


 それからおれと美保は黙りこくってしまった。重苦しい沈黙がふ

たりの間に流れていた。時計の針は午前一時を指そうとしていた。

そろそろ寝る時間だった。明日の三回忌は車で行くので、おれは眠

りに就きたかった。だが、美保はまだ帰りそうもない。


 おれは三本目のビールを取るため立ち上がり、冷蔵庫の扉を開け

た。そして美保も飲むだろうと思い、そのことを聞こうとした。だ

が聞けなかった。聞くどころか、体の自由がきかなかった。それは

美保がおれの腰に両腕を巻きつけていたからだ。そして自分の体を

おれの背中に預けていた。やわらかい胸の暖かさが背中を通して伝

わってきていた。おれはさして驚かなかった。いつかはこういう場

面に出くわすだろうと思っていた。


 おれは冷蔵庫の扉を閉めて、缶ビールを冷蔵庫の上に置いた。

「美保・・・これじゃビールが飲めないぜ」

 おれは平静を装って言った。

「もう、ダメ・・・私は・・・自分で自分がわからない!あの頃に

戻りたい。四人で笑いあってた日々に。でも、戻れない」


 美保は自分自身に問いかけるように言っていた。おれは抱きつか

れたまま、小さなため息をついた。

「美保・・・すべて吐き出しちまえよ。佳奈にも言ったことがない

ことを」


 おれがそう言うと美保は、しゃがみこんでしまった。自然とおれ

の腰に巻きつけられていた両手が解かれた。おれは冷蔵庫の上のビ

ールを取り、美保に渡した。そして、おれと美保は冷蔵庫の前で座

り込んで向き合う形になった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 美保は下を向いたまま、口を開こうとしなかった。床の上に透明

な雫がポタリ、ポタリと落ちていた。

「本心を言うと剛がよけい悩むって言ってるけど、それは美保が思

ってるだけだろう?言ってみないとわからないんじゃないか?」

 おれは美保に諭すように言った。


「私には・・・私の心には・・・ふたりの人間がいる」

 美保は声を絞るようにして言った。

「ふたりって?」

「剛を・・・受け入れようとする自分と・・・拒否する自分」

「それで?」

「どっちがほんとうの自分かわからないの」

「どういうことだよ?具体的に言ってみろよ」


「剛といるとリラックスできるし、暖かさが伝わってくるの」

「うん。それで?」

「その暖かさに飛び込んでいけたら・・・」

「・・・・・・・」

「でもダメなの。もうひとりの私がそれを拒否してしまうから」

「だから具体的に言えって!」


 美保の話は本心を遠回しに言っているように聞こえた。本心を言

いたいが、それを押さえつける何かがあるようだった。

「私は・・・・・・・・ダメ!言えないわ。私が言おうとしている

ことは、人間的に許されないことなの」

「そうか・・・・言えないか・・・まあ、これ以上はおれも聞かな

いよ」


 おれはそう言うと、立ち上がり、リモコンでテレビを消した。背

中越しに美保の声が聞こえた。

「人間というものは幼い頃に育った環境が人生に大きな影響を与え

るのね」


 おれはビールを口につけようとした手を止めた。美保の話は抽象

的すぎて的を得なかったが、今の言葉は本心を言った気がした。だ

が、具体的なことはわからなかった。


 時計は午前一時半を指していた。

「そろそろ帰ったほうがいいんじゃないのか?」

 おれは美保に言った。このまま話していたら、朝になってしまい

そうだった。


「泊めてくれない?」

「だめだ!」

 おれは声を大にして言った。


「まえはあんなに泊めてくれたのに・・・」

「バーカ。あれは剛や佳奈がいた時の話しだろう。親友の女とふた

りきりで寝るわけにはいかん」


「親友の女か・・・」

「さあさあ!早く着替えろ。なんならその格好で帰ってもいいぞ」

「いじわるなんだから。泊めてくれないんなら、わざわざスーツか

ら着替えなくてもよかったわ」


 美保はそう言うと、バスルームに消えた。少し機嫌が悪くなった

ようだが、仕方のないことだ。おれは美保が着替えている間に、24

時間連絡がつくタクシー会社に電話した。職業柄、接待が多いので

こういうことには慣れている。十五分ぐらいで来るということだっ

た。


 やがて美保は紺のスーツ姿で現われた。帰るだけなのに、わざわ

ざ化粧を直していた。まあ、泣いていたから当然といえば当然だろ

うが。


「やっぱ美保はスーツ姿が様になるよ」

 おれはご機嫌をとるように言った。

「それって、ほめ言葉とは言えないんじゃないの?はい、佳奈の服」

 美保はスウエット・スーツをきれいに折りたたんで、おれに渡し

た。


「じゃ、帰るわ」

 そう言うと美保はショルダー・バッグを肩から掛け、玄関に向お

うとした。

「下まで送るよ。タクシーはまだ来てないと思うから」


「いいわよ。もうそんなに寒くないし、待っていればそのうち来る

わ」

「そういうわけにはいかん。時間が時間だしな」

 美保はおれの言葉を無視するように、さっさと靴をはいていた。

タイトなミニスカートから伸びる足がまぶしかった。アパートの階

段を降りると、ものの数分もしないうちにタクシーが来た。


 美保はおれに何も言わずに、タクシーに乗り込もうとした。

「美保。明日は十一時過ぎに迎えに行くから。わかってるな」

「わかってるわよ」


 それだけ言うと、美保はタクシーに乗り、運転手に行き先を告げ

た。タクシーを見送りながら、おれは美保の言った言葉を思いだし

た。

『人間というものは幼い頃に育った環境が人生に大きな影響を与え

る』








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