29.告白(後)
おれがきっかり十分後、マンションに行くとすでにアヤは玄関
に立っていた。どうやら厚化粧を落とし、化粧し直したらしい。
服装もTシャツにジーンズに着替えている。やっとおれが知って
いるアヤらしくなった。だが表情は暗かった。
「よお」
「すみません。わがまま言って」
「気にするな。それにあのまま帰っていたら後味が悪かったし」
家に入ってもらえますか?コーヒーぐらいご馳走します」
「いいのか?こんな夜遅く男を部屋に入れて」
「テルさんは特別です。信じていますから」
「信じていますかぁ。これじゃ喜んでいいのかわからねぇな」
おれが言うと、アヤは笑った。やっぱりこの娘は笑顔がよく似
合う。
アヤに招かれ、中に入ると新築の匂いがした。予想通り3LD
Kだったが、その廊下の長さや部屋の広さに驚いた。リビングだ
けでも二十畳近くある。
そこにはおれには逆立ちしても買えそうもない、大画面テレビ、
オーディオセット、高級ソファー、ガラステーブルなど高級感溢
れる代物ばかりだ。
ただおやっと思うのが、そんな高級物ばかりなのだが、女らし
さが感じられなかった。それは車に関するアクセサリーが多いか
らだろう。壁には額に入ったフェラーリのイラストが掛けられ、
棚にはミニチュアモデルがある。それも歴代のフェラーリばかり
で、よくもまあこんなに集めたものだと、思ってしまうほどだ。
「コーヒー入れますから、そこのソファーに座ってて下さい」
「う、うん。ありがとう」
おれはソファーに座った。部屋は涼しく快適だった。エアコン
が入っているのだろうけど、音が全然聞こえなかった。やがてア
ヤがアイスコーヒーを持って、ソファーに座った。
「じゃいただきます」
アイスコーヒーを飲むとやっと落ち着いた。
「ずっとマンションの前で待ってたんですか?」
「まあな」
「もし私が帰ってこなかったらどうするつもりだったんですか?」
「十一時まで帰ってこなかったらあきらめただろうな。十一時ま
では待とうって決めてたからね。おれ思い込むと頑固なんだ」
「すみません」
「すみませんはさっき聞いたよ。それにしても車に関するものがこむ
多いな。車というよりもフェラーリと言ったほうがいいかな」
「・・・」
アヤは悲しい顔をした。そして静かにアイスコーヒーを飲んだ。
「バカですね、私。フェラーリが好きな男性に惹かれて、それで
自分も必死でフェラーリのこと好きになろうとした。滑稽ですよ
ね」
「好きになった相手が自分の知らない世界を知っている。それを
知りたいと思うのは自然の成り行きだよ」
「でも捨てられてしまった。どんなに私が譲歩してもあの人は振
り向いてくれない」
「聞くけど、アヤちゃんが好きな男はおれにも関係あるだろう?」
「・・・はい。私が好きな男性・・・じゃないですね、もう。好
きだった男性はテルさんが走りに言っているレイクランド・サー
キットのオーナーです」
「やはり・・・そうか」
「テルさんにはいつか話そうとは思っていたんですけど、話せな
かった。だって私の恋愛は世間では許されないことだから。不倫
という・・・」
「アヤちゃんとオーナーが一緒にいるところを二度見かけた」
「そうですか・・・テルさんのこと、あの人から聞かされました」
「オーナーが?オーナーはおれを知っているのか?」
「はい。テルさんのことを誉めていました。4WDをサーキット
であそこまで走らせる奴はそういないって」
「ふーん。オーナーがおれの走りをそんな風に・・・」
「あの人も若い頃、レース活動やっていたそうです。もっとも今
みたいに日本にはサーキットはなかったらしくて・・・あったの
は鈴鹿と富士だけって言ってました。だからサーキットを作りた
かって」
「そんな話をよくしてたのか?」
「私はあの人のレースの話を聞くのが好きでした。あの人とは北
海道で会ったんです」
「北海道?アヤちゃんって北海道出身だったけ?」
「ええ。福岡に来るまでは北海道にいました。友達と居酒屋で飲
んでいる時にあの人が隣りだったんです。そこで話したのが最初
でした。仕事で来たと言っていました。仕事というのはもちろん
サーキットを作ること。でもなかなかうまくいってないみたいで
した」
