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5.後悔

アヤの後姿を見ながら、おれは手酌で酒をつぎ飲んだ。少しアル

コールが回ってきたようだ。いきなり日本酒から飲み始めたせいだ。

隣のお京さんを見ると、本格的な眠りに入っていた。だが、これ

が帰る時分になると、目を覚ましてしっかりとした足どりで帰って

行くのだ。ほんとに酒が強い人だ。


 おれは酔いを覚まそうと、立ち上がった。トイレで用を足して、

宴会場には戻らず、アヤの元気な歌声を背にして、外に出た。

おれはまた小川へ行った。夜空を見上げると、星がいくつか見え

た。星を見ながら、さっきアヤが言っていた言葉を思い出した。


『デートか・・・そういえば佳奈ともよくデートしたっけ。南へ行

こうと言って、鹿児島の佐多岬まで車を飛ばした。着いたのは夜明

けで、ふたりで夜明けの海を見た。あの時佳奈に指輪を渡し、佳奈

は涙ぐんで受け取ってくれた。今考えるとあの時が一番よかったな。

その佳奈は・・・』


 その佳奈は指輪を渡し将来を誓いあった日から、二週間後におれ

の前から永遠に姿を消した。その出来事は思い出したくないし、何

度も忘れようとした。だが、忘れられるはずがなかった。


 佳奈は突然いなくなった。今思うとその日は悪いことが起こるよ

うになっていたのかもしれなかった。おれは仕事で重大なミスをし、

得意先を方々回って疲れきって会社に帰ってきた。


 時間は11時をまわっており、当然事務所には誰もいなかった。椅

子に座り、放心状態で仕事のミスを悔やんでいる時に携帯が鳴った。

 佳奈だった。


 佳奈はずいぶん自宅にに電話したが、出ないのでしかたなく携帯

に連絡したそうだ。佳奈は今すぐ会いたいと言っていた。そういう

ことを言うのは佳奈にしてはめずらしいことだ。それに佳奈はよほ

どのことがない限り携帯にはかけず、留守電にメッセージをいれる。


 おれは疲れているので今夜は勘弁してくれと言った。佳奈はどう

しても今夜会って話したいことがあると言い張った。そして、疲れ

ているのなら私から自宅に行くと言って、一方的に電話を切った。


 おれは疲れた体をひきずるようにして、帰った。晩飯もまだだっ

たのでコンビニに寄り、弁当を買った。ふだんなら遅くなった時は

外食するのだが、佳奈も来ることだし、とにかく早く帰り横になり

たかった。


 帰ると、おれは弁当を無理やり胃の中に押し込んだ。食欲さえも

失せていた。十分もかからず食べ終えると、お茶を飲みながら佳奈

を待った。人間何か食べると落ち着くもので、おれは佳奈の電話の

様子がおかしいとは思ったが、まあ来ればわかることだと考え直し

た。だがやはり疲れからか、三十分もすると、ウトウトと寝込んで

しまった。


 そして、おれが起きたのは一本の電話だった。時間は朝方の六時

頃だった。電話をかけてきたのは佳奈の親友の美保だった。その時

