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24.秘密

「実はね、彼は反対しているの。テル君がレースに出ることを」

「反対ですか・・・だろうな」

「あら。あんまり驚かないのね」


「先輩よく言ってますからね。レースはピュアなスポーツだ。走

行中は邪心があってはいけないってね」

「うん。私が好きなったのもそこなんだけどね」

「あれっ。のろけ言いに来たんですか?」

「あらあら、ごめんなさい。つい口が滑っちゃった」

 そう言って祥子さんとおれは笑い合った。


「結局先輩はレースであの娘と張り合うのはやめろと言いたいだ

ろうな」

「そうね。大事故が起こるかもしれないと言っていたわ。それは

レースじゃない、車という凶器を使って喧嘩しているようなもの

だって。私もそう思うわ。その娘はテル君を目の仇にしている。

テル君だって二週間前はレースに出るつもりはなかったんでしょ

う?それがなぜ・・・」


 先輩には由樹のことはすべて話していた。祥子さんも先輩から

すべて聞いたのだろう。おれは本降りになった雨を見ながら、祥

子さんの話を聞いていた。レーシングスーツはまだ着たままだ。


「あの時はカッとして、あんな風に言ってしまったけど・・・あ

れから自分の中で何かが変わってきたんです」

「具体的に聞かせてもらえる?」

「おれがもしエントリーしなくてあの娘が出た時、他のマシンに

迷惑がかかったら困るなと思ったんです。ターゲットはおれです

からね。だからおれが防波堤になればいいと。でもだんだんと日

が経つにつれて、ひょっとしたらこれは佳奈が巡り会わせたんじゃ

ないかって感じ始めたわけです」

「・・・・」


「佳奈がおれをそろそろ解放してやるかってね。ハハハ・・・そ

れとあの娘を助けてやってくれってとも言ってるような気がして」

「意味がわからないなぁ。その娘はあなたを恨んでいるのよ。そ

れをなぜ助ける必要があるの?」

「これはおれの想像ですけど、あの娘は今まで挫折というものを

知らずに生きてきたんだと思うんです。それを教えてくれたのが

佳奈だったんじゃないかな。その佳奈がいなくなり、あの娘は行

き場を失った。それをおれにぶっつけたのではないかと」


「いいわ。仮に佳奈ちゃんがテル君とその娘を会わせたとしまし

ょう。でも、それはテル君がレースに出ることと関係あるのかし

ら?」

祥子さんの顔は訳が分からないと言いたそうだった。


「敗北感を味わわせるんです。人生にはうまくいかないこともあ

るってことを。うまくいかないことを人に転化させるのではなく、

自分で乗り越えるってことを」

「・・・」


 祥子さんは雨のサーキットを微動だにせず黙って聞いていた。

「おれ、今度のレースに何かとてつもない感動が待ってる気がする

んです。ひょっとしたら佳奈のことを忘れることができるかもし

れない。ひとつのきっかけになるかもしれないってね」

「好きなんだね、佳奈ちゃんのことが。忘れようとしても、忘れ

ることができないのよ、テル君の場合は。でも必死で佳奈ちゃん

からの亡霊から抜け出そうとしているわけか」

「出口かどうかわかりませんけど。それとバイパーと勝負してみ

たい・・・」


「でも危険よ。それに勝つ自信はあるの?」

「自信という言葉はおれにはないんです。勝つという言葉しかあ

りません」

「やっと言ったわね、前向きな言葉。佳奈ちゃんがいなくなって

以来、そういう言葉は聞いたことがなかった。笑って言ってたけ

ど、前向きさが感じられなかった。でも今は違うわ。言葉に力強

さがある。わかったわ。テル君がそこまで決めているのなら、何

も言わないわ。ただ無理だけはしないでね。そう言っても無理か

ぁ。レースになると何が起こるかわからないしね。彼がそうだか

ら」


「よくわかってるじゃないですか。さすが先輩の奥さんになるだ

けのことはあるなぁ。でも先輩は反対するだろうなぁ」

「彼は彼。テル君はテル君よ」

「あ、そう言えば祥子さん今は大事な体なんでしょう。いいんで

すか、外に出てても」