「手広くやっているんだな。ひょっとしたらレイクランドも北海
道をイメージして作ったんじゃないかな。湖なんて北海道にピッ
タリだし」
「さすがですね。そのとおりです。北海道ではサーキットはなか
なか作れないらしいんです。環境破壊ということで反対されるし、
あと冬の寒さでサーキットを作ったとしても、維持費が相当かか
るということでした」
「そうだな。北海道だったら冬なんては走らせること全然できな
いだろう。こっちだったら冬でも走ろうと思えば走れるしな」
「そんな話をしているあの人の顔は輝いてました。男は夢を語る
時、少年になるって本当だなって思いました。それから私はどん
どんあの人に惹かれ始めました。初めは電話で我慢してたけど、
会って話したいと思ったら、いてもたってもいられなくなって。
それから熊本にサーキットを作るっていうのを聞いて、北海道か
ら九州に行くこと決めたんです」
「すごい行動力だな。親は反対しなかったのか?」
「反対されました。父は亡くなっていたから、母から猛反対され
大喧嘩になりました。姉もあの人のことを話したら最初はいい顔
しませんでした。当然ですよね。母ほど猛反対はされませんでし
たけど、やはり賛成はしてくれませんでした。でも私の気持が動
かないことが分ると、最後は自分で決めなさいと言われました。
また、こうも言っていました。不倫は本気になると、結局は相手
の家庭を壊してしまう。そんなことになったら、泥沼。ボロボロ
になるよと。私もそうかもしれない、でもだからと言って、あき
らめとはできなかったんです。結局は姉の言うとおりになってし
まった・・・」
アヤはそこまで話すと、がっくりうなだれてしまった。この三
日間相当悩んで泣いたのだろう。目に赤みが残り、顔を疲れきっ
ている。もう涙もでないのかもしれない。
「出会いがあれば別れがある。でも好きになった時は別れなんて
これっぽっちも考えられない。だけと突然別れはやってくる。そ
の別れもいろいろある。気持ちが離れて別々の道を生きること、
突然相手がこの世からいなくなること。どっちもつらいな」
「あ・・・ごめんなさい。テルさんは愛する女性を亡くしたんで
すよね。私よりつらいんだ」
「それはいちがいに言えない。ん?何で知っているんだ」
「お京さんに聞きました。私の場合・・・好きな男は生きている
けど・・・でも気持は通じない。いろんな努力をしたけどあの人
は振り向いてくれない。もうどうしたらいいのか、私には分から
ない」
おれはアヤを痛々しく感じた。好きなのに気持ちが通じない。
これもつらい。だが今どんな慰めの言葉をかけても今のアヤには
無意味だろう。
「アヤちゃん。時間だよ。時間が解決してくれる。これから君は
いろんな人に出会う。それが一番の薬だ」
自分のことを棚に上げて、よく言うよなと思った。
「あの人を・・・越えられる人はいない気がする・・・」
「おれの言っていることはそうじゃない。人と出会うことによって
気持が変わっていくんだ。これからは色々な出会いがある。それ
を自分の力にしていくんだ」
「テルさん・・・」
アヤはおれにすがるような目をした。おれはヤバイなと思った。
このままじゃ美保と同じ状態になりそうだ。早く退散するのがよ
よさそうだ。
「アヤちゃん。おれはこの前、君にきっかけをもらった。レース
に出ることが人のためになるって、君は言ってくれた。そしてお
れはそこで目が覚めた。今おれは八月のレースに向けて必死だ。
もうこれは趣味の枠を越えている。今、自分自身生きてるって感
じがする。だから、今度はおれをきっかけにしろ。アヤちゃん。
おれの走りを見に来い。生きるってことを肌で感じろ」
「あのサーキットへ・・・」
「レイクランドはアヤにとっては思い出が多すぎるだろうが、思
い出に浸るために行くんじゃない。おれの走りを見に来るんだ。
アヤちゃんに走りを見せたい」
「・・・」
これが今アヤに対して言える精一杯の言葉だ。これ以上言って
も無意味だし、言葉よりも態度で示すことがいいと思った。
「まあ考えておいてくれ。それから明日は必ず出勤すること。お
京さんも健人も心配してたぞ。分かったな?」
おれがそう言うと、アヤは弱々しく笑ってこくりと頷いた。