百鬼夜行
予想通り、数時間後に俺は花見月によって起こされた。それも乱暴に。寝起きが悪いのと寝不足が重なって、不機嫌そうにしていたら、それがもとで花見月と喧嘩になった。大人げないのは分かっているが、欲望に負けたのだ。人間だって時には欲に負けることもあるだろう。お互い様で許してくれないのか。
起きて早々喧嘩をしたから、俺の朝餉は準備してくれるはずも無く、抜きになった。そして掃除もしてくれないから、自然と境内は落ち葉とゴミだらけになってしまった。普段から家事をしてくれる花見月の有難さを痛感している。決してお願いなどしてやらんが。
しかし、それとこれは別問題。俺もしようと思えば家事ぐらいできるはずだが、花見月の家事と言う仕事を私情でやめるのはどうかと思わなくもない。プロの意識をといてやらないと。
箒で境内を掃き、手水舎にゴミが溜まっていないかを確認する。ゴミが溜まっていないのを確認すると、今度は札の準備に取り掛かった。お札といってもそんな大層なものではない。五分程度で書ける気休め程度のものだ。下級の妖には効くらしい。俺は高位の神じゃないので、これが限界。頑張ればもう少し強いものも作れるだろうが、面倒くさい。適材適所。無理に頑張らなくともよい。
感覚で文字を書いて、そこに息を吹きかける。多少俺の匂いと妖力が付く程度に。それだけで、大概のヤツは逃げてくれる。犬のマーキングに近いものだ。そう思うと、なぜか屈辱に思えてきた。…やはり訂正しよう。犬のマーキングよりも効力はある。
そしてそれを綴って、社務所に届けに行った。大体花見月は日中そこにいる。
「…札」
「そこに置いとけ。そしてさっさと出てけ」
相当ご立腹である。俺もその態度にイラっときて、書いた札をその辺におく。仕事中の花見月を背後にさっさと部屋を出た。
内装は古びれた神社なのに、内装は素晴らしいもの。白いカーペットが敷かれ、真新しい珈琲メーカーに、シャンデリア。ここだけ洋式である。後はクーラーさえあれば完璧だというのに、まだ我が社は扇風機と打ち水で頑張っている。本当にもっと頑張れるように賽銭してくれたらいいのに。そうすればもっと頑張る気がする。多分。
花見月の言う通り社務所を出て、俺はただすることも無く、屋根の上で寝転がっていた。直射日光を浴びて熱い。肌が焼ける…なんてことは無く、タダ魚のような気分だった。空を眺めていても、雲が流れるだけで何も面白いことは無い。地面を眺めていても、そうだった。
ため息をつきながら空を眺めていると、布が飛ばされているのが見えた。空の天高い場所に。裸眼でギリギリ判別できる程のところである。手を伸ばしたところで届くはずも無い。どこかの洗濯物が風ででも飛ばされたのだろう。
気付いたからといって、取ってあげる程俺は優しくはない。努力と結果が釣り合わないのだ。ただあの布の行く先が気になって、目で追っていた。
「…こっちに来い」
気まぐれに言ってみた。感覚的には、ぬいぐるみに話しかける感じに近い。返事を期待していなかったが、布は俺の呼びかけに反応するように急降下してきた。
風に煽られて、フワフワと。風船のようにどこかに飛んでいきそうだったが、布は確実に俺の顔に向けて落下してきた。そして、顔面に張り付いてくる。弱弱しい妖気を微かに感じた。息苦しく息を吸おうとするが、鼻や口を布妖怪が塞いでくる。どれだけ剝がそうとしても、粘着してくる。
不味いか、このままだと…そんなアッサリ死ぬわけない。
こんな弱者に負けるか。出て来い狐火。全てを燃やせ_
張り付いてくる妖怪に手で触れる。そして体の中で湧き上がる熱を吐き出すように手に力を込めて妖怪を掴んだ。
ボッと妖怪に火が付く。洗布の癖にから騒がしいぐらいの悲鳴が上がった。
「おうおう…よく燃えるな。燃えるのはいいが、神社を燃やすなよ」
きっと悲鳴を上げる布、否、妖は苦しそうに藻搔くばかりである。全く最近の妖は弱いにも程がある。燃やされたぐらいで、死にかけるとは。昔はもっと骨のあるヤツばかりだった気がするのだが。じじ臭い長話はこれまでにしよう。
ため息をつきながら、残りカスが燃え尽きるのを眺める。焦げ臭い。これは火事とでも勘違いされそうだ。通報されでもしたら、花見月にでも任せるか。うん、そうしよう。コレは俺の所為じゃないからな。俺の所為にされる謂れはない。
「何やってんだよ…このバカ狐」
「喧嘩を売られたから、買っただけだ。文句は聞かない」
