狐と反撃弐 屋内への招待
仕方なく真っ直ぐ本殿へと続く石畳を、隠成を連れて歩いた。ところどころに苔が付着しており、随分放置されていることが分かる。こんな場所に屋敷があるとは知らなかった。人気のなさから誰にも認知されずに来たのだろう。必要最低限、屋敷の中は草刈りをしているようだが、それでもまだ客を招けるほどではない。山火事でも起きれば、あっという間にやけてしまうだろう。
山火事が滅多に起きないのは、恐らくこの湿気の所為だと思われる。妖気やら気候やらで、そうした陰鬱なるものが集まりやすくなっているらしい。一歩踏み出す度に、水を含む何かの音がする。
「上も下も湿っぽいな。最悪だ」
「コラ、そんなこと言わないの。まあ森の奥だし、我慢しないとね。さっさと用事を済ませて出よう」
良いように言えば自然豊か。動植物にはいい環境ではあるだろう。雨のお陰できっと菌類たちには最高のコンディションに違いない。
雨と森がざわめく音に混じって複数の息遣いが聞こえる。必死に息を殺しているようだ。虚翠は足を止め、視線をそっちに向ける。数は十にも満たない。まだまだ未熟なようだ。ここにいるということは敵だろう。
立ち止まる虚翠に、隠成が首をかしげ問うてきた。
「何かあった?」
「あー、そうだな…」
虚翠はじっと見つめ続ける。その視線の先には茂みがあって、隠成は何となく察する。そしてわざとらしく虚翠の尻尾を掴んだ。その瞬間、虚翠の身体が大きく跳ね、肘が飛んでくる。
「な、何すんだ」
「ここが弱いところは変わってないよね。幼いころと一緒」
アッサリと避け、ほれほれと隠成は尻尾を触る。悍ましくらいの寒気に襲われ、虚翠は素早く隠成と距離を取った。牙をむくと、あははと笑って隠成は虚翠の先を歩いていく。ふざける隠成の足を蹴りながら、虚翠はその後ろを歩いた。
やっとのことで入口にたどり着いた。道すがら何度か妖たちに襲われたが、あっけなく返り討ちにして戦士たちは道に放置されている。優しく手加減などはしないのは当たり前だった。むしろ隠成はもっとやれと野次を飛ばし、完全にお遊びである。
やっと準備運動になってきた虚翠は、入口に手をかけるがふと手を止める。
「ん?どうかしたん」
「複数人いるな。待ち伏せされてる」
複数の息遣いが耳に入ったのだ。玄関の戸は木製で内部の様子は分からない。もしかしたらワザと木製に変えたのかもしれない。面倒なことしたものだ。隠成は風を使って察知したらしく、首を縦に振った。
念のため警戒して、外から戸を蹴破ることにした。
「豪快にね。どうせ翠ちゃんは手加減を間違えて燃やすんだから」
「今はまだ燃やしてねぇし、これからも燃やすつもりはねぇよ」
苛立ちながら、虚翠はドロップキックを扉ごと打ち噛ました。思った通り罠だったようで、何人か戦士が待ち構えており扉の下敷きになっていた。うめき声を上げている戦士たちの上を二人は容赦なく歩いた。
少し楽ができたと喜ぶのもつかの間、物音を聞きつけた仲間の足音が聞こえだす。慎重にやっても、豪快にやっても結果は変わらない。有象無象が湧きだすだけ。さっきは否定したが、次から次ともう燃やしたくなってきた。その方がきっと楽だろう。
「ねぇ、どうするん?両方とも屋内の戦闘に向かない。このままやったらハチの巣になるかも」
ストレッチをする虚翠に隠成は楽しそうに話しかける。これから本格的に屋内に入るが、その辺りはあまり考えていなかった。虚翠は服についた汚れを払いながら考える。
このままいくと、進むたびに戦闘が起きる。それを二人揃って一回一回各個撃破していてはキリがない。それならばである。
「おい、隠成。手分けする」
「うん。分かった」
隠成も同じ意見だったようで、虚翠の作戦に頷く。そしてそそくさと屋外に出て行った。
虚翠はウザイのが居なくなったと少し気が楽になった。そして姿が完全に見えなくなった頃にふと気付いた。ドタドタと走る音が虚翠の方髷けて近寄ってくる。完全に迫りくる面倒ごと押し付けられたのだと。やけに素直だと思ったら。
「あぁ、あの野郎...面倒なこと擦り付けやがって…」
戦士に出会う度に屋外に出ていては面倒だし、時間がかかる。何をするにしても面倒に思えてきた。足音の方へ眼を向ける。
「いたぞ!やれ!」
虚翠に目掛けて、数人の戦士が襲い掛かってくる。数で押してくる作戦であるらしい。一気に向かってきてくれるのは正直助かる。一度で済むから。
「「そろそろやる気ださねぇとな」」
真っ暗な空間にいた。前後左右どこも真っ暗で、目の前も見えない。しかしながらなぜか自分のこと、手や足は認識できた。不思議な空間は時間がたってもやはりそのままで、何か考えないと自分を見失いそうになる。
