狐と会合 参
「花見月くん、聞いてくれてるぅ?」
肩を揺さ振られ、花見月は「はいはい」と適当に返事をした。花見月に絡むこの男_黒田綴_は、下戸である。花見月と出合い頭、すでに彼は酔っていた。そのため、花見月は黒田に対して絡み酒をする人物というただのダメ人間と認識されている。
「聞いてますって、黒田さん」
「本当?聞いてくれてるの?」
「はい。聞いてはいますよ」
「やっさしい~。花見月くんみたいな部下が欲しい!花見月くん、是非ともうちの部下、助手になってくれよ。給料は弾むから~」
給料を弾む。それを聞いて花見月は揺らぎそうになる自分を律する。花見月は神社の柱である。彼が居なければ、神社の経営はままならない。神社の柱であるべき神が漫画に費やしている金、それを考えるだけで頭を抱える日々。その日々から抜け出して遠くに行きたいと思ったことは何度もある。その度、参拝者たちに諭された。”狐様を一人にして大丈夫かい”と。大丈夫なわけあるかと叫び、神社に足早に戻る花見月を街の人々は何度も見かけられている。
「今、家業が忙しくて…そっちの手伝いをしないと経営が傾くというか」
「それならウチから何人か派遣してあげるからさぁ」
言葉を濁して伝えるも、相手は酔っ払い。花見月の話を碌に聞かなかった。
「払い屋もやって家業まで…なんていい子なんだ…君みたいな子を放って置けない!君を雇ってあげよう!」
「あの、聞いてますか。いいって言ってるんですけど。いりませんって」
黒田は立ち上がり、腕を縦にぶんぶんと振り回す。花見月は腕に当たらぬよう避けながら、黒田に話しかけるが黒田は聞く耳を持たない。一人で大声を発していた。完全に出来上がった酔っ払いである。
これはどうしようもない。助け舟を求めて花見月はいつもバカと罵る狐を見る。彼は子供と話をしていて、こちらには気付いてくれない。これだけ騒いでいて耳のいい彼が気付かないはずも無く、無視しているのだと花見月は怒りに震える。
「花見月くん!君の戦歴は…そういえば聞いたことない。でも、何とかするから!」
だから話を聞けと花見月は思わず突っ込んだ。黒田はノリがいいと花見月を誉め、また酒を飲んだ。堪忍袋の緒が切れかけていた花見月は、黒田から杯を取り上げサッと水を注ぎ黒田に渡す。酔っている黒田は、花見月が酒を注いでくれたと思い飲もうとする。しかし上手く飲むことができず、床に零した。
花見月は見ていられず、近くのフキンで濡れた床を拭いていく。
「しっかりしてください」
「すみません…しっかりしてます」
話の脈絡が合わせられないほど黒田は酔っていた。花見月はあきれ果て、一先ずと黒田を座らせる。
そのとき、閉じられていた障子が開いた。
「おうおう、今日も今日とて元気なことだ!」
言葉の節々から生きの良さを感じる。男はお付きを二人連れており、男が部屋に入るとお付きたちは続いて部屋に入り障子を閉めた。酔っていた黒田が急に黙り込む。
一方で会場は今までにもない盛り上がりを見せていた。入ってきたばかりの男は、人々に取り囲まれていく。人だかりが大きくなるにつれて、少数派が際立っていく。
「…緋日辻の七光りが」
隣で黒田が低く呟く。その声は明確な恨み辛みが込められていた。花見月は黒田の方を見ることは無く、それを耳で聞いた。きっと深い理由があるのだろう。深入りは禁物である。花見月も存じていた。
「彼が緋日辻さん…ですか」
「そうだ。緋日辻家の当主。戦闘狂で有名なヤツだよ」
黒田は先程の泥酔状態が嘘のように、立ち上がり身なりを整える。そして眼鏡を指で押し上げると、一咳をして人垣を押しのけていく。花見月は遠くから後ろ姿を見送っていた。
黒田に気付いた払い屋たちは次々に端へとはける。やがて緋日辻と黒田をつなぐ直線が出来上がった。その道を通り、黒田は緋日辻の前にたどり着く。そしてまた乱れた身だしなみを直すと声を上げた。
「緋日辻、久しいな」
先程までの盛り上がりは一気に冷め、辺りに沈黙が訪れる。誰かが息をのむ音が聞こえてきそうなほどだ。緋日辻は一瞬表情を落としたかと思えば、すぐに表情を取り繕う。笑顔で快活に言った。
「黒田か、本当に久しいな。お互い忙しい身だ、会えて嬉しいよ」
「こちらこそ、嬉しいさ」
穏やかな雰囲気で握手を交わす。その表情には笑顔しか見えないが圧が隠しきれていない。建物が悲鳴を上げる。軋む音、軽い揺れが建物を襲い、グラスが弾け飛んだ。
「すごい威圧感だな、あれは仲良くするつもりがないだろ」
いつの間にか隣に来ていた虚翠が花見月に囁いた。花見月は頷く。このままでは膠着が落ち着く以前に、建物が崩落しかねない。花見月は当てにするつもりはないが、虚翠の方を見る。虚翠は傍観者気取りで、行動を起こす気は一切無さそうだった。肝心なときに使えないヤツだ。
不本意だが、止めに入るべく花見月は立ち上がろうと腰を上げた。そんな花見月の隣を影が横切る。
「父上、お久しぶりです」
そこにいたのは、虚翠と話していた子供だった。それほど成熟しているとは思えない。年齢は中学生と言った頃合いだろうか。中学生といえども幼い子供である。危ないと花見月は二人の間に入ろうとする。
緋日辻は声に反応し、黒田との握手を終える。そして子供に目を遣ると、また一層笑顔を浮かべた。