臭いにつられてやってきた花見月が、目をぱちくりさせて言った。花見月からすれば、明らか何か事件があった現場にいる犯人(一尾の犯狐)と燃えカスである。弁明しようとしたが、喧嘩をしたのを思い出してそっけない対応をしてしまった。子供みたいなことをせずに、大人の対応をすればよかったと思う。しかし、生き物とは思ったようにはできないのである。
一応、俺の所為ではないと弁明はした。
「あっそ。神社燃やすなよ」
花見月もそっけない返事をして、互いにギクシャクしたまま別れることになった。なんでこんなことになるのか。内省してみるも、出てくるのはため息だけ。何度目か分からない大きなため息をついた。
「おはようございます」
「おはようございます。飯はいつものところにあるから、さっさと食ってろ」
「分かってるよ。しつこいな」
何とか話はできるようにはなった。しかし会話もままならないので、喧嘩もずっとしっぱなしにはできない。このままではこの神社の妖と人の関係が崩れて、廃神社から餓鬼の秘密基地になってしまう。というか、なりつつあるのが現状である。神社の裏なんて、ツリーハウスを建てようと奮闘している最中である。窓の外からでも見えるあの鳥の巣。注意のしようもないし、どうしたものか。
この神社にはそれぞれ役割がある。絶対に外せないのは主神である。所謂祭られている神様とでも思っていただけたら良い。そして神社の管理その他諸々をしているのは神主と呼ばれる人物たちである。神主の中でも、トップに立つのが宮司。花見月は宮司の役割を担っている。因みに、私は主神。神らしさはないが、一応神なのである。
私が神のような扱いを受けるようになったのには、大きな理由がある。それは幾つかあるが、主には姿を人間に見られてしまったから。
あまり知られていないが、妖は人間にも見ることができる。その姿をあまり見せなかったが故に、架空の生き物とされているだけなのだ。人魚は不老長寿、件は未来が見えるなどそれはそれは素晴らしい能力を持つ妖もいる。そしてそのような能力持ちは、人間に乱獲されることもあった。
そんな時代があり、妖怪は人嫌いのものやひっそりと暮らすものが多い。妖が架空のものと信じられていた現代で、俺はうっかり人の前に姿を出してしまった。尻尾と耳を生やしたままで。
目撃者は、入念に祈願しに来る老婆だった。昔はこの神社の神はいるものの、姿は拝めないという仕組みを取っていた。とっていたのだが、ついやってしまったのだ。その老婆は俺からすると、遠目から見ていた馴染みであったため、俺は油断していたのだ。
体を丸めながら熱心に願っているので、俺は変化したつもりで話しかけてみた。
「今日も朝早くからご苦労。何をそんなに願っているのか俺には分からないが、その内叶うだろう。気張って生きろ」
「ありがとう。この体が持つ限り、何もなくても何かを頑張りたいのよ」
そう言って老婆は顔を上げた。そしてぎょっと、狐につままれた様な顔をした。老婆の反応に疑問を抱いた俺は、首を傾げる。
「そのお姿は…」
言われて俺は気付いた。頭と尻に手をやると、何かついている。明らかに人間にはないものが。老婆はその先何も言わなかった。否、言えなかった。涙を流して、膝から崩れ落ちてしまったのだ。
「お、おい。大丈夫か」
慌てて駆け寄ると、老婆はさらに涙を流す。元から弱弱しい体から水分を失い、カラカラのミイラのようになってしまうのではないかと思わず心配せずにはいられなかった。駆け寄ると涙を流すし、離れると俺の姿を見て泣く。どうしたらいいか戸惑いを隠せなかった。
「なんと見目麗しゅうございますことでしょうか。貴方様はここの神社の主神様でございますね。長年極楽浄土に行きたいと拝んでまいりましたが、神様に本当にお迎えに来てもらえるなんて思えませんでした。有り難や、有り難や…」
「…うん…はい、そうですか…」
老婆の口から捲し立てられる勢いに負けて、俺は認めることしかできなかった。こうして公認の神になったのだ。八百万色々な神がいるが、俺はただの妖で、神らしい能力も持ち合わせていない。
だから、正確には神ではないと自分では思っているのだが、どうなのだろうか。一度は他所の神に神の定義を聞いてみたいところである。
友人。人が人と結びついた結果生まれる、強い絆で結ばれた集団。俺はそのように認識している。
「ねえねえ、最近花見月の帰り遅いんじゃないの?」
「ん。そうか」
日中、休憩しているとワタがやってきてそんなことを言った。いつもの戯れだと分かっているので、俺も真面目に取り合おうとしない。俺が自由にやらせてもらっている分、花見月にも自由を与えてやっている。人の自由に首を突っ込もうとすること自体が下世話なのである。
