13.実家
その夜、剛を交えておれは家族と食卓を囲んでいた。結局、美
保は戻ってこなかった。たぶん、佳奈の家で世話になっているの
だろう。剛に呼びに行けと言ったが、行きたくないと言って、そ
のままになってしまった。
おれの家族構成はおふくろと兄貴夫妻の三人だ。親父はおれが
高校三年の冬に過労で倒れ、そのまま帰らぬ人となっていた。
兄貴夫妻にはまだ子供ができていなかった。義姉さんは、おれ
と剛の同じ高校の一年先輩で、生徒会長などやっていて、高校で
はマドンナ的な存在だった。よくもまあ、兄貴が口説き落とした
もんだとおれは思っている。
剛は高校時代、学校を時折さぼり、バンドの練習に明け暮れて
いた。だが、こうして今の年齢になれば、その頃がいい思い出に
なっている。剛と義姉さんはさかんに笑いながら話している。
おれはというと、兄貴と仕事の話をしながら、久しぶりのおふ
くろの手料理の味を楽しんでいた。
「そうか。おまえもやっと仕事がとれるようになったか」
「ああ。なんとなく、営業の楽しさっていうものがわかってきた。
まだ、兄貴には到底かなわないけどね」
おれは兄貴を尊敬している。なにせ、茶畑をひとりで切り盛り
しているのだから。言葉で言うとたいしたことなさそうだが、茶
畑の広さを見てみるとそれがよくわかる。
「おれはただお茶を作るのが好きなだけだ。山は良かぜ。梅雨の
時期は大変だが、五月の茶摘時期は気候もよかしな。おまえも戻
ってくりゃいいのに。都会と違って、ここはストレスがないぞ」
「また始まった、兄貴の口癖が。さっき仕事がおもしろくなって
きたと言ったばかりとに」
「ハハハ・・・すまん、すまん。そうやな、おまえは営業でがん
ばっとるしな。じゃ、そろそろ嫁さんをもらわなにゃ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「どうや、佳奈のことはそろそろあきらめついたか?」
兄貴の口から佳奈の言葉がでると、剛がこっちを向いた。
「光。テルちゃんにはまだそげな話は早かよ」
義姉さんは兄貴のことを今だに、恋人時代の呼び名で呼ぶ。
「いや、もうあれから二年たっとうことやし、もうそろそろ区切
りをつけんといかん」
「それは会社の先輩にも言われたよ。だけど・・・」
「だけど、なんや?」
「さっきちょっとショックなことを言われた」
「テル。それは言うな」
剛が小声でたしなめるようにおれに言った。
「何かあったんか?」
兄貴は自分でビールを注ぎながら言った。
「墓で・・・佳奈の従姉妹と会った」
「ああ!あの小生意気な娘か!」
「知っていたのか」
「知っているもなにも、昼飯時にここに来て嫌味をさんざん聞か
された」
「ここに来た?」
さすがのおれもこれにはびっくりだった。思わず剛と顔を見合
わせた。
「ええ根性しとんなぁ、あの女」
剛は感心するようにして言った。
「ほんと剛ちゃんの言うとおり。いきなり来て、光輝のことを悪
口並べてね。よくもまあ、平気な顔して隣に住んでられますねぇ、
だとさ。最後には私はあなたたちを絶対許しませんからねと言っ
て帰ってたよ」
今まで黙っておれたちの話を聞いていたおふくろは、憤慨きわ
まりないといった感じで、まくしたてた。その話を聞いて、おれ
は腹がたってきた。おれに言うのはまだしも、おふくろにまで言
いに来たとは。剛はおれをたしなめたにもかからわず、おふくろ
の話を聞くと啖呵をきるようにして話し始めた。
それから食卓はあの由樹の話で変に盛り上がってしまった。特
におふくろと剛は相当頭にきていたらしく、ぼろくそに言ってい
た。まあ、アルコールがはいっていたせいもあるだろうが・・・
おれはまた由樹が言っていた言葉を思いだして、考えてみた。
一般的にみれば、佳奈の死はしかたのないことだろう。だが、交
通事故にあった要因のひとつはおれが会ってやらなかったことにも
思える。
だから、由樹は言った。あなたが殺したも同じですと。間接的
におれが佳奈を殺したと。あの日、あの時間、魔物がおれと佳奈
の間を永遠に引き裂こうと狙っていたのかもしれない。
そして、その罠にまんまとひっかかった。おれはそこまで思う
と、再びやりきれなさが襲ってきて、自重していたビールをグラ
スに注ぐと、一気に飲み干した。おふくろと剛のやりとりが遠く
に聞こえていた。
「テルちゃん。寝たほうがいいんじゃない?少し疲れてるみたい
だから」
義姉さんが優しい目をして、おれに言った。たしかに自分自身
で疲れは感じていた。昨夜は美保に夜遅くまでつきあわせられ、
今日は今日でショックが大きかった。おまけに明日はサーキット
に走りに行くのだから。