花見月は自身の身体をペタペタと触った。全身の感覚は間違いなくある。視覚、触覚も恐らく問題はないだろう。嗅覚と味覚、聴覚はあるのかどうか分からない。この空間には匂いや音などがないのだ。
「誰かいませんか」
いつも通りに声を出す。自分の声が反芻して聞こえた。これで聴覚はあるということが分かった。しかし山彦のように声が響き続けている。五月蠅いほどに。
「もしもし」
もう一度声を発するが、自分の声が響くばかりで返事はない。誰もいないらしい。こんな奇妙な空間に一人。急な不安に襲われる。普段の賑やかさがより恋しくなる。
毎日あれだけ喧嘩して出で行けと何度怒鳴ったことか。それでも居座り続ける神経の図太さに、ある意味尊敬し始めていた。最近では火車も居座るようになり、一段とにぎやかになった。あの空間の中は居心地がよかった。
「バカ狐…」
天の辺りを見上げて言った。勿論、聞こえるとは思っていない。いくら耳が良いといっても限度があるだろう。それに旅蛍の件で喧嘩をしたばかりである。何だかんだと言い合ったが、結局は虚翠の方が正しかった訳だ。相当頭に来ていたようだし、花見月が暫く帰らなくても、探してくれないかもしれない。
花見月はそれでも期待を捨てられなかった。もしかしたら聞こえて、助けに来てくれるかもしれないと思いたかった。文句を言いながらでも助けてくれた。
花見月の願いも虚しく、返ってきたのは静寂であった。
「…聞こえるわけない…か。虫のいい話だよな、全くなにやってんだろう」
真っ暗な空間に居続けると気が滅入る。誰でもいいから助けてくれ。脳裏に暖かい体温を思い浮かべながら、花見月の声は小さくなっていく。
突然光が差し込んだ。花見月は思わず目がくらんで、目元を腕で覆い隠す。まるで閃光のようだ。やがて光に照らされた己の身体が熱くなっていることに花見月は気付いた。空いたもう一方の手でその部分を触るとボロッと崩れる。そして骨が露になった。白い固いものと、乾燥しかけている水で固めた砂のようなものが己の手の上にある。触ったところ以外もボロボロと崩れ始め、花見月は自身に迫る死に恐怖する。
花見月はどこかに向けて走り出す。何処に行くかなんてわからなかった。ただ暗闇、光の刺さない場所にまで。光から逃れるために_
ハッと目が覚める。いつの間にかまた寝てしまったらしい。見慣れない天井が視界に広がり、少し驚いた。身体を起こすと、埃にまみれた和室のような場所であった。クモの巣と穴の空いた襖。ボロボロの畳。どうみても手入れされていない場所である。
どうしてこの場に来たのか、花見月は記憶を遡る。しかし思い当たらなかった。最後の記憶は、確か旅蛍の観光案内をしたところ。確かそこで旅蛍と…婿入りの話になって…それ以降は朧気である。隠成が居たような居なかったような、それで助けてもらった気がする。これもさっきの暗闇も全て夢かもしれない。
…了承してないよな?
急に不安になった。何に対してかというと、旅蛍の妹との婚姻の話である。見たことのない場所にいるということは、最後の記憶と擦り合わせるならばここは旅蛍たちの拠点ということになる。つまり花見月自身が婚姻を結ぶという手筈になっているのだろう。こちらが了承しているのなら、断ることは約束を違えることになる。神の関係者としてどうなのかと思うので、感じることは各々だが避けたい。
色々私情も交えながら考えると、どうにかしてその辺りを聞きたい。
「目を覚まされましたか」
急に声をかけられ、心臓が止まるかと思った。完全に一人だと思っていたのだ。花見月は動きを止め、思考を回した。聞いたことのない声であるから、旅蛍ではない。なら、旅蛍の仲間と考えるのが正解だろう。ここに花見月を連れてきたヤツら。そう考えると刺激を与えることは避けた方がいい。より緊張が高まる。
「そう固くならないで。私は敵ではありません」
優しく語りかけられる。花見月は意を決して、ゆっくり錆びついたロボットのように振り返った。もし何か理解しえないモノであっても、動揺してはいけない。そのことが相手にとって不満にさせたら、こちらが悪いと責められ話の主導権まで握られる可能性も無きにしもあらず。
「おはようございます…といっても、朝ではありませんけどね」
「え?」
誓ったにも関わらず、花見月は動揺を隠せなかった。
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大人たちに隠れていろと言われ、子供たちは館の一室に閉じ込められた。大人たちの様子から、何かあったのは明白である。子供たちは元来好奇心旺盛。大人しくしていることなんてできなかった。部屋の出口は見張りがついていて脱出はできない。それならばと部屋唯一の窓に目を遣る。窓は子供たちの中で一番背が高い妖でも届かない位置にあった。恐らく届かないからと大人たちは油断していたのだろう。