「何でも、最近街の方で友人ができたとか。気にならない?」
「そうか。お前ひとりで行ってこい」
この先の展開は天眼通を持っていなくともわかる。恐らく【気になる】と答えると、追跡調査とか行ってワタが出かけていく花見月の跡をつける。そして友人と会っているところに、突撃する。そこで厄介ごとに進展させていくのだ。そんなことをしたところで、結果が良い方向に進むとは限らない。
「そんなことをしたって、結果はその眼で見えているんじゃないのか」
「残念。私の眼はね、未来を見ることはできる。でも、それはあくまで人間の脳が処理できる範囲までが限界。人間には限界があるのよね。だから、その中での結果しか見えない」
そう言って、ニヤニヤとワタは笑う。その結果とやらでどうして満足できないのだろうか。人間好奇心とやらは末恐ろしい。
人間の限界とか言いながら、ワタはその底を見せたことがない。無理しているのか、余裕なのかは知らないが、面倒ごとだけは勘弁してほしい。追跡なんてしたら、ばれた暁には喧嘩どころじゃすまない気がする。花見月は年頃なのかプライバシーに厳しいのだ。部屋に入るときも何かと言ってくる。
「余計なことはせずとも、大丈夫だ。ほっとけ」
「そうね…と言いたいんだけど、そんなのんきなことも言ってられないのよ」
ワタはポケットから飴玉を取り出し、おいしそうに舐め始めた。口の中で何度か左右に飴玉を転がし堪能した後、また話し始めた。
「この前の百鬼夜行。中部の方で他の百鬼夜行と衝突したらしいわよ。そこで負けて、敗走してるの」
「ほう」
興味深い話になってきた。俺は耳だけはワタの話の方に向けて、目をつぶった。頭の中で戦場の騒がしさを思い描く。騒がしいのは嫌いではないが、戦にはいい思い出はない。
「その敗走した百鬼夜行を追いかけて、勝利した方の百鬼夜行が進軍しているわ。それも辺り構わず人攫いをするものだから、各地で行方不明者も多発中」
「そうか」
俺の中で急に面白い話からつまらない話へランクダウンした。関わりのない奴らが被害にあったところで、俺には何の被害もないし。無理に出張ったところで、できることなど限られている。
その話を聞いた俺に、ワタは行動してほしかったのだろうが、完全に当てが外れている。残念だったな。
ワタは急に声色を変えて言った。
「ここでなんとビッグニュース。なんとその弐つの群れが来てます!」
何処にかなんて聞かなくとも察した。面倒ごとだけへ回避したかったのだが、もうすでに舞い込んできていたらしい。しかし、俺は動かない。俺に被害がない限り、意地でも動いてやらない。面倒ごとはごめんなんだ。
「さらに大大大ニュース!貴方、関わりが無ければ動かないけど、もう関わっているのよね。心当たりはない?」
嫌な予感がした。ワタの楽しそうな顔がムカついてきた。心当たりしかない。絶対先日のアレだ。
ワタは俺の方に顔をグイッと近づけていった。
「貴方、最近妖怪に襲われたでしょ」
もう、疲れた。
「敗走した群れの大将は瀕死。一方で勝利した群れの大将はピンピンしているわ。もう負け確定で、お手上げ状態。
なのに、敗走した群れが降参しないのは、忠臣に諦めの悪い奴がいるのよね。彼の言い分はこう。
”大将は生きているんだから、まだ負けてない。ここを乗り越えれば、勝利も見えてくるやもしれぬ”
って言っている。
戦う兵士も満身創痍なのにね。何処を見てそんなこと言えるのかな」
ワタのその忠臣に対する評価は余程低いらしい。ワタは苦虫をかみつぶしたような表情をしていた。
その忠臣の主張も分からないでもない。可能性を捨て去るなといいたいのだろう。しかし忠臣からすると兵士はあくまで駒に過ぎないのだろうが、兵士にも疲れがたまる。疲れがたまれば、集中力の低下や発熱等の病につながり、最悪死に至ることもあるだろう。
自分の立場は部下がいて初めて成り立つ。そのことを忘れているようでは、まだまだ未熟のようだ。まさに将を射んと欲すればまず馬を射よ。
「ともかく、俺の感想としてはそいつらは大したことは無い。襲われたとて、人間にも追い返せるだろ」
「できないことも無いと思うけど、できる人は限られてくるでしょうね。貴方の知り合いで、あの手の妖を払えそうな人はどれぐらいいいる?」
俺は何とも言えなかった。払い屋ならできそうだとしか答えられそうにない。最近は払い屋に会うことも無いので、レベルは知らない。あの程度なら中級ぐらいの実力者でも払えそうである。奇跡的な確率で一般人でも勝てるかもしれない。
