表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/36

30.フリー走行

 八月十五日、午前九時。レイクランド・サーキット。空は雲ひ

とつない快晴だ。おまけに気温は二十八度前後で、容赦ない陽射

しがサーキットの路面を照りつけている。


 おれはパドック中央の椅子に座り、腕を組んでピットロードに

停めてあるマシンを見ていた。マシンはきれいにワックスがかか

り、光を反射していた。


ソニック・ブルーが目に眩しい。レースが終われば痛々しい姿

になるのはわかっているが、おやっさんはいつもレース前にきれ

いに洗車をしてくれていた。


「わりい。わりい。すっかり遅れちまった」

 賑やかな声がパドック内に響いた。剛とアヤだった。

「おう。やっと来たか」

「車が混んでてな」

「そうか。アヤちゃん、よく来たな」


 アヤはペコリと頭を下げた。さすがにまだ元気がない。アヤは

おれがマンションを尋ねた翌日から出勤してきた。会社では明る

く振る舞っていたが、かえってそれが痛々しく見えた。サーキッ

トに来るのを最後までためらっていたが、剛に強引に連れてきて

もらった。


「テル。ほんとにおれたち、ここにいていいのか?」

「ふたりにはパドックで見てもらいたいんだ。ここにいるとレー

スそのものがダイレクトに伝わってくるから」

 おれは剛とアヤにパドックでレースを観戦してもらうことにし

ていた。観客席と違ってパドックはレース全体を見渡すことはで

きないが、レースの雰囲気を肌で感じ取れる。


「テル。そろそろ準備しろ。フリー走行が始まるぞ」

 おやっさんから言われ、おれはパドックの隅でレーシングスー

ツに着替え始めた。レーシング・スーツに腕を通すと、一瞬緊張

が走った。そしてグローブをはめシューズを履く。最後に傷だら

けのヘルメットを手にした。

 フリー走行は、全開で走らず、タイヤを路面に慣らしたり、コ

ースの最終チェックのために走るようなものだ。

 

 おれは剛とアヤを見て言った。

「行って来る」

「無理するなよ」


 おれは剛の言葉に頷いた。アヤは心配そうな顔をしている。

「アヤちゃん。ちょっと手伝ってくれ」

「私が?」

「うん。おれは今からサーキットに出る。その出るタイミングを

おやっさんが見て合図する。おやっさんが合図したら、おれに教

えてくれ」


「私でいいんですか?」

「ああ。いいだろ?おやっさん」

「おまえがいいならかまわんよ」

 おやっさんはニッコリとして言った。

「わかりました」

 アヤはやっと笑った。


 おれはヘルメットを被った。ゆっくりとマシンに近づく。マシ

ンに乗り込み、シートに体を預ける。シートは体をガッチリとホ

ールドしてくれる。クラッチを切り、キーを回す。マシンが目を

覚ました。背中に低いベース音が伝わる。

「いいか。一週目は慣らしで軽く流せ。二週目からは各コーナー

のラインをできるだけ外さないように走れ」


 おやっさんはそう言うと、マシンから離れた。アヤはパドック

の前に立ち、おやっさんの方を見ている。おれはクラッチをつな

ぎ始めた。回転数が五千回転ぐらいがスタートにはちょうどいい。

おれはアヤをじっと見ていた。すでにサーキットにはエキゾース

ト・サウンドが響いている。数秒後、アヤがおれを見て大きく腕

を回した。スタートだ。


 マシンはスムーズにスタートした。ピットロードを少し走り、

コースに出た。他のマシンは視界には入っていない。いいタイミ

ングだ。一週目はタイヤを慣らすために軽く流した。


 二週目からコーナーのライン取りを確認する。名物の橋の手前

で背後にマシンの気配を感じた。フェニックス・ブルーのNSX、

先輩だ。まだおれは二週目なので、進路を譲った。先輩は横を走

り抜けた。


 そして急にスローダウンして、窓から手を出して何事か合図し

た。

『ついてこいということか』

 再び先輩は加速した。おれは先輩の後を追った。他のマシンが

だんだんと視界に入ってくる。先輩を追いながら、いつのまにか

おれはNSXをバイパーに見立てて走っていた。


 NSXはバイパーと幅、長さはたいして変わらない。もちろん

ミッドシップとFRで走りは違うが。ただ先輩はミッドシップで

ドリフトをやる人なので参考になるかもしれない。


 案の定コーナーではドリフト走行だった。ただ、フリー走行な

ので派手なドリフトではない。ただ、大変参考になった。バイパ

ーを抜けるコーナー、抜いてもすぐストレートがあり、抜き返さ

れるコーナーとに分けることができた。


 抜けるのは一コーナーを過ぎてからの第一シケイン。ここはタ

イトなシケインでインプレッサには有利だ。そしてゆるやかなコ

ーナーが続くが、たぶんここで抜き返されるだろう。

 

 ゆるやかなコーナーと言っても、ほぼストレートに近い。だが、

それが終わると、第二シケインがある。ここは第一シケインより

もタイトなので追いつける可能性がある。


 そして橋のストレートまではコーナーが続く。橋の手前でどれ

くらいまで引き離さすことができるかだ。ただ、第一シケインで

失敗すれば抜ける箇所はない。つまり第一シケインでプレッシャ

ーをかけることができるかどうかだ。


 おれは何周もNSXのリヤを見ながらそう思っていた。やがて

フリー走行を十周ほどで終わらせ、おれはピットインした。マシ

ンをパドック前に滑り込ませるように停車させ降りた。おやっさ

んが小走りで駆け寄ってきた。

「どうだ?いけそうか?」

「マシンの調子は問題ない。タイムアタックもこのままでいけると

思う」


 おれはヘルメットを脱いだ。汗が髪の毛の先まで濡れている。

 真夏のレースは暑さも強敵だ。スタミナがなければ脱水症状をお

こしかねない。


「テルさん。はい、これ」

 アヤがバスタオルをおれに差し出した。

「おっ、サンキュー。パドックに女性がいるとやっぱ違うな」

「テル。あの女、走ってたか?」

 

 剛はミネラルウォーターが入ったペットボトルをおれに差し出

しながら言った。おれは受け取ると、一口飲んだ。がぶ飲みは禁

物だ。

「あ、そう言えば・・・、そんなこと全然考えなかった」

「おまえものんきな奴だな。クラッシュさせられるかもしれない

ってのに」

「別にのんきにしてるわけじゃない。今は自分のことで精一杯な

だけだ」

「余計なことだったか」


「いいさ。剛がそう思うのも当たり前だ。だがレースというのは

相手よりも自分自身に打ち勝つことが大事なんだ」

「おれ、毎年おまえのレース見ていて思うんだが・・・なぜ趣味で

そこまで一生懸命になれるんだ?」


「趣味だろうとプロだろうと、レースをやるなら半端な気持ちで

やってはいけない。いい加減な気持ちで走っていると、それがマ

シンに伝わる。そうなるとサーキットは牙を剥くのさ。これはお

やっさんから教えられたんだけどな。じゃシャワー浴びてくるわ」

 





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