やりたいことがあるが、届かない。そんなときに役立つのは一族に伝わる羽である。
子供たちは最近飛べるようになったばかり。それでもひとときなら飛べるほどには上達していた。いずれは、大人になるに連れて丸一日平気で飛べるようになる。一族で一番飛べたモノは一週間でも平気で飛んでいたという伝説も残っている。
一斉に子供たちは飛び立ち、何人か窓にしがみ付く。床きら窓へ何度か挑戦を繰り返した。結局たどり着けたのは数人のみで、留守番が大半。残りを部屋の中において、見事抜け出した数人は外の様子を探ることにした。
大人たちはバタバタと忙しなく動き、子供のたちに気付く様子はない。普段自分たちを叱りつける大人たちの様子を見て、子供たちは目を輝かせる。あの大人をこれ程までに困らせるのは、一体何か。その正体を解き明かしてみたい衝動に駆られる。まるで宝さがしの冒険に出たかのような気分だった。
あっちこっち行き、部屋の中を探すもそれらしき正体には出会わない。途中何度か見つかりそうになるが、タンスの影や押し入れに隠れ何とかやり過ごした。大人たちも攻め入ってきた敵のことで一杯一杯らしい。もう気分は熟練の探検家だった。どんな危険でも乗り越えられそうに思えた。
座敷にたどり着くと、大勢の大人たちが集まっていた。一番前、大人たちの視線の先に立つ一人_部隊長がその場を取り仕切っている。
「侵入者たちを捕捉した!直ちに全員持ち場につけ!」
部隊長の号令に、皆大声で返事をする。そしてまた慌ただしく移動して行った。こっそり追っていくと窓の前に数人一グループで待機している。
緊張感漂う中、一人の子供がソワソワと落ち着かない様子であった。物陰から外の様子を見ようとしているらしい。しかし窓近くに大人たちがいる所為で、上手く見えなかった。子供は遂に堪えきれなくなり、他の子供たちを押し退け大人たちに混ざって外を見た。
「わあ、綺麗な人だ!耳が生えてるよ!」
「そうだ。あれはちょっと行ったところにある神社の神様だ」
そうなんだと子供は呑気に返事をする。大人たちの間に数秒の沈黙が訪れ、皆一斉に混ざっていた子供の方を振り向いた。
「な、何でこんなところにいるんだ!」
子供たちに気付いた大人たちは一斉に騒ぎだす。それもそのはず。大人しくするように閉じ込めておいたというのに、あっさり脱出しているのだから。
「まさか、出てきたのか!部屋で待ってろって言われただろ!」
「こんな緊急事態に黙って隠れていられるか!俺たちも戦わせろ!」
大人たちと子供たち。両者の論争が始まった。どちらも引かず、大人は子供を守るためと言い、子供は一族を守るためだと言う。お互い言いたいことを言うだけであった。
「落ち着け、お前たち。出てきてしまったものは仕方ない」
大人たちは大慌てしたものの、部隊長の一声で一斉に静まり返る。子供たちは何か言おうとしたが、部隊長に一睨みされれば黙るしかない。その場の全員が、部隊長の次の言葉を待つ。何十という瞳が部隊長を見つめていた。
「お前たちの言いたいことは分かった。丨子供どもは俺があとで何とかする。だから、お前らは敵に集中しろ。敵を討伐、捕縛することのみを考えるのだ」
鬨の声は凄まじかった。普段穏やかな表情の大人が、鬼の形相になっている。子供たちには恐ろしく映った。
子供たちは屋敷の裏口から外に連れ出される。皆頭に立派な瘤を作りあげながら。泣きべそをかく子もいるが、お構い無しに部隊長は首根っこを一掴み力業で動かした。外に連れ出すなり、抱えていた子供を乱暴に落とす。
「いいか。お前たち」
部隊長は一人一人子供の頭を撫でていく。そして全員の頭を撫で終えると、親の顔になって言った。
「お前たちは逃げるんだ。子供には戦は重すぎる。出口は正面にしかないが、いざとなったら飛んででも逃げろ。いいな。何があっても戻ってくるなよ」
「…でも」
「どうか聞いてくれ。さっきの大人たちはな、みんな家族のために戦おうとしているんだ。お前たちの親はお前たちを守りたいんだよ…だから、どうか聞いてやってほしい。大人たちの我が儘を」
子供たちは優しく諭され頷く。部隊長はいい子だとまた頭を撫でた。大切に壊れないように、そっと。そして立ち上がると、そこには鬼がいた。もう優しい親の部隊長は居ない。そう感じさせる面持ちである。
鬼は出口の方を指差し命令した。
「いいか、ここは戦場だ。誰が死のうとも決して振り返るな。ただ前を向け。いざ出陣じゃ!」
子供たちは一目散に駆け出す。振り返ることなく、ただ前を向いて駆け抜けたのだった。