黙々と考えていると、ワタはため息をついた。
「悩むぐらいなんだから、碌なのがいないでしょ。私が知る限り、払えそうなのも、日本国内なら一、弐、参…軽く数えて、伍〇ぐらいかしら」
伍〇人。払い屋も衰退したものだ。昔ならもっと、散歩するぐらいでも払い屋に出くわしたというのに。払い屋もっと頑張れよと応援したくなる。
妖怪が大暴れして、日ノ本の国が火ノ本の国になる日も近づいてきたようだ。妖怪共が人間を虐げるような時代が来るのかもしれないな。それでも俺は別に被害さえなければ良いと思う。迷惑さえかけなければ。
俺はそのまま知らぬ存ぜぬの態度をとることにした。余計なことをして、被害を広げるようなことがあったらどうする。それこそ面倒ごとだ。欠伸をかます俺に、ワタはなぜか楽しそうに笑った。
「いいのね、ほっておいて」
「嗚呼、いい。妖怪同士のことだ。妖怪が解決するだろ」
「貴方も妖怪なのよ」
それから、ワタは茶を飲んで帰っていった。何故か帰りまで、ずっと楽しそうに笑っていた。「頑張ってね」と帰り際に意味深なセリフを残して。きっと何かワタにとって楽しそうな予感をしたのだろう。ワタの楽しそうなことは、俺の面倒ごとに相当することが多い。
一難去ってまた一難。嫌な予感とは当たるものだ。そう、絶対当たる。少なくとも寝不足の今日。来てほしくなかった。
「神様、お願い!兄ちゃんが居なくなっちゃった!…ぼくが、ぼくが兄ちゃんにどっか行ってって言っちゃったから…兄ちゃん…」
そう餓鬼が鳥居の下で泣き喚いた。最初はほっておけば、家に帰るだろうと放っていた。しかし、帰ることなく餓鬼は泣き喚き続けた。迷惑もいいところだ。
布団から起き上がり、外につながる障子を少し開き覗いく。小学生ぐらいの餓鬼が、鼻水を垂らしながら泣いていた。餓鬼は泣くために腹から声を出したからか、咽ている。それでも叫び、また大粒の雫を落とした。
障子を閉め、俺は寝ることにした。ワタにも言ったが、人間のことは人間が対処するべきだ。ここで俺が出ていって、何か期待させる訳にはいかないのだ。俺は何もできないのだから。
「お願、神様。兄ちゃんを見つけてよぉ!神様!」
またその内花見月が対処してくれるはずだ。なんだかんだ言いながら、花見月は面倒見がいい。困っているヤツには、手を差し伸べてくなるタイプの性格をしている。神社の名声が高まっているのは、そのおかげもあるのだろう。
障子を閉めても、餓鬼のわめき声は聞こえていた。
「神様お願い!兄ちゃんを探すのを手伝ってよ!」
だから無理だ_
「お願い!ぼく、何でもするから!」
餓鬼にしてもらうことなんか無い_
「お願い!兄ちゃんに…兄ちゃんに会いたい!」
布団にくるまっていたが、餓鬼の騒がしさで寝るに寝れなかった。さらにその餓鬼は、神社のありとあらゆる神が居そうな所を叩き始めたのだ。餓鬼とは思えない力で、ドンドン叩くものガタがきている神社が悲鳴を上げている。せっかく修復工事を始めたのに、これではまた一からになってしまう。
扉を開けて叫んでやりたかった。他所の神様をあたってくれと。そう叫んで、餓鬼を追い返してやろうかと思った。
しかし、あまりにも真剣に嘆くから。悲しそうに嘆くから。必死に嘆くから。
…だから人間は嫌なんだ。
「いい加減にしろ、このクソ餓鬼!!」
…自分の都合のいいときだけ、俺たちを頼りやがって。期待させておいて、普段は何もしないくせに。
「迷惑もいいところだ!!」
障子を開けて、言い放ってやる。餓鬼は大きく目を見開き、俺を見ていた。尻尾の生えた妖怪を見たことないのか。それは当たり前である。
俺は腕を組んで、怒っていることを分かりやすくアピールした。餓鬼は感情に敏感だが、まだ大人程発達していない。それ故分かりやすくしてやった方がいいと花見月が言っていた。
俺は言いたいことも言えたので、満足して手をかけ障子を閉めようとした。するとその瞬間、障子の隙間に目掛けて餓鬼が走り出し、飛びついてきた。
「あ、危ないだろ!何するんだ、クソ餓鬼!」
餓鬼は俺の足にしがみ付いてきて、放さないとがっしりとホールドした。足を振って振りほどこうとするが、餓鬼は離れなかった。
「お願い!神様!兄ちゃんを探すの手伝って!」
「無理だ」
俺はきっぱりと言った。餓鬼は酷く驚いたような顔をして、すぐに涙を流す。まるで間欠泉のようである。流れても流れても、湧き出す。
しゃくり上げながら、餓鬼は話した。
「兄ちゃんは…ぼくがどっかに行ってって言ったから…どこかに言っちゃったんだ」
「聞いてた」