「晴か、久しいな。元気にしていたか」
「勿論です、父上」
こましゃくれた言葉遣いに大人のような振舞い。その振る舞いは妙に似合っていた。虚翠は花見月の隣で呆れたように頭を掻く。
「やっぱ、タダもんじゃなかったな。しかも当主の息子。ははぁ…面倒なのに目をつけられたもんだ」
「面倒なのって言っても、タダの子供じゃないか。特に何か気にすることでも…?」
虚翠は子供_晴_の特出した能力の話をするか逡巡し、口には出さなかった。色々あるのさと誤魔化すと、花見月と離れ松江と出雲の方に向かった。見知らぬ二人と話す虚翠を見送り、花見月はぼんやりと会場を眺めた。
_愛しき子たちよ
子守歌が聞こえた。花見月は会場を一周見渡す。見渡し終える頃には歌は聞こえなくなっていた。一瞬だけ、一瞬だけではあったが、聞こえたのは耳なじみのある子守歌だった。
探しても声の主は分からず、不思議に思いつつも気のせいだと思うことにした。小腹が減ってきたので、花見月はテーブルの上に並ぶ食事に手を伸ばす。濃すぎず、甘すぎず。程よい味わいが口いっぱいに広がる。
「あ、美味しい」
思わず口から出た。慌てて口元を塞ぐ。幸い、辺りは賑やかさを取り戻しており、大勢に聞かれることは無かった。
「お口にあって幸いです」
急に声をかけられて、花見月は肩をビクつかせた。振り返ると先程まで緋日辻と話していた晴である。聞かれていたらしく、花見月は顔を赤らめた。
「…す、すごく美味しいです。思わず口から出るほどに」
「そうですね。ここの料理は美味しいと評判なんです。予約も埋まるぐらいなんですよ」
そう言って、晴は机上に置かれていたローストビーフをひょいと摘まむ。そして何切れかを一気に口に入れて頬張った。先程の当主の息子はどこかに消え去り、ただの子供の晴が顔をのぞかせていた。
二人で暫し料理を堪能したころ、晴が口を開いた。
「あなた、お名前は?」
「ああ、失礼しました。花見月と申します。晴様」
一応礼儀を尽くした。払い屋の礼儀など全く知らないため、一般的な言葉で失礼に当たらなさそうなものを選んだつもりだ。花見月は一礼をする。晴は特に気にした様子もなく、興味の無さそうな返事をした。
「僕のことはもう知っているんだよね。でも、一応するのが礼儀だと思うから名乗ります。緋日辻晴。一応当主緋日辻解の息子です。よろしくお願いするよ」
お互いに握手を交わした。それはがっしり。挨拶のつもりだった花見月は、手を放そうとしない晴に戸惑いを隠せない。放すどころか花見月の手を握ったり緩めたりを繰り返している。完全に遊ばれている。分かっていても、どのように問いかければいいのかわからない。
「あ、あの。どうかされましたか」
「うん、ちょっと気になることがあってね」
晴はそう言うと、やっと花見月の手を放し座るように促した。断る理由もなく、花見月は素直に座った。
晴は水瓶の水を二人分のグラスに注ぐ。そして花見月にその一つを差し出した。それを受け取り、花見月はそっと口をつける。それを見た晴は口を開いた。
「さっき、同じデザインの水瓶で毒が入ってる水を飲みかけたんですよ」
花見月は吹き出し咽てしまい、晴は花見月を心配するように紙ナフキンを差し出す。それを受け取り、花見月は口元を拭った。
「本当運がよかった。ギリギリで止めてくれた人がいまして」
あの人と晴は虚翠を指差す。こみ上げる咳を堪えながら、花見月はそれは凄いと大げさにリアクションをする。内心、目立たないという話はどうしたと怒り心頭である。
「アイツ、見たことがないんです。つまり払い屋じゃない」
急な話に花見月は思わず立ち上がりそうになる。椅子を引くギリギリでなんとか留まると、座り直すように見せかけて座り直した。
もう潜入どころではないねは明らかである。虚翠は状況を把握しているのかどうか確認できない。ただ、逃げ出さないといけないのは間違いなさそうである。
「気のせいでは?」
「そんなことないはずだ。なぜなら俺は払い屋の情報を網羅している。ここにいるほぼ全員、功績から住所まで」
冷や汗が流れる。花見月はヒクつく口元を力ずくで押さえながら、平生を取り繕う。
「それなのに、アイツの情報は一切ない。名前以外。名前は久比らしいっていうのは聞いた」
「へえ、久比と言うんですね。珍しい名前です」
「で?」
いつの間にか態度を大きく変えた晴は、花見月の手に己の手を添える。そして握りしめた。逃がさないというように。
なんとか言い逃れようとする花見月は、チラチラと周りを見渡しながら助けを求めた。しかし誰も来なかった。目が合うどころか、こちらを見ようともしない。まるで聞こえていないかのように。
「因みに、この会話は誰にも聞こえない。だから、どんな話でもできる」
晴は胸ポケットから小型の装置を取り出し、花見月に見せつけた。アンテナのようなものがのびており、職人の技を感じさせるデザインである。
花見月を追い詰めていく晴の表情が次第に鋭いモノへと変わっていく。まるで獲物を見据えた獣のように。
「なあ、あの久比は何者だ?手を握らせてもくれないし、会話も早々に切り上げられる。俺と関わりをあまり持ちたくないみたいだった…それはお前もそうだ」
「そんなことないと思います。きっと気のせい」
「嘘つけ