表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/36

26.クレーム

疲れた。この一週間、仕事のクレーム処理で同じ取引先を行

ったり来たりだ。美保が結婚するという話を聞いて、一週間ぐ

らい経った月曜の朝のことだった。


いつもなら、鼻歌混じりで机を拭いているアヤが、真っ青な顔

をして突っ立っていた。そんなアヤを見て、おれはすぐオーナー

のことを思い浮かべていた。サーキットでアヤらしき女を見て以

来、アヤの顔を見るとどうしてもそっちにいってしまう。


 アヤはおれの顔を見ると、怯えたような顔をした、そしていき

なり謝り始めた。何度も何度もおれに謝った。幸い事務所内には

まだ誰も来ていない。おれはアヤに事情を聞いた。それを聞いて

今度はこっちが真っ青になりそうだった。


それはおれの仕事に関係することだった。おれは今、新規取引

先と商談していて、ようやく見積書の提出を許された。普段なら

見積書は持参するのだが、たまたま担当者が長期出張で不在とい

うことで、郵送してほしいと言われた。


 それが間違いの始まりだった。その郵送をアヤに頼んでいたの

だが、何とアヤはおれと古賀主任の出す見積書を、入れ間違った

のだ。古賀主任もアヤに見積書の郵送を頼んでいた。


 古賀主任の見積書がおれと違う製品だったら問題はなかった。

 たまたま同じ製品でだった。そして決定的だったのは値引き額

が違うことだ。おれが先方に話していたのよりは、十万ほど安く

なっていた。アヤはそれを月曜の朝、先方から電話があり、知っ

たわけだ。

 月曜の朝からそんな電話を取るとはアヤもついていない。だが、

事は重大だ。


 それからというもの、おれはすぐさま先方に電話したが、担当

者はカンカンだった。それはそうだ。同じ会社なのに客先によっ

て金額が違っているのだから怒るのは当たり前だろう。電話口で

ひたすら謝りお詫びに伺う旨を言ったが、会うことすら叶わなか

った。それから毎日無理を承知で先方に謝りに言った。むろん門

前払いだ。それが四日間続いた。


 ようやく今日やっと会ってくれて、さんざん皮肉を言われ、一

段落がついたところだ。一段落といっても解決したわけでなく、

来週初めに課長と同行して金額を練り直すことになった。もうお

れレベルのところでは解決できない問題になっていた。


 おそらく、十万以上の値引はすることになるだろう。そうなる

と利益はない。新規の取引先だから、ここは我慢するしかない。

 だいたいが古賀主任の値引き額は異常なのだ。まあ、今更そん

なことを思っても仕方のないことだが・・・


 そんなわけでおれは半分ホッとして、車で会社へ帰っていた。

今から会社に帰り、課長と金額の打ち合わせをして、見積書の作

成だ。今日は遅くなるのを覚悟していた方がよさそうだ。


 時間は午後七時過ぎているのに外は明るい。梅雨も明け、夏が

始まったばかりで街ゆく人々は開放感に満ちている。おれはそん

な風景を窓から見ながら、仕事を忘れて早くサーキットで走りた

いと思った。

 

 それから二時間後。おれはひとり会社で見積書を作成した。課

長と金額の打ち合わせが一時間以上かかった。先方が納得して、

こっちも金額的な被害を、最小限に食い止めなければならない。

 おいそれと簡単に金額を出せなかった。


 それからようやく妥協点を見つけ結論がでて、おれはパソコン

とにらめっこをしていた。見積書を作るのはそう時間はかからな

い。登録してある金額を修正すればいいのだから。それでも細部

の金額まで変更したので、三十分ほどかかった。終わったのが午

後九時半過ぎだ。


「よし!できた」 

 パソコンの電源を切ると、おれは大きく背伸びをした。これで

日曜日にサーキットで思いっきり走ることができる。六月から七

月にかけてマシンのサスペンションを、エンジンにマッチングさ

せるために走り込んでいた。先週あたりからほぼ完成の域に達し、

明後日はタイムを詰めることになっている。できれば雑念なしに

走りたかった。


「よし、帰るか!」

 席から立ち上がり、書類を鞄に詰めた。その時、携帯が鳴った。

携帯に表示された番号を見て、ついにかかってきたかと思った。


「はい」

「あ、おれだ。今いいか?」

 剛だった。声のトーンがいつもより落ちている感じがした。

「ああ、今仕事が終わったところだから」

「今まで仕事だったのか。大変だな」

「これが日本のサラリーマンだよ。ハハハ・・・」


「ところで、今から時間空いてるか?」

「飯食うだけだから別にないけど」

「じゃつきあってくれよ。飯おごるから」

「店の方はいいのか?」


「休んだ。そんな気分じゃなくてな」

「何か落ち込んでいるみたいだな」

「まあな。そのことについては会ってから話すよ。じゃ、いつも

の店で」

「わかった」


 携帯を切ると、少し気分が重たくなった。ついに美保は剛に言

ったのだろう。剛が店を休むのは滅多にない。美保の話がでれば

あのことを話さなくてはならない。美保と一夜を明かしたことを。

 あの時はどうしようもなかった。成り行きと言うほかにない。


 だが親友の女と寝たのは事実だ。たとえ別れようとしたとして

も、あの時美保は剛の彼女だ。まあ結果はどうなるかわからない

が、今夜会って全部話すしかない。


 会社の玄関を閉め、おれは駅へと向かった。剛と会う店は天神

にある。馴染みの店だ。金曜日だからさぞ賑わっているだろう。

 駅の手前で、再び携帯が鳴った。また剛かなと思ったが、見知

らぬ番号が表示されていた。


「もしもし」

「香田です・・・」

「おう。どうしたんだ?」

「今日はすみません。テルさんが帰るまで待ってようと思ったん

ですけど、用事ができてしまって」

 アヤの口調も暗かった。まあ自分が発端で、クレームがこれだ

け大きくなれば、落ち込むのも当然だろう。


「もう気にするな。人間誰しもミスはする。おれだって営業にな

った最初の頃はミスの連続だったさ」

「でも問題が大きくなってしまって。私、心配で心配で・・・」

「たしかにな。一応メドはついたから。課長とおれが来週早々に

先方に行って、金額の再提示する話になった」


「そうですか・・・ほんとうにすみませんでした」

「そう何回も謝るな。うめ合わせしてくれるなら、今度おれに焼

き鳥でもおごってくれ。ハハハ・・・」

「ぜひそうさせて下さい。じゃ、おやすみなさい」

「ああ。おやすみ」


『営業か・・・』

 携帯電話をなおしながら、おれは心で呟いた。やはり営業とい

う仕事は最終的には人とのつきあいだな。日頃つきあいがあれば

ミスをしてもどうにかなる。


 昨今はメールでの連絡が多くなり、面と向き合うことが減って

きている。今回の場合、新規の取引先だったのでそこまでのつな

がりがなかった。だから担当者レベルでは解決できなかったのか

もしれない。


 そういう意味でアヤは運が悪かった。それにしてもアヤがこん

なミスをするのは合点がいかない。ひょっとしたら、プライベー

トで何かがあったのかもしれない。やはりサーキットのオーナー

と何かが・・・

 おれはそんなことを思いながら、待ち合わせの店へと向かった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