「だから…ぼくが兄ちゃんを探さないと」
「そうだな。男たるもの、自分の言葉に責任を持たないとな」
餓鬼はまた声を上げて泣き出し、俺の袴で鼻水を拭いた。しかも、しっかりと。俺は言葉にならない声を上げて、餓鬼を振り落とす。流石に、鼻水は汚い。これは餓鬼の悪戯にしてはやりすぎだ。
「手伝ってよ!神様!」
俺は神じゃない。そう都合のいいことを言って振りほどいてもいいのだが、一応ここでは神様の役割を担っている。本物の神様のように誰かを助けることはできないけどな。
正直に言うと、俺も助けられるなら助けてやりたいと思わなくもない。こんなに願われて放っておくことができない。ただ願われて期待に応えられるほどの力を持ってはいない。だから、放置してやろうと考えた。
「兄ちゃんがいないとダメなんだ!毎日、一緒に登校して、ゲームして、寝てくれないとダメなんだ!兄ちゃんじゃなきゃヤダ!」
家族を大切にするヤツは嫌いじゃない。必死に神に願うその姿に心を許してしまうのは、きっと未練が残ることを恐れているからだろう。どうしてあのとき手を差し伸べなかったと。俺はため息をついて、狐火を呼び寄せた。
「おい、餓鬼。鳥居の下で待ってろ」
宥めるように言うと、餓鬼は涙と鼻水を服の袖で拭いながら首を縦に振った。一応、餓鬼の護衛に狐火をつけて、その場を去った。
このまま出かけてもいいが、その前にちょっとした用事を思いだした。その用事を済ませるために、隣の花見月の部屋に向かっている。この時間帯なら、花見月は起きて読書をしていることが多い。さらに、さっきまで餓鬼が騒いでいたので、顔を出さないわけがない。花見月はお人よしなのだ。
さっきから、怪しいと思っていた。その花見月が出てこないなんて。襖を開けると、花見月の部屋はもぬけの殻だった。褥さえ準備をしていない。読みかけの本が、所在なさげに置かれているだけだった。
「…攫われた訳では無さそうだな。花見月、いるか?」
念のために声をかけるが、返事はない。普段出かけるとき、花見月は俺が近くにいると何か言ってから出て行く。その知らせを聞いていないのなら、俺の風呂の間に出て行った可能性が高い。喧嘩中でも書置きでも残しておくのがマナーだと思うが、細かいことは今はどうでもよかった。
花見月の自分勝手さに呆れながら、部屋を出ようとすると微かな物音がした。カリカリとどこかをひっかくような音が。
「誰かいるのか」
耳を立てながら、物音の主を探す。耳を澄ませながら、見つけたのは物置の中だった。耳をそばだてると、確かにひっかくような音がした。間違いなさそうである。妖力のようなものもうっすら感じた。
襖を一気に開く。すると中から何かが飛び出してきた。
「お、おっと。失礼しました。お狐様でしたか」
飛び出してきたソレは、器用に二本足で立った猫だった。
「…ネコか」
「違います、猫又です」
そう言うと、猫又は振り返り俺に二本の尾を見せた。確かに二本生えていた。
「どうしてその猫又がここにいるんだ」
「それはですね…それはそれは深い訳があるのです」
猫又は、腕を組んで感慨深そうに話し始めた。が、そこで俺は思い出した。こんなことをしている場合ではない。
俺は猫又の首を捕まえて、問いただした。
「お前、ここにずっといたんなら、花見月はどこに行ったのか知ってるよな。今すぐ吐け」
「そんな乱暴な…花見月とやらは、狐様が席を外している間に出て行きました。なんでもお友達に危機が迫っているだとかで…」
猫又の話を要約するとこうである。
花見月が日課の読書をしていると、神社に人間の女が尋ねてきたらしい。そこで猫又が話を聞いていると、親しげな様子から女が花見月の友人だと分かったそうだ。それで、子供がいなくなって、それを探しに行った夫も消えたとか。警察に連絡してみたが、同じような事件が数十件起きており、対応に時間がかかるらしい。それで困った女は、宮司の花見月なら何とかしてくれるのではと思ったらしい。
「それで花見月は助けに行ったと」
「そうです」
なんという、お人よしなのだろう。俺が思っていた数倍はお人よしだ。花見月にも百鬼夜行の人攫いについて話していたはずなのだがいつの間にか忘れていたのか。いや、何度も言ったから承知していたのだろう。それでも、友人の頼みならと引き受けたのか。馬鹿か。自分の手に負えないと理解できなかったのか。全く、面倒ごとを持ち込むなと何度も言っているはずである。
「…お前は、俺が帰ってくるまでには出て行っておけよ」
「え、そんな殺生な」
