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28.告白(前)

 翌週の月曜日。会社に出勤すると、何かが足りないのを感じた。

それはアヤだった。いつもなら誰より先に来て事務所の掃除をし

ているのに、その姿が見えなかった。


おれは不安を感じた。先週末の出来事が脳裏に浮かんだが、そ

れを長く考えることはできなかった。課長が出社して来てから、

クレームの処理に忙殺された。午前中に先方に赴き、丁重にお詫

びをし、再度金額を提示した。


クレームが起きてちょうど一週間、先方もだいぶん態度を緩和

していて、なんとか提示した金額でオーケーをもらい、契約する

ことになった。それでも会社に帰ったのは午後三時だった。帰っ

てきたら帰ったで、クレーム処理の間にやっていなかった仕事の

処理をしなければならず、自分のことで精一杯だった。


そんなわけで、その週の前半は仕事に追われ続けた。アヤは水

曜日になっても出社していなかった。ホワイトボードにはただ病

欠と書いてあるだけだ。


「まったく、最近の娘はちょっと仕事に息詰まると休みやがる。

これじゃ何のために入れたのか分りゃしない」

古賀主任がその日の退社時刻を過ぎて、たばこを吹かしながら

工務部で若い連中を相手に言っていた。それがアヤのことを言っ

ているのは明白だった。


  おれもたまたま健人と世間話をしていた。健人は古賀主任をう

さん臭さそうに見た。

「テルさん。ちょっと・・・話が」

 健人とおれは外へ出た。外は昼間の暑さがまだ残っていて、ム

ッとした空気が体を包む。


「外は暑いですね。おれの車の中で話しましょう」

 車の中も暑かったが、夕方ということもあってエアコンを入れ

ると徐々に涼しくなった。健人はたばこを自分でくわえ、火を点

けた。煙を吐くと、大きくため息をついた。おれにもたばこを勧

めたが、断った。レースまでは酒もたばこも厳禁だ。


「あんまりですよねぇ。主任の言葉は」

「まあ、三日も休まれりゃ言いたくなるだろう。今度のクレーム

も主任に非はないが、自分の出した金額が関係していたんだから

な」

「あれっ、テルさん。いやに主任の肩を持ちますねぇ」

「そういうわけじゃないが、同じ営業として気持ちはわかるよ」


 古賀主任の値引金額はあまりにも大きすぎた。当然他で穴埋めす

るつもりだったらしいが、それが社長の耳に達し釘を刺されたよう

だ。それがおもしろくなく、アヤのことをあんなふうに言うのだろ

う。


「アヤちゃん、明日出て来ますかね」

 健人は心配そうに言った。

「さあな。病気なのか他の理由なのか分からないが。でも明日休

めばちょっと問題だな」

「おれ責任感じてるんです」

「何で?」


「実はおれ先週の金曜・・・アヤちゃんに言ったんです。つきあ

ってくれって」

「とうとう言ったか。で、彼女は何と言った?」

「困ったような顔して、返事をもらえませんでした。それから休

んでるし・・・」


 先週の金曜と言えばアヤとオーナーを見かけた日だ。健人と会

って、それからオーナーと会ったんだな。アヤもつらい立場だろ

う。

「考えすぎだ」

「でも・・・で、テルさんにお願いなんですが、アヤちゃんの様

子を見て来てもらえませんかね」

「おいおい、健人。あんまり真剣に悩むな。明日は出てくるって」


 そう言いながらもおれはアヤのことが気になっていた。

 そして健人が気の毒になった。アヤには好きな男がいることを

健人は知らない。健人はまた大きくため息をついた。


「分かったよ。明日出てこなかったら、おれが行ってやるよ。さ

あそろそろ帰ろうぜ」

 そう言うと、健人はホッとした顔をおれに向けた。


 帰り支度をしていると、お京さんから声をかけられた。

「テル。ちょっと・・・」

 お京さんはおれに近づき小声で言った。

「何ですか?」

 おれも思わず小声で答えた。


「悪いんだけどおまえ、これからちょっとアヤの様子見てきてお

くれよ」

「えっ、おれが?」

「ああ。どうもあたしは病気じゃないような気がするんだ。何か

精神的にまいっている気がする。あんなミスをするのもアヤらし

くないよ」


「はあ。でもおれが行っていいもんかどうか」

「あたしに頼まれたって言えばいい。なんか心配なんだよ」

 お京さんは真剣な顔して言っていた。ここまで言われれば行か

ないわけにはいかない。変に断ればお京さんかに怒られそうだ。

 事実、おれ自身も心配だったし、お京さんの命令なら堂々と行

ける。

「分かりました」


その後おれはアヤの住所を、お京さんから聞き、そのまま向か

った。到着して、思わず見上げた。豪華なマンションだった。ど

う見たって賃貸ではなく、分譲マンションだ。