「たまには外に出てるほうがいいのよ。でも少し冷えてきたわね。

雨のせいかしら」


「おれ、送って行きますよ」

「いいの?まだ走るんじゃないの?」

「この雨じゃ走っても無駄ですよ。それにおれのことで来てもら

ったんだし。普通の体じゃないんですから」

「ありがとう。じゃお言葉に甘えさせてもらおうかな」


 そうと決まれば服を着替えなければならない。おれはパドック

の隅で手早くレーシング・スーツを服に着替えた。これが夏だっ

たら即シャワーを浴びるのだが、まだ五月なのでそんなに汗もか

いていなかった。それに今日は雨ということもあってか、少し肌

寒い気がした。


 おれと祥子さんは相合い傘でパーキングへ向かった。雨はいっ

こうに止む気配がない。むしろ強くなっている気がした。

「フフフ・・・テル君と相合い傘なんて初めてね」

「どうしたんですか、急に。でも言われて見ればそうですね。先

輩の前じゃ絶対やれないですね!」

「テル君だったら大丈夫よ。彼、信用してるから。ねえねえ、一

回聞こうと思ってたんだけど」


「何ですか」

「気を悪くしないで聞いてね。テル君は私のこと女として見たこ

とある?」

「うわっ、そうきましたか!うーん。そりゃ見てないと言ったら

嘘になりますよ。でも、祥子さんは先輩の彼女ってのが、いつも

頭にありましたからね」


「そうか。少しは見ててくれたのか。彼に言っちゃおうかなぁ」

「それだけは勘弁して下さい!先輩からはぶん殴られますよ」

「冗談、冗談よ。すぐムキになるんだから、テル君は」

 祥子さんはころころと笑っていた。完全におれは祥子さんから

手玉に取られていた。やがてパーキングに着き、奥のパーキング

・スペースへ向かった。そこにはレガシィがあった。もちろんこ

れは剛の車だ。


 剛はゴールデン・ウィーク中は仕事が忙しかった。どんたく帰

りの若者がライブハウスになだれ込んでくるからだ。だから車を

すんなりと貸してくれた。おれは助手席のドアをまず開け、祥子

さんを乗せ、自分が乗り込んだ。


「さすがテル君。女性の扱いを心得てるわね」

「いつもだったら、こんなことしませんよ。妊婦さんだからです」

「なーんだ。そうか。少しがっかり」


 祥子さんはおどけた様子で笑った。まったく祥子さんの笑顔は

幸せいっぱいという感じだ。子供というのはこんなにも女性を幸

福にするのか。こっちまで思わず笑ってしまう。おれはふと佳奈

のことを思ったが、慌ててうち消した。そして、エンジンをかけ

た。とその時、前方の車にカップルが乗り込もうとしていた。


 祥子さんがフロントガラスのワイパー越しに見て、言った。

「あら。オーナーだわ」

「えっ、オーナー?」

「ここのサーキットのオーナーよ。前の車に乗り込もうとしてい

る男性」


 あれがここのオーナー!。雨でよくは見えないが、スーツ姿の

がっちりとした輪郭が見えた。おれの感じでは四十代のようだ。

そして女性は・・・アヤ?。いや、アヤのような気がした。男性

の方はよく見えなかったが、女性はよく見えた。オーナーと笑い

ながら話している女性。あの笑顔は会社でよく見る笑顔だ。だが、

なぜアヤがここに・・・


 おれが呆気にとられていると、二人は車に乗り込み目の前を通

り過ぎて行った。

「テル君どうしたの。驚いたような顔して」

「あ、いや」


 おれは祥子さんから言われて、レガシィを発進させた。ふたりを

乗せた車はちょうどパーキングの出入り口から出ようとしていたと

ころだった。

「さすがオーナーね。あれ、BMWの7シリーズじゃない?」

「そ、そのようですね」


 おれは車のことなど、どうでもよかった。それほどおれは驚い

ていた。思いがけない所でアヤを見て、それもオーナーと一緒に。

 まさか、アヤが言っていた、ものすごく好きな男性というのは

オーナーことでは・・・いやいや、それは飛躍しすぎた。それに

あの女性がアヤであるという確証はない。おれは釈然としない気

持ちを抱きながら、車を走らせた。


 




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