猫又が何やら騒いでいるが、知ったことではない。俺は猫又をその辺に投げ捨てて、鳥居の下で待ってる餓鬼のもとに向かった。
「こっちなんですよね」
「ええそうです。このあたりを捜索中に、急に夫がいなくなってしまって…子供たちだけでも心配なのに、夫までも」
そう言って、女はさめざめと泣く。花見月は女の肩に手を置き、慰めた。
「大丈夫です!きっと見つかりますよ」
女に言ってはいなかったが、花見月には犯人にめぼしは付いていた。神社で耳にタコができるほど聞かされていた”百鬼夜行”の仕業だろう。
気がかりなのは、置手紙をしてこなかったことだ。あとで、連絡の有無で喧嘩に発展しそうで少し不安になる。今も喧嘩をしているようなものだが。
「助かります、宮司さん。警察に連絡しても、お忙しそうでなんだか気が引けてきちゃって…自分にできることをさがしたんですけど、これぐらいしか思いつかず」
「自分にできることをしようとするのは、いいと思いますよ。でも、一人で行動するのは良くないです。気が引けても、警察にもう一度連絡してみるのはどうですか」
k女は少し悩んでいたものの、渋々納得してくれた。もともと危険だと察していたらしい。花見月は内心ほっとしながら、女の自宅へ向かい歩き始めた。
静まり返る街中を、二人でお互いのことを話しながら歩く。こうして話していると、お互い友人と呼びあっているのに何も知らなかったんだと実感した。
黙って不安にならないように懸命に明るい話題を探す。結果、今何をしているか知らないバカ狐を話題に出した。
「それでソイツが、漫画ばっか読み漁って全然家事をしてくれないんです」
「まあ!それは、なんて人なんでしょう!家事をするこちらの身にもなってほしいですね。私たちはロボットじゃないって言ってやりましょう」
「そうですね」
女は花見月の話を楽しそうに聞き、たまに自分の話をした。話し合う姿は、まさに気の置けない友人である。もっと仲良く成りたい。そう思い、花見月は口に出しかけた。
そんな楽しげな雰囲気は、一瞬の悪意で吹き飛ばされてしまう。
「な、なんですか…コレ…」
「離れてください。危ないかもしれません」
「は、はい」
急に辺りに煙のようなものが充満し始めた。ニオイはないが、人体には悪影響があるかもしれない。念のため避けた方がよさそうである。色も無く、発生源も不明。毒の可能性は完全には捨てきれない。
隣でうめき声のような声がして花見月が女の方を向くと、女は胸のあたりを押さえて苦しそうに藻掻いていた。
「だ、大丈夫ですか」
花見月が女のもとへ駆け寄り、体を支える。女は苦しそうに過呼吸を繰り返し、花見月に震える手で握るが気絶してしまった。花見月は焦りながらも、呼吸を確認する。息はしているが、医者でもないから健康状態が分からない。女の身体を揺さ振ってみるが、女は苦しそうに息をするだけで返事はしなかった。
「意識はないか…家も分からないし、どうしようか」
幸い煙のようなそれは、花見月に影響は無かった。しかし遅効性であるかもしれないので、油断ならない。女の容態は悪く、花見月にできることは多くない。花見月は、女を抱えると神社へ歩き始めた。
ゆっくり一歩ずつ煙の中を歩いていく。煙というよりも、水蒸気、霧の方が近いかもしれない。肌にあたる度に、肌にひんやりとした感触が伝わってくる。
花見月は、念のめ袋にしまっていたハンカチを取り出し口元を覆うように固定した。もうすでに手遅れだろうが、ないよりはましだろう。
「もしもし、大丈夫ですか」
腕の中で唸る女に声をかける。女は未だに意識を取り戻す様子はなかった。自然と花見月の足は速まる。時々声をかけて意識が戻っているか確認しながら、息よりも遠く感じられる道を歩いた。
できるなら、もっと早く家に帰って連絡するように助言してあげるべきだった。そうすれば、こんなことにならなかっただろう。自分の中で湧き続ける後悔を振り払いながら。
花見月が神社までもう少しというところまで進んだ頃のこと。花見月は必死に走っていた。その理由は、花見月の後ろにある。ドドドドと轟音を立てながら走ってくるのは、小さな小鬼たちである。それも数えきれないほどの。花見月は、走り過ぎによる吐き気を催しながらも走っていた。捕まった場合など、想像は安易だった。
実は、捕まった人たちを見かけたのだ。気絶させられ、どこかに連れていかれる様子を、花見月は隠れてみていた。勇気と蛮勇は違う。妖怪たちに攻撃をせずに、必死にこぶしを握り締め耐えていた。飛び出したところで、どうにもならないのは分かっていた。頼るべきは別にいる。
「もうちょっと!もうちょっとで」