はじめて佳奈が交通事故に遭ったのを知った。美保は泣きながら言

うので、よく聞き取れなかった。おれは交通事故というのだけ聞き

取れたので、そこではっきりと目が覚めた。そして美保から病院の

居場所を聞き、車を飛ばした。


 病院に着くと、佳奈はすでに霊暗室で眠っていた。線香の匂いが

鼻についた。おれは佳奈の顔を見た。とても交通事故に遭ったとは

思えないやすらかな顔だった。おれが好きだったショートカットの

髪も、形のいい唇もそのままだった。ただ、おれは呆然と立ち尽く

すだけだった。


 そして、肩をポンと叩かれ、我に返った。横には剛がいた。剛は

おれと子供の頃からのつきあいで、親友だった。剛はおれの顔を見

て、何も言わずにただやるせない顔をした。そして剛に抱かれるよ

うにして、美保がうなだれていた。


 警察の話によると、佳奈は赤信号を無理に突っ込んで事故に遭っ

た。原因はスピードの出し過ぎで、大型トラックに追突した。かな

りスピードをだしていたために車から外に投げ出され、頭を打った

らしかった。投げ出された場所が田んぼだったので、外傷はなかっ

た。


 直接の死因は脳内出血だった。時刻は午後十一時半ぐらいでおれ

が眠りかけていた頃だ。そして、驚くことにお腹には子供を宿して

いた。それを聞いてはじめて悲しみが襲ってきた。


 おれはまわりがびっくりするくらいに泣いた。剛はおれを引きず

るようにして、病院の外へ連れだした。おれは剛の足元に崩れるよ

うにして泣き続けた。涙というものはこんなにでるのか、というほ

どに泣いた。


泣きながら、おれは思った。佳奈は妊娠していることを一刻も早

くおれに知らせたかったのだろう。妊娠したことをおれが喜んでく

れるかどうか、不安でいっぱいだったのだろう。


 なぜ、おれは昨夜佳奈に会いに行かなかったのか。なぜ、疲れた

体にムチ打ってでも行かなかったのか。佳奈の様子がおかしいと感

じながらも行かなかった。おれが行きさえすれば、佳奈は死なない

ですんだ。いや、佳奈だけではない。新しく生まれてくる命さえも。

 おれが行ってさえすれば・・・。後悔が後から後からわきでてき

た。


 剛はそんなおれに何も言わなかった。今思うと、剛はおれに言う

言葉がなかったのかもしれない。言っても無意味だと思ったのかも

しれなかった。だから、おれと剛と美保はその日言葉は交わさなか

った。別れる時も手を上げただけだった。それから、おれたち三人

の関係が微妙にズレ始めた。


「ここは風が気持いいねぇ」

 お京さんの声がして、おれは我に返った。お京さんのほうを振り

返り、おれは時計を見た。ずいぶん時間がたっていた。お京さんは

自分の頭を軽くたたくしぐさを見せた。


「飲みすぎですか?」

 おれは聞いた。

 お京さんはおれの隣に来て言った。

「あたしもずいぶん弱くなったもんだ。すっかり寝込んじまった」

 

