LAST. クロスロード
一ヶ月後。おれは空港にいた。それも国際線のターミナルだ。
夏は街からすっかり姿を消し、秋の気配が包み込もうとしてい
た。どうもおれはこの秋っていうのが苦手だ。秋という季節はな
ぜか人を寂しくさせる。わけもなく人と話したくなる。特に今年
はおれの周りではそうだった。今、おれは親友の旅立ちに立ち会
っていた。
「剛。いよいよだな」
「ああ。おれは今とんでもないことをしているのかもしれない」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。それは後になってわ
かることだ」
「人生のクロスロードか・・・」
「何だ、それ」
「テル。まえにロバート・ジョンソンの話をしたろ?」
「ああ」
「そのジョンソンのナンバーで、クロスロードって曲があるって
言ったのを憶えているか?かの有名なエリック・クラプトンもカ
バーしている」
「ああ。言ってたな、そういえば。クロスロード・・・道と道が
交わる所」
「クロースロードは何もない十字路だ。決めるのは自分。まっす
ぐ進むか、右に曲がるのか左に曲がるのかは、自分で決めなけれ
ばならない。決めるのは自分であって、他人ではない」
「なるほど。人まかせの人生なんてつまらないもんな」
「ちなみにジョンソンは、ブルースをうまく歌いたくなりたいが
ために悪魔に魂を売った。それがある道の曲がり角だったらしく
て、それでクロースロードは生まれたという伝説がある。まあ五
十年前以上の話だがな」
「ふーん。おまえも美保も今クロスロードに立っているんだな。
なんかおれひとり、取り残された感じだな」
「テル。クロスロードは突然やって来るんだよ。それは明日かも
しれないし、一年後かもしれない」
アナウンスが流れ始めた。ニューヨーク行きの搭乗手続きが始
まったようだ。
「もう行くんだろ?」
「そうだな」
「美保のことは踏ん切りがついたか?」
「だいたいな。サーキットで美保と会って話した時、あいつやっ
と自分自身を見つけたって感じだった。だから、おれも自分のこ
とだけ考えようと思ったんだ」
「それを聞いて安心したぜ。でも、おれたち三人はいつまでも仲
間だからな。それを忘れるなよ」
「わかってる。よし、そろそろ行くか!」
剛はそう言うと、手を差し出した。おれと剛は握手をした。
「じゃ、アメリカで暴れてくらぁ」
「無理すんなよ。落ち着いたら連絡くれ」
剛は頷くとおれに手をあげて歩き出した。おれは剛を見ながら
思った。
『あいつは、今クロスロードを右に歩いているのか、それとも左
なのかな。案外、まっすぐに歩いているのかもしれない』
剛を見送った後、おれは街を意味もなく歩いた。今はたまらな
く寂しかった。救いなのは、アヤが少しずつ元気になっている様
子だった。あのマンションも引き払い、家具や電化製品は売ると
いうことになった。引っ越す時は、手伝いに行く予定だった。
そして美保は、ニューヨークでけっこう楽しく暮らしている様
子だった。身近に話せる友人がいなくなるというのは、つらいも
のがあった。
おれは少し歩くのに疲れて、カフェに入った。コーヒーを頼む
と、封筒を取りだした。美保からだった。美保は結婚する男とニ
ューヨークで暮らしていて、何と学校に行っているらしかった。
デザイナーの学校へ行き、毎日必死で勉強しているということ
だった。
どうやら将来夫婦で会社を切り盛りしたいというのが美保の希
望らしく、そのための勉強らしかった。しかし変われば変わるも
のだ。 おれと話している頃は結婚しても遊びたいと、言っていた
奴がこうも変わるとは・・・
それにしても美保からの伝言が気になっていた。
「ところで由樹ちゃんのことだけど、彼女けっこう変わったみた
い。近々、テルに会いに行くって言っていたから、よろしくね」
いったいこれはどういう意味なのか、近々会いにくるって本当
なのだろうか。できればあまり会いたくない。あれだけレースで
やられた相手だし、また佳奈のことで口論したくない.
