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2.伝言

 ふと時計を見ると、もう午後五時近くなっていた。ちょうど車の

渋滞時間にかかる頃だ。会社に着くのは午後六時ぐらいになりそう

だった。

この頃は自分の中で時間というものが麻痺してしまっていて、家

に着くのが午前零時過ぎるも少なくなかった。それほど忙しかった。

 だが、今日は違った。今日ぐらいは自分に楽をさせてやろうと、

車のハンドルを握りながら渋滞の道路の中でそう思った。


 案の定、会社に着いたのは午後六時過ぎだった。車を駐車場に停

めて、車から降りるとおれは大きく背伸びをした。空は夕闇が迫っ

ていた。だが、風は心地よく吹いて気持がよかった。

そして事務所の方に歩いた。だが、妙な感じがした。電気が消え

ているのだ。いつもなら午後八時ぐらいまでは営業の誰かがいるは

ずだった。


「人がやっと注文取ってきたと思ったら、こうだもんな」

 おれはひとりごとを言いながら、ドアに手をかけようとした。

 するとそこに大きく貼り紙がしてあった。

 〝高橋君へ。この貼り紙を見たら、私の携帯へTELすること。

                         お京より〟


 貼り紙を見て、いやな予感がした。お京さんが携帯へ電話しろとい

う時はろくなことがない。おれはこのお京さんが少し苦手だ。お京さ

んはおれの所属する営業一課の主みたいな人だ。益満課長でさえ一目

置いているのだから。


 お京さんは営業一課の仕事のたいがいのことならわかっていて、お

れなんかお京さんに何度怒られたかわからない。だがその反面、ミス

った時に助けてもらったこともある。そういうわけで、お京さんに頭

があがらない。


 その貼り紙をはがし、とりあえず事務所に入った。

 事務所に入るとカウンターがある。そして右のスペースが営業部、左

が経理・総務部となっている。中央のスペースは応接間だ。もっとも、

ここは簡単な商談をすますような所で、けっこう込み入った商談は二

階の応接室でやることになる。だから二階は応接室と社長室になって

いる。ふだん社長は二階にいて、あまり下に降りてくることはない。


 事務所から見ると右手に別棟の建物がある。ここは下が倉庫で、上

が設計・工務部になっている。実際に機械を作っている社員がいる所

だ。三年前まではおれもそこの一員だった。そして工場は事務所の裏

手にある。


 事務所に入ると机にカバンを置き、椅子に座った。

「ふぅっー」

大きくため息をついて、再び背伸びをした。大仕事をやり遂げた充

実感と、虚脱感があった。今は何もしたくない気分だったが、とにか

くお京さんに連絡しなくてはと、携帯を取り出した。


『もし飲み会の誘いだったら、今夜は勘弁してもらおう』そんなこと

を考えながら、携帯で連絡をした。呼出音が数回鳴ると、いきなり騒

々しい音が耳に入った。そして、元気のいい声が響いた。


「はーい。京子さんでーす」

「高橋です。その電話の出方、どうにかなりませんか?」

「おう、テルか。お疲れ!いいじゃんか。私の勝手なんだから」

 テルとはおれのニックネームだ。


「そう言われると、言葉の返しようがないんですけど。だけど、絶対

間違えますよ」

「何が?」

「だって、ふだんのお京さんの声と違いますよ」

「ふん。悪かったわね、若造りの声で。どうせ私は四十女ですよーだ」

「誰もそんなこと言ってないですよ。ところで、何です?」

「何ですはないんじゃない。テル、今事務所にいんの?」

「そうですけど・・・」

「じゃ、黒板の行事予定表見てみな」


 おれは慌てて耳元からを離し、黒板を見た。

 〝四月二日 営業一課新入社員歓迎会〟

「わかった?」


お京さんの声がしたので、おれはまた慌てて携帯を耳元にもってき

た。

「新入社員歓迎会って書いてありますね」

「ありますねじゃないの。一ヵ月以上前に課長から言われてたはずよ。

まあ、あんたは仕事で忙殺されてたから、すっかり忘れてたと思うけ

ど」

「はあ」


 おれは生返事をしながら、頭の中で思いをめぐらせた。だが、どう

しても記憶になかった。たぶん課長が言ったのなら、朝礼の時だろう。

だが、この三ヵ月ほとんど直行ばかりだったので、ひょっとしたら

その時に言ったのかもしれなかった。

「わかったんなら、早く来なさいよ。あ、ちょっと待って。課長と変

わるから」


 お京さんの元気のいい声から、今度は落ち着きのある声に変わった。

「お疲れさん」

「あ、課長。お疲れさまです」

「今日はほんとうによくやってくれた。実は今朝、君に今日が歓迎会

だということを言おうとは思ったんだが、仕事が大詰だったんで言わ

ずにおいた。まあ、疲れているとは思うが、営業一課に入ってくる社

員の歓迎会だ。顔だけでもだしておいてくれ」

 

課長がおれに気をつかっているのがよくわかった。

「わかりました。そういうことでしたら、なるべく早く行きます」

 おれは課長に店の場所を聞いて、携帯を置いた。携帯を置くとカバ

ンの中から今日の商談の書類を取り出し、枚数を確認して机の中にし

まい込んだ。受注したのはいいが、来週早々にも今度は工務部と打ち

合せをしなくてはいけない。まだまだ、ほっとするわけにはいかない

のだ。


「さてと、行くか!」

 おれは気持を切り替えて、席を立った。

 すると、聴き慣れた声が耳にはいってきた。

「あれっ、テルさんまだいたんですか?」

 声の主は健人だった。健人は工務部の若い社員で、おれがちょうど

営業部に配属される一年前に入ってきた社員だ。一年間、一緒に同じ

仕事をしたので、時々飲みに行ったりしている。


「まだって、さっき帰ってきたばかりだよ。人が仕事して疲れて帰っ

てきたら、みんなは宴会場だとよ。まったく!こっちは、仕事のこと

で精一杯で、新人の歓迎会ことなんか知るかよ!」

「そうおれに当たらないでくださいよ。で、行くんでしょ?」

「ああ。だが、着いた頃にはみんなできあがってるだろうけどな」

「もうおれ帰るだけですから、よかったら乗っけていきますよ」

「そうか。わりいな」


 そういうわけで、おれは健人の車で宴会場へ向っていた。宴会場は

福岡市の南区のはずれにある。会社がちょうど中央区と南区の境にあ

るので、車で二十分ぐらいかかる。【しらとり】といって、会社の飲

み会はだいたいそこで行なわれる。【しらとり】は竹薮が生い茂る道

沿いにあり、川のせせらぎが聞こえる。住宅地が近いのだが、ここだ

けは、その騒がしさも聞こえてこない。


 車は南へ走っていた。渋滞は相変わらずだ。ちょうど帰社時間の頃

だからだろう。

「一時間ぐらいかかりそうな感じだな」

 おれは助手席の乗っている気軽さもあって、呑気に言った。

「いや先の、四つ角まででしょう。テルさん、こんな時間に帰るなん

て久しぶりじゃないんですか?」

「そうだな。だいたいが十時過ぎだったからなぁ。今日ぐらいは家で

ビールでも飲んで、寝たかったんだがな」


「いいじゃないですか。今から腹いっぱい飲めるんですから。それに

今度の新人はけっこう可愛いみたいですよ」

「可愛い?ひょっとして・・・女なのか?」

「えっ!知らなかったんですか ?」

 健人は思わずおれの顔を見て言った。フロントガラスからようやく

四つ角が見えてきた。

「なんか知らないのは俺だけみたいだな。工務のおまえが知ってるぐ

らいだから」


「工務ではその話ばっかりでしたよ。だけど、夕方になると話題が変

わりましたけど・・・」

「なんだよ、その夕方になってからってのは」

「そりゃ、テルさんのことですよ。だって会社始まって以来の大仕事

らしいじゃないですか。谷課長も言っていましたよ。さすが俺が鍛え

だけのことはあるって」


おれは健人の話を聞いて苦笑した。谷課長とは工務部をまとめてい

る人で、おれが工務部にいる時に大変世話になったものだ。とにかく

仕事には厳しいが、会社が終わると後輩の面倒見がいい。男が惚れる

ような人だ。


「そういえば谷課長ともずいぶん飲み行ってないなぁ」

「あ、今度テルさんの仕事の成功を祝って行こうかって言ってました

よ」

「それは嬉しいな」

「そん時はおれも誘ってくださいよ。それと、今日入った子も。なん

かタイプなんですよね」

「そうか・・・そんなに可愛いのか」

「そうらしいですよ。今彼女いなくて淋しいですから。テルさん、キ

ューピットになってください。お願いします」

「いいよな、おまえは呑気で。まあ、今夜見てからの話だな」


 ようやく車は四つ角にさしかかり、そこから右折した。右折すると、

次第に車の流れがスムーズになってきた。それからおれと健人は今日

受注した仕事の話をしながら、車の流れに身をまかせた。


 ふと、健人との会話が途切れると、左手に公園が見えてきた。桜が

満開近く咲いていた。この公園は比較的有名で、桜の名所にもなって

いる。

だが、池があるので、大雨などになると大変だ。歩道の近くに池が

あるので、すぐ氾濫して道路が水びたしになってしまうのだ。おれは

その公園の桜を見て、ある女の顔を思い出した。


「テルさん、この分じゃそう時間もかかりませんよ」

 健人の声でおれは我にかえった。

「ん?あ、そうみたいだな。ここまで来れば近いな」

 それから十分ほどして、目的の料亭へ着いた。

「サンキュー。助かったよ。今度ビールぐらいおごるよ」

「女の子つきですよ。さっきの約束忘れないでくださいよ」

「約束?ああ・・・まあ、期待しないで待ってろ」


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