「酒豪のお京はもう引退ですか?」

「そうかもな。歳には勝てないよ。ところで、たしか明日は三回忌

だろう?」


 おれは驚いた。お京さんは佳奈の三回忌を覚えていた。

「よく知ってますね」

「あたりまえだ。おまえ、真っ青な顔して出社してきただろう」

「そうでした。通夜にも出ないで、出社してきたんですよね」

「そして、あたしと明け方まで飲んだんだよ。不思議と泣かなかっ

たな、おまえは」

「涙はもう前日に出尽くしてましたから」


 ふいに風が強くなった。川辺にある草花が悲鳴をあげた。春の風

というのはきまぐれだ。おだやかだと思えば、急に突風が吹く。お

京さんは髪を押さえながら言った。


「まだ、彼女のこと忘れられないか?」

「早く忘れようとは思ってるんですけど・・・」

「そうだろうな。結婚まで約束した女だ。忘れようと思っても無理

かもしれないね。だけど、区切りは見つけないといけないよ」

「区切りですか。だけど、どこでつけたらいいのか・・・」

「つけるんじゃなくて、見つけるんだ。それは新しい恋人ができた

時かもしれないし、仕事かもしれない。人それぞれさ。だけど、こ

れだと思った時はつかむことは忘れないでおくことだよ」

「そうですね」


「明日、彼女とよく話してくればいい。彼女もいつまでも、おまえ

に想われてることを半分は喜んでるかもしれないけど、半分は心配

してるよ、きっと」

 おれはお京さんの言葉が、ひとつひとつ心に重く響いた。そして

そろそろ潮時かもしれないとも思った。


「あ、もうこんな時間だ。テル、戻るよ」

 お京さんは時計を見ると、あわてて言った。

 宴会場に戻ると、みんなそれぞれ立ち上がっていた。どうやら宴

会も終わり、最後にもう一度乾杯して締めるらしい。おれもお京さ

んも、あわててそれにならった。


「では課長、よろしくお願いします」

 古賀主任が課長に言った。

「よし。それでは、近藤彩さんの入社を祝して・・・」

 課長の言葉は途中で遮られた。遮ったのはお京さんだった。

「課長、もうひとつ忘れてませんか?」

 お京さんに言われ、課長はきょとんとしていた。

「テルのことですよ」


「あ、そうか。すまん、すまん。みんなも知っているとは思うが、

今日は高橋君がどえらい仕事をとってきた。これは称賛に値すると

思う」

 次の瞬間、宴会場に拍手が鳴り響いた。おれはさすがに照れ臭か

った。まったくお京さんも余計なことを言ってくれる。


「高橋、何かひとこと言え」

 古賀主任がおれの方を見て、ニヤニヤして言った。

「いえ、仕事をとったと言っても契約はまだですから」

「おっ、そこまで言えるようになったら一人前だ。ねえ、課長」

 古賀主任はえらく機嫌がいい。


「ハハハ・・・そうだな。それじゃ乾杯のやり直しだ」

 課長がそう言うと、みんなは再びコップを上にあげた。

「近藤彩さんの入社と高橋君の仕事の成功を祝ってかんぱーい」

 かんぱーいと陽気な声が鳴り響いた。


「えっと、二次会はいつものようにカラオケとスナックに別れるか

らな。スナックはおれ、カラオケは森田のとこへ集まってくれ」

 古賀主任は完全に仕切っていた。うちの会社の二次会はこれが恒

例になっていた。森田さんというのは営業課だが、おれのセクショ

ンとは違う。営業課は一課と二課に別れていて、おれがいるのは一

課で、森田さんがいるのは二課だ。二課は小型の精密機械の部品販

売をやっている。いわゆる、センサーなどの電子部品のたぐいだ。


 森田さんは二課でも一番若くい。おれと森田さんはけっこう気が

合うのだが、この頃は仕事が忙しかったので、この頃は話す機会も

あまりなかった。



「高橋、どうする?行くか?」

 森田さんがおれの肩をポンとたたいて言った。言われて、おれは

ちょっと迷った。アヤはどうやらカラオケに行くようで、森田さん

の隣にいた。アヤと、もう少し話したい気持もあったが、やはりや

めることにした。明日は佳奈の三回忌だ。


「明日、大事な用件があるので、今日はやめときます」

「そうか。まあ、今日は仕事で疲れてるだろうしな」

 森田さんは無理には誘わなかった

「テルさん、行かないんですかぁ。せっかく、テルさんの歌聞ける

と思ったのに・・・大事な用って彼女とデートですか?」

 アヤは屈託のない笑顔で言った。


「まあ、そんなとこだな」

 おれは複雑な気持で言った。

 白鳥を出ても会社の連中は酔いも手伝ってか、なかなか帰ろうと

せずにたむろしていた。なかでもアヤは大人気で、アヤ自身はカラ

オケに行きたいらしいのだが、スナック組からもさかんに誘われて

いた。だが、アヤは森田さんにベッタリだ。まあ無理もないだろう。

 森田さんはイケメンだから。


 おれはみんながいい気分になっているのを白けさせないように、

課長にこっそりと言った。

「課長。今日は申し訳ないんですが、お先に失礼します」

「わかっとる。今夜は疲れてるとこ、申しわけなかったな。帰って、

ゆっくり休んでくれ」

 課長からそう言われると、おれはみんなから気づかれないように、

白鳥を後にした。ただ、お京さんだけには目配せをした。どうやら、

お京さんはアヤの監視役でついて行くようだ。

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