神社に特別な結界などはない。他の神社にはあるのかもしれないが、うちの神社は神があの様子だからできないのだ。本気を出せば結界など造作もないだろう。もうちょっと本気を出してくれればいいのにと、これほど思ったことは無かった。例のお札で足止めできるのであれば持ってくればよかったとも思う。
小鬼たちとの距離が近づいているのを感じながら、花見月は階段を上った。神社の無駄に長い階段は、苦しめることにしか役立たない。足を上げて進もうとするが、もう限界だった。
花見月は階段を中腹ぐらいまで登り、足が疲れ果てて躓いてしまう。女を落とすことはなく、一安心していた。一つのことに集中すると、もう一つのことが見えなくなる。この世の条理のようなもの。花見月は女に気を取られていた。そのため、背後まで気が回らなかった。まるで某探偵の例のシーンのごとく。
「つ、か、ま、え、た」
花見月の右肩に小さな手がポンと置かれ、そして肩を強く握られた。肩に爪が食い込み、血がじわじわとにじむ。手の大きさからは想像もできない力だ。ヒヤリとした冷や汗が全身に襲い掛かる。
「離…せ!」
花見月が藻掻くと、その手はさらに強い力で花見月の肩を握った。花見月は唇を噛んで堪え、身をよじり後ろを振り返る。そこにいたのは角の生えた少女であった。鬼だ。驚いたが怯んでもいられず、花見月は空いていた左腕を後ろに引き、力いっぱい勢いに乗せて殴りつけた。
顔が人間で少し躊躇ったが、花見月の会心の一撃が少女の腹に入った。少女は勢いに負けて、階段の下の方へ消えていく。
花見月は素早く階段を上り始めた。女の額から血が溢れており、先程少し切ってしまったようだ。焦る気を何とか抑えてつけながら、花見月は慎重に且つ急いで階段を上る。
後十段。そう思いながら、足を動かす。不思議とゴールを定めた方が、体が楽になる気がした。
後九段。もう少しでゴールだ。一秒に一回足を動かすだけで着く。
後八段。息が苦しい。諦めてしまいたいが、ここで諦めたら友人との約束を違えることになる。
後七段。もう少しで半分をきる。神社に着けば、あのバカ狐がどうにかしてくれるはず。普段全く役に立たないのだから、こんな時ぐらい役に立ってほしい。
後六段。苦しい。疲れてきた。
後四段。今まで頑張ったのだから、もういいんじゃないか。ゴール地点までもう少しのところまでこれた。それだけで誉じゃないか。
たったの三段。登り切ればそこでゴールだというのにまた限界が来ていた。後ろの妖気は勢いを増して近づいてきている気がした。小鬼たちの足音の中でも、特別耳に届くものがあった。草履を擦りながら歩く音。他の音とは違う、特別ヤバい感じがした。
間に合わないそう感じた。だから、花見月は女を後ろに隠し、小鬼たちと向かい合う。小鬼たちの先頭に立っていたのは、先程の少女だった。ケロリとした表情で、汗一つかかず階段を上ってくる。そして、花見月の目の前までやってきた。
「坊主、さっきは良くもやってくれた。小生は見ての通り鬼。もとは人間だった。感情に任せて悪事を働いた結果、このようなモノに堕ちた」
少女は表情一つ変えることなく言って、花見月に手を差し伸べる。
「先程の一撃、小生にはたまらぬものだった。良ければ、小生たちと来ないか?」
「はぁ?」
状況の変化についていけなかった。何がどうなっているのか。花見月は目を白黒させる。
「いったい何を言ってるんだ」
「なに、難しい仕事はない。今回の小生たちの仕事は、残党狩りと百鬼夜行に加わる者どもの募集。小生は、偶々見かけたお主をスカウトしてみたくなった。同じ人間のよしみで、主将に口利きもしてやる。共に雑魚どもを駆逐してやろうではないか」
話を聞くに、この少女は話に聞いていた勝者の群のようだ。そして、残党狩りと新たな戦力を探して、こんな騒ぎを起こしている。
冗談じゃない。どうして何も関係のない人々が巻き込まれなければならない。彼らが何をしたのか。花見月は、立ち上がった。
「無関係な人を巻き込むようなところには行きたくない。僕はボロ神社の宮司で十分だ」
花見月はあまり暴力は好まない。今回は非常事態で、身を守るため。そう理由付けをして、身体に言うことを利かせて殴りかかった。手加減はしていないはずであった。
しかし、何度もそう上手くいくものではない。花見月の拳は、少女にあっさりと受け止められてしまった。
「まあ、仕方ないか…なら、無理やりにでも従わせるだけだ」
