3.歓迎会
おれは健人にそう言いながら、車から降りた。竹薮が風に吹かれ
てざわざわと音をたてていた。すぐに宴会場に向わず、小川の方へ
歩いた。小川に近づくにつれ、せせらぎの音が耳に心地よく響いた。
まわりは住宅地なのに、ここだけは田舎のような風景がある。
おれはこの小川が大好きだ。子供の頃、自分の家の近くの川で魚
を取ったり土手で凧あげをしたりして、一年中、川が友達のような
ものだったからかもしれない。
少しの間おれは小川のそばにたたずんだ。せせらぎと風がたわむ
れていた。さすがに外はすっかり暗くなっていたので、水面は見え
ない。だが、夜の川のせせらぎもいいものだ。
おれは小川の近くに腰をおろし、物思いにふけった。
『佳奈、早いものでもう二年たつよ。佳奈がおれの前からいなくな
って・・・星になった気分はどうだい?おれはあいかわらず佳奈を
忘れられない。佳奈と会えなくなって、笑うことも少なくなったよ
うな気がする。でも、佳奈なら言うだろうな。テル、しっかりしな
よ、男だろうってね』
そんな感傷的な気分になっていると、ふいに後から元気のいい声
がした。
「こらっ!どうも遅いと思ったらこんなとこで油売ってたのか!」
おれは思わず後を振り返った。暗くて顔はあまり見えなかったが
声ですぐわかった。お京さんだった。
お京さんはズカズカとおれの方へ来ると、いきなり耳を引っ張っ
た。
「イテテ・・・なんですか、いきなり」
「もう私は待ちくたびれたんだよ。お酌してくれる相手がいないと
な、どうもピッチがあがんないんだよ」
「もう十分できあがってますよ。アッ。イテテ・・・わかりました
よ。行きます、行きますから耳を引っ張んないでくださいよ」
それから、おれはお京さんに腕をつかまれて、あっという間に宴
会場へ連れ込まれた。
『あ~あ。今日も酔っぱらい女のお相手か・・・』
そんなことを思いながら宴会場に入ると、耳に飛び込んできたの
は拍手と叫び声だった。
「よっ!やっと来たなヒーロー」
その声は何をかくそう社長だった。顔は満面の笑顔で、すっかり
アルコールが回っているようだ。社長は笑顔には縁遠い人で、いつ
も難しい顔をしている。だが、酔うとやたらに笑う。笑い上戸なの
だ。だから今夜は完全にできあがっている。
「遅くなって、申し訳ありませんでした」
そう言って、おれはお京さんの隣に座ろうとした。すると益満課
長がおれの方を見て手招きしていた。
「高橋。こっち、こっち」
課長もだいぶできあがっているようだ。課長だけではない。ほと
んどの社員がいい気分になっているようだった。
おれは言われるがまま、課長の席へ行った。すでにテーブルの上
にはお銚子が数本寝かせてある。課長の前に座ると、いきなりお銚
子を持って社長がやってきた。
「いゃあ、今日は本当によくやってくれた。君は我が社のホープで
もあり、命の恩人だ。まあまあ、一献やりたまえ」
社長はそう言いながら、おれに酒をすすめた。
「命の恩人だなんて大袈裟ですよ、社長」
「いや!大袈裟ではない!この売り上げが停滞気味の時期にこれだ
けの大仕事をやってくれたんだ。どんな褒め言葉でも言い足りんく
らいだ!」
『やばいな~完全にできあがってるな。褒めるのもそのへんにしと
いてくれ~。おれひとりで営業やってんじゃないんだから。先輩た
ちに皮肉言われるのはゴメンだぞ』
おれは内心あせりながら、社長に返杯した。だが、タイミングよ
く課長が助け船をだしてくれた。
「ところで社長。家の用事はよろしいんですか?」
「おお。そうだった、そうだった。そっちも気になっとたんだが、
高橋君にひとこと礼を言っときたかったんでな」
「高橋。社長は君が来るまで帰るわけにはいかんとおっしゃてたん
だぞ。用事もあるにもかかわらず」
課長はおれの顔を見て言った。
「それは社長。申し訳ありません」
おれは恐縮して社長に頭を下げた。
「ハハハ・・・。頭を下げたいのはこっちの方だ。いや高橋君、ご
くろうだった。今夜は君と飲み明かしたいぐらいだが、どうしても
外せん用事があるもんでな。まあ、今度ゆっくりと飲もう」
そう言うと社長は立ち上がった。
「よーし。みんな社長がお帰りになるぞ」
課長が宴会場いっぱいに響くような声で言った。
「お疲れさまでーす」
気分よく飲んでいた者も、慌てて杯を置いて言った。これで宴会
の一部は終わった。社長がいる間が一部で、社長が帰ってしまうと
二部が始まる。当然、だいたいの者ができあがっているので、ここ
からはどんちゃん騒ぎになる。カラオケあり、なかには腹踊りなん
かする者もでてくる。
「高橋君。改めてお疲れだったな。実際、君が今回の仕事を成功さ
せることができるか、少々不安だった」
課長はおれの顔をにこやかに見て言った。
「私の方は不安だらけでした。出す書類、出す書類が再提出の連続
でしたから。今日だめなら、課長にまかせるしかないと思ってまし
た」
「まあ、君がダメなら僕が行っても同じだろう。あそこの部長は担
当者がダメだったから、上が行ったらいいかというような人ではな
いよ。担当者というのは会社を代表して来てるというような考えだ
からね。君の努力のたまものだよ。継続は力なりとはよく言ったも
んだ」
「まったくです」
それから、おれと課長はこの四ヵ月間の苦労話に花を咲かせた。
まわりでは案の定、カラオケ大会が始まっていたが、おれの耳には
あまり入ってこなかった。それほどおれは仕事を取ったことが嬉し
くて、課長との話に熱がこもっていた。
話が一段落つくと、課長が思いついたように言った。
「お、そうだ。今夜のもうひとりの主役を君に紹介しとかんといか
んのだった。えっーと、近藤君はどこにいったのかな・・・」
「あ、いたいた」
と課長は言ったとたん、顔色が変わった。いや、顔色は酔っている
のでわからないが、顔つきが変わったようだった。
「高橋君。お京さんが、こっちを睨らんどぞ。少しサービスしとい
てくれ。なにせ、お京さんは君がお気に入りだからな」
「え、勘弁してください。あの人に近くに行くと、酔い潰されます
よ」
「だめだ。あんまり君を独占していると、お京さんがへそを曲げて
しまう。僕も恨まれるのはいやだからな。それに今日の主役もあそ
こにいるから。さあ行った、行った」
課長は手のひらを返したように、おれに言った。
『なんで課長はお京さんに頭があがらないのかなぁ。これじゃ、ど
っちが上司かわからないな』
おれはそう思いながら、課長命令(?)に従い、お京さんのいる
席へ向った。なるほど、お京さんの前に初めて見る顔があった。