22.ソング
おれはステージに上がり、メンバーと握手をした。別に打ち合
わせなど必要なかった。おれが歌うナンバーはみんなよく知って
いる。にぎやかだった客席の話し声もだんだんと静かになりつつ
あった。
アルコールで声が出るかどうか不安だが、どうせおれはずぶの
素人だ。出たとこ勝負だ。メンバーもスタンバイOKのようだ。
「テル。そろそろいくぞ!」
剛の声が聞こえ、おれは手を挙げて答えた。このナンバーはビ
ートがよく利いている。
歌詞の内容は戦後、荒廃した社会を懸命に働き、豊かな世の中
にしてきた大人たちが子供に何も伝えずに年老いてしまおうとし
ている。それでいいのか?というメッセージソングだ。
やがて、エフェクターのかかっていないギターのイントロで始
まった。おれは静かに歌い出す。歌の中の情景が心に広がる。そ
して一瞬メロディーが止まって、今度はハードなギターサウンド
がアンサンブルとなって響き渡る。
ここからおれはシャウトするように歌い上げる。ビートの海の
中に自分自身を投げ込み、歌っていると心地よさを感じてくる。
間奏ではギターがリードを取る。この曲はギタリストにとっては
たまらなく気持ちがいいことだろう。
間奏が終わると、おれはさらに歌いあげ、ヒートアップしてい
く。それがレッドゾーンの手前で、再びギターだけの伴奏になり
おれはトーンを下げる。ここでメロディーは静かに終わる。そし
て再びギターのソロが突っ走って、エンディングを迎える。こん
な風に歌うようになって、何年になるだろう。
初めてステージに上がった時、やけくその気分だった。佳奈が
いなくなり、仕事もうまくいかなくなった頃のことだ。それから
時々、剛に音楽というものを教わるようになって、バンドの演奏
で人前で歌うことが病みつきになった。サーキットで走る快感も
いいが、人前で歌うのも気分がいいものだ。
客席から拍手に混じって奇声が聞こえる。時間も時間なのにみ
んな元気だ。おれは頭を下げ、メンバーに「ありがとう」と言って
ステージを降りた。
ステージを降り、席に戻るとアヤがまだひとり拍手をしていた。
おれとアヤは微笑み合って、しばらく剛たちの演奏を楽しんだ。
やがて、演奏が終わるとアヤは言った。
「すごーい。テルさんっていろいろな面を持っているんですね」
おれはアヤの言葉に苦笑すると、ソフトドリンクを飲んだ。
「今やっとわかりました。主任が言ったこと」
「主任?」
「歓迎会の時、高橋が歌うと後が歌えなくなるって」
「ああ、そのことか。あれは主任もオーバーだったな」
「そんなことないですよ。言われるだけありますよ」
「剛やバンドの連中のおかげだな。リズム感やボイストレーニン
グを受けたから」
「本格的なんですね」
おれはアヤと話しながら、気分がおだやかになるのが分かった。
音楽というものは、心にパワーを与えてくれる。
「よう。お疲れ。ちょっと仲間に入れてもらってもいいか?」
剛がタオルで汗を拭きながら、テーブルにやって来た。
「いいけど、まだステージがあるんじゃないのか?」
「さっきのがラストステージだったから、今夜は終わりだ」
「もうそんな時間か!」
おれはそう言って、腕時計を見た。なるほど午前二時になろう
としている。それにしてもラストステージが終わったのに他の客
は帰ろうとしない。バンドのメンバーもそれぞれ客の中に入って
話している。
「どうでした、おれたちの演奏は?」
剛がアヤに話しかけた。
「ええ。やっばり生の音楽っていいですね!。ライブハウスで聞
くなんてあまりないから感激しました。それにテルさんの歌にも
びっくりしました」
「テルも初めの頃に比べたら、ずいぶんと上手くなりましたよ」
剛の言葉におれは苦笑した。剛の奴、おれには一度もそういう
ことを言ったことがないくせに!それから三人で仕事のことや、
趣味のことを話した。特にアヤは剛がプロミュージシャンである
ことに興味をもったようだ。アヤは好奇心旺盛らしい。
どうやら今日は朝帰りになるようだ。剛とアヤの話はまだ終わ
りそうもない。まあ二日休みだし、予定も入れてないので大丈夫
だろう。珍しく日曜日はサーキットに行かないことにしていた。
先週の出来事が頭にあって、気持ちがすっきりしなかったから
だ。だが、それもアヤと話をするまでだった。今は少しずつ自分
の気持ちが落ち着きつつあるのを感じていた。
「テルさん。大丈夫ですか?さっきからあまり喋らないみたいで
すけど・・・」
アヤは心配そうにおれを見た。
「大丈夫、大丈夫。この頃こいつ妙に考え込むから」
剛がおどけたようにして言う。
「別に考え込んでねえよ。おれはな、二人の話を邪魔するといけ
ないと思って、黙ってたんだよ。ところでアヤちゃん、時間はい
いのか?明日、用事があるんだろう?」
「用事は夜だから、昼間ぐっすり寝れば回復しますよ。だって若
いですから」
「そうだよな。おれたちとは三つの差だからな。三つの差は大き
いよなぁ。なあ、剛」
「ふん。おまえと一緒にするな。年は一緒でも、おれは気持ちが
若い」
剛は相変わらず憎まれ口を叩く。アヤはそんなおれと剛を見て
笑っていた。
「仲がいいんですね、ふたりとも。でも今日はテルさんの意外な
話を聞けて、興味深かったな」
「いったい何を話したんだ?」
剛は怪訝そうな顔をして聞いた。おれは剛に素直に話した。剛
は驚きの顔をした。それはアヤがおれに言ったことに対してだ。
「あの女の生き甲斐はテルを憎み続けること。よくそんなこと香
田さんは思いつきますね。おれには無理だな。たぶん奴もそれが
矛盾している考えというのは分かっているはずだ。それをわから
せるためにはテルがレースに出て勝つことか」
剛はそう言うと、自分でしきりに頷いていた。おれもだんだん
とレースにエントリーすることが最良の方法と思えてきた。話が
盛り上がってきたが、時間が時間なので引き上げることにした。
剛は店の片付けを手伝ってして帰ると行ったので、おれとアヤは
店を後にした。店でタクシーを呼んでもらい、相乗りすることに
した。
タクシーの中ではアヤはあまり喋らず、そのうちにおれの肩に
頭を預けるようにして寝てしまった。そんな寝顔を見ながら、ア
ヤも大変なんだなと思った。仕事はこれから色々な事を覚えない
といけないし、恋愛もうまくいっていないようだ。
人っていうのは、悩みを持つことが当たり前かもしれないなと
ど思いながら、おれは夜空を見上げていた。