少女の眼が見ひらかれたかと思うと、花見月の身体は宙に浮いていた。そしてそのまま地面にたたきつけられる。重々しい音があたりに響く。花見月は赤子がおもちゃで遊ぶように振り回され、何度も打ち付けられていた。辺りに飛び散る夥しい量の血が、激しさを物語っていた。
子供とは純粋である。しかし、時折大人よりも加虐的な面を見せることがあるという。少女は花見月で散々遊び、花見月が戦闘不能になると飽きたと言って、後ろに待機していた小鬼たちの方に投げ捨てた。花見月は重症。意識も朦朧としていた。
「今日の収穫はその童だけで元は取れた。その女は放っておけ。囮にも使えぬ」
少女はそう言って、神社を背にした。そのとき、ぞくりと背筋が凍るような気配を感じた。
何処からか童歌が聞こえる。子供を寝かしつけるときによく歌われるものだった。少女はピタリと足を止める。周りの木々の騒めきや灯篭の火が揺れる様子が不気味に感じられた。ふと暴風が吹き荒れて、灯篭の火がふっと吹き消された。それも一つではない。全てが消えたのだ。辺りは暗闇に包まれた。
「なあ、知ってるか。狐の嫁入りって人に見られてはならないんだ。見られた暁には…」
声が異様に響いて聞こえた。辺りに煙のようなものが充満し始める。その量は少女たちが発していたモノよりも何倍の量、濃度を誇っていた。その煙が勢いを増して少女たちの足もとに流れていた。
リンリンと鈴のような物音がして、煙の中から人影がゆらゆらと蜃気楼のように現れる。人影は少女たちの方へ進み、そして姿を露わにした。それは耳を生やした人型に化けた狐。その狐は和装をしており、後ろには大名行列のように狐たちが並んでいた。
狐の行列は少女たちの目の前までやって、そして身構える少女たちの体をすり抜けた。そのまま階段を下りて行ってしまう。何があったのか理解できない少女たちであったが、急激な眠気に襲われ倒れるように眠りについてしまうのであった。
花見月が目を覚ますと、布団の上であった。今までのことは夢かと体を起こすと、強烈な痛みに襲われ布団に戻ることになった。体に目をやると、身体中に包帯がまかれている。少しほどけているところもあり、治療してくれた人物は器用さがうかがえる。
褥から動けず、大人しく天井の木目を数えていると襖が開けられた。
「なんだ起きてたのか」
煙管を吹かしながらやってきたのは、バカ狐であった。花見月の隣に腰を下ろすと、面倒くさそうに懐から薬を取り出した。
「これ、朝、昼、晩で三錠ずつ飲め。飲んだら、寝てろ」
そう言って馬鹿狐は薬の瓶を花見月の枕元に置き、部屋を後にした。事情が分からないまま、お礼を言いそびれて花見月は置いてけぼりになっていた。
花見月に事情を説明したのは、ワタである。ワタ曰く、バカ狐が神社前に倒れている花見月と女を発見し、手当を施したらしい。女の方は手厚く処置して、女の家に送り届けた。後は花見月が意識を取り戻すのを待つだけだったのだが、変な気をまわして態々馬鹿狐が薬を作っていたらしい。
ここまでバカ狐が気にかけるのは珍しく、大切にされているなとワタが笑って話していた。愛されていると知って嬉しくならない訳がなく、花見月は照れ臭そうにしていた。
体も回復して、立ち上がれるようになった頃。花見月は、縁側に立っていた。目の前には寝ころびながら今週のマガジンを読むバカ狐がいた。
花見月はいつものようにバカ狐のマガジンを取り上げることはしなかった。それどころか、横に座り外の景色を眺めていた。今日も参拝客は少なく、子供一人しかいない。その子供も、バカ狐相手に囲碁をしているようだった。だが、馬鹿狐は相手をしてやる素振りはなく、目は漫画を捉えたままである。それでも偶にルール違反を指摘するなどの最低限の相手はしているようだった。
この状況なら、勢いに任せていえばバカ狐は聞き取れない可能性がある。そう踏んで花見月は勢い任せに言った。
「そのだな…薬とか看病とか…助かった」
「もう一度ゆっくり言ってくれ。なんだって?」
ワザとらしくバカ狐は聞き逃し、花見月は一度しか言わないと言ってその場を離れた。
それはそれは晴れた夏の日のことである。
「虚翠、あの鬼女逃がしてよかったの?」
「あれ位なら良い。特段危険視するほどではないしな。いつでもやり返せる。余計な殺生はやらない主義なんでな」
「余計な殺生はしないと言いつつ、街中にいた妖怪をぼこぼこにしてたじゃん。それに人間たちを家に帰してあげてたし」
「妖たちはお灸を添えたまでだ。あくまで致命傷だし、争っていたら死ぬ可能性もあるんだ。俺のやさしさを理解しろ」
「なんだかんだ言いながら、虚翠もお人よしなんだから」
虚翠は鼻を鳴らした。