『ここは確か、新しく建ったマンションだ。ここにアヤが住んで

いるのか。おれのアパートとは桁違いだ』


当然オートロックで、外観から見て3LDK以上はある。二十

四の女性が簡単に買えるような代物ではない。考えられるのは、

あのオーナーがアヤに買ってやったとしか思えない。オーナーな

ら可能だろう。


 ここは中央区の清川という所で、一般的にはワンルームマンシ

ョンが多く、単身者比率が高いエリア女性の一人暮らしが高いエ

リアだ。また人気の飲食店があり、交通の便が良い。


 しかし、このマンションはひときわ異彩を放っている。

『あまり見とれてばかりじゃいかんな。早くアヤの様子を確かめ

ないと』

 そう思うと、おれは玄関で会社で調べてきた部屋番号を確認し

た。オートロックなのでマンション内に勝手に入ることはできな

い。


「えっと、五〇五号室だったな」

五〇五号室を確認し、そこのインターホンを押した。さすがに緊

張する。だが、インターホンから声は返ってこない。何度か押し

たが、結果は同じだ。


「困ったな」

 これではらちがあかない。いるのかいないのかもわからないし、

寝込んでいて出られないのかもしれない。無駄とは思ったが、携

帯電話にかけてみた。やはり応答がなく、留守電になってしまう。


『このまま帰ろうか』

 おれは一瞬迷った。このまま帰っても、お京さんにはインター

ホンで呼んだが出なかったと言えば済む。だが、すんなりとはそ

ういう気持ちになれなかった。お京さんもかなり心配していた。

 女の感ってやつはよく当たると言うし。


『よし!十一時までここにいよう』

 そう思うと、おれは開き直った。今は午後八時過ぎだから、ざ

っと三時間だ。それから三十分毎にインターホンを頻繁に鳴らし

た。

 時折、マンションに帰宅する人から、白い目で見られたが無視

した。中にいるかもしれないので、こうするしかない。だが二時

間近くなるとさすがにめげてきた。


『おれ、何やってんだろう。ここまでする義務があるのか?』

 すっかりあたりは暗くなった。飯も食ってないし、なんか張り

込みやっているみたいだ。おれは電柱にもたれて座り込んだ。背

中に汗でシャツがくっついている。


 その時、目に眩しいライトが入り込んできた。車がマンション

の前で止まった。かなり大きい車だ。あきらかに国産車ではない。

 そしておれは驚いた。車はフェラーリだった。そのフェラーリ

から人が降りた。女だ。


「寄ってってよ」

 女がドライバーに言っている。ドライバーの声は聞こえない。

「いいじゃない。コーヒーぐらい」

 女がさらに言う。


「何よ!この前までは朝までいてくれたのに!飽きたらそれまで

ってこと?」 

 女の声が大きくなる。大きいというよりヒステリックだ。そし

てフェラーリの助手席が女の意志と関係なく閉められ、甲高いエ

キゾースト・ノートを響かせて走り去って行った。女はそれを呆

然と見送った。


 おれは立ち上がり、女を見た。女は大きくしばらくフェラーリ

の走り去った方向を見ていたが、やがてあきらめたようにマンシ

ョンの玄関へ向かった。おれは女に近づいた。女はビクッとして

おれを見た。目が飛びださんばかりの驚いた顔だ。


「テルさん・・・」

 女はアヤだった。厚化粧していて、会社で見る顔とは違う感じ

がした。おまけに、派手な青のスーツを着込んでいた。おれは正

直、これがアヤかと思った。


「病気、治ったみたいだな」

「どうして・・・ここへ」

「まさか、会社の奴が来るとは思わなかっただろう。お京さんだ

よ。お京さんから見て来いって言われたから、来たんだよ」


 おれは正直に言った。アヤは狼狽している。まるで見られたく

ないところを見られたように。そんなアヤを見て、この場には長

居しないほうがいいとおれは思った。


「寝込んで出て来られないかと思っていたが、体のほうは大丈夫

みたいだな。」

「すみません・・・ご迷惑おかけして」

「さてと、これで確認できたし、おれ帰るわ」


 そう言ってもアヤは顔をあげようとしなかった。おれはわざと

無視してアヤに背中を向け歩き始めた。今ここで問い詰めても、

アヤは何も言わないだろう。だが、心配だった。


 いますぐUターンして聞いてやりたかった。大通りに出て信号

を渡ろうとした時、携帯電話が鳴り、アヤの番号が表示されてい

た。おれはホッとして電話に出た。


「もしもし」

「テルさん・・・今どこですか?」

「大通りのとこだ」

「・・・話したいことがあります」

「やっと話す気になったか」

「十分後にマンションの玄関に来てくれますか?」

「わかった」











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