おれはカフェでコーヒーを一口飲んだ。
ここは二階なので、街の様子がよく見えた。日曜日の昼下がり
なのでカップルの姿が目につく。
『そろそろおれも踏ん切りをつけるころだな。剛も美保も、前に
進み始めた。今度はおれの番だ。佳奈もそれを望んでいるだろう。
そうだよな、佳奈?』
おれは空を見上げながら、佳奈に問いかけた。が、答えは返っ
てこなかった。おれは苦笑いして思った。やはり佳奈は別れをサ
ーキットに言いに来たのだ。おれは今でもそう思っている。
「ご一緒してもかまいませんか?」
ふと女性の声がした。考えごとをしていたので、おれはびっく
りした。だが、その声の主を見てまたびっくりした。髪型は変わ
っているが、たしかに由樹だ。
「あ、き、君は・・・」
「お久しぶりです。高橋さん」
なんだか話し方まで変わっている。おれは思わずコーヒーをこ
ぼしそうになった。
「どうしてここに・・・」
「奇遇ですね・・・なーんてね。嘘ですよ。実は後つけてきちゃ
ったんです。どうしても話したくて」
「話しね・・・ところで体の方は?」
「あの時はありがとうございました。おかげで一日入院しただけ
で大丈夫でした」
「それはよかった」
「高橋さん。ここではっきり言います。あのレース、私の負けで
す」
「それは違う。優勝は君だよ。おれはゴール寸前で抜かれたんだ
から」
「抜いたんじゃありません。並んだだけです。ただマシンのフロ
ントが長かっただけです。あれは私の負けです。私、初めてでし
た。コーナーであれだけプレッシャーをかけられ、そしてストレ
ートで焦ったのは」
「コーナーでのプレッシャーは、ほとんど賭けみたいなものだっ
た。君に負ければ二位で終わろうと、クラッシュしようと同じだ
と思ったんだ。だからあそこはあえて無理をした」
「高橋さんと走って初めてレースの怖さと楽しさを知りました。
最終コーナーを立ち上がる時、高橋さんの気迫を感じました。そ
してホームストレートでは、怖い気持ちと負けたくないという気
持ちが入り混じって無我夢中でした」
「でも、結果は結果だよ」
由樹はそれから数分の間、話さなかった。というより話すタイ
ミングを見計らっているようだ。
「高橋さん。私、謝ります。私はあなたの走りに感動しました。
自分が恥ずかしくなりました。個人的な恨みだけで、あなたを負
かそうとしたことに。あなたは正々堂々と戦っているのに、私だ
け卑怯でした。佳奈ちゃんとのことは全部嘘です。出まかせでし
た。本当にすみませんでした」
由樹は頭を深々と下げた。
「そうか。だがそう簡単に、はいそうですかとは言えない。君は
先輩にも迷惑をかけたはずだ。これはルール違反だ」
「はい。先輩というのはNSXのドライバーの方ですね。その方
にも謝りました。かなり言われましたけど」
「だろうな。先輩はルールには厳しいからな」
「ええ。ですから、事務局から三か月間のサーキット出禁を言い
渡されました」
「そうか・・・」
おれはそれを聞いて、唸ってしまった。たしか由樹はオーナー
の知り合いだったはずだ。少し、オーナーを見直してしまった。
「ドライバーにとって、それは厳しいな」
「いえ。永久追放にならなかっただけでも、ありがたいです。出
禁期間中はカートで腕を磨きます」
由樹は晴れ晴れとした表情で言った。
「ということは、レース活動は続けるということか?」
おれは由紀に聞いた。
「はい。高橋さんとのバトルで、レースの怖さを思い知らされた
ましたけど。それ以上に素晴らしさも知りました。今度は正々堂
々と勝負しましょう」
由樹は手を差し出した。おれは立ち上がり、由樹と握手して別
れた。
日が暮れ始めていた。すっかり気候は過ごしやすくなっていた。
おれはそんな夕暮れの空を見ながら、剛の言葉を思い出した。
『クロスロードは突然やってくる』
なるほど。由樹がおれにとってのクロスロードなのか。
『佳奈。これもおまえが仕組んだのか?』
おれは佳奈に問いかけた。答えはなかった。
『おれもそろそろ、一歩踏み出さないとな』
夕暮れの向こうに、笑う佳奈の姿を見たような気がした。(了)