「義姉さんの言うとおりみたいだな。じゃ、先に休ませてもらう
かな。剛、悪い」
「おう。おれはもう少し飲むわ。久しぶりだからな、ここに来た
のは」
「まあ、ゆっくりしろ。だが、飲みすぎるなよ。明日はサーキッ
トまで送ってもらうんだからな」
「わかってるって」
おれはアルコールが程よく体に溶け込んでいるのを感じながら、
立ち上がった。そして、黒光りしている階段を上がり、天井の低
い部屋に入った。高校を卒業するまで、ここがおれの寝室だった。
とにかくここは、天井が低い。ガキの頃でやっと立ち上がれた
ぐらいだから、今となっては中腰でなければ無理だ。それに二階
なのに窓からの風景などない。窓を開ければ、目に飛び込んでく
るのは、隣の家の屋根だ。
だいたいがこの家は玄関というものがない。玄関の代わりをし
ているのが、店の入口なのだ。だから、店から出入りしなくては
いけない。店の中を通り抜け、家の中へ入ると、まず狭い部屋が
ある。
ここは、部屋というより瀬戸物を包んだり、電話をしたりと、
店の用を足すような所だ。その奥が、居間だ。ここも居間にして
は狭い。五人も座ればいっぱいで、テレビとの距離も近い。
そのテレビと向かい側が炊事場だ。キッチンとも台所とも呼べ
るものではなく、炊事場がピッタリの名だ。さらに奥が、応接間。
ここは逆に広い。十畳ぐらいあり、ここに親父の仏壇がある。
また、桐箪笥がふたつあって、古さを感じさせる。この箪笥は
先祖代々受け継がれてきたものらしい。おそらく、骨董価値が相
当あるのではないかとおれは思っている。親戚連中の集まりはだ
いたいここで行なわれる。
そして、応接間を抜けると、縁側で庭がある。おふくろは植物
も好きで、いろいろな苗木をもらったり、買ってきたりして植え
ている。おかげで、庭はいろんな植物で、ひしめきあっている。
おれは中腰のまま、パジャマに着替えて布団に入ろうとした。
ギシッ、ギシッと階段のきしむ音がした。誰かが階段を昇って
くるようだった。部屋に入ってきたのは、義姉さんだった。
「疲れたやろ?今日はいろいろゴタゴタがあって」
義姉さんは心配そうに言った。
「まあね。まさかあんな娘に会うなんて思ってもみなかった」
おれは苦笑しながら答えた。
「お義母さんと剛君の話を聞きながら、ふと思ったのよね」
「何を?」
「今日、あの娘にけっこう言われた?」
「まあ・・・ね」
「家にも言いに来るぐらいだから、テルちゃんにも言ってるはず
よね。そして、その言葉にショックを受けた?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「返事がないところをみると、そうみたいね。テルちゃん、佳奈
ちゃんが本当にそんなことできると思う?」
「そんなことって・・・佳奈と彼女が愛し合っていたということ?」
「そう」
「おれは信じたくないけど、本人がそう言うわけだから」
「テルちゃん、つらいこと思い出させるようで、悪いんだけど。
言っていい?」
義姉さんは何を言いたいんだろうかと、おれは思って答えた。
「ああ、いいよ」
「佳奈ちゃんは子供を宿していた。そんな女性が、もうひとり愛
しあっていた人がいたなんて、私には到底思えないの。もし、仮
に佳奈ちゃんがテルちゃんと付き合いながら、その彼女とも愛し
あっていたとしていたら、子供を宿すことはしないと思う。それ
にね、ふたり同時に愛することは、かなりのエネルギーがいるの
よ。まして、男と女を同時に愛することなんて、到底できない」
義姉さんの言葉は熱を帯びていた。
「それじゃ、彼女はなぜ嘘をついたんだろう?」
「それは本人にしかわからない。おそらくだけど、彼女の悲しみ
は相当だったはず。それをテルちゃんにぶっつけた。それもかな
りのショックを味合わせてやろうと思ったからもしれないわね」
おれは何も言わず、頭を横に振った。考えることが、だんだん
嫌になってきたからだ。
「だから、テルちゃんは佳奈ちゃんのことを信じなさい。私も佳
奈ちゃんに会ったことがある。とてもそんなことをできるような
娘じゃなかった」
「おれも佳奈のことを、そう思いたいよ。でもあそこまで言われ
ては・・・」
「そうね。それはそうかも。だけど、私は佳奈ちゃんのことは信
じるわ。ちょっと、それを言っておきたかったから。それじゃ、
おやすみ」
義姉さんはそう言うと、部屋を出て行った。その後ろ姿をおれ
は見ていた。布団の中に入ると、義理姉さんの言った言葉が頭
から離れなかった。
『信じることか。そうだな、おれが佳奈のことを信じてやらないで
どうするんだ!』
そう思うと、気持ちが少し楽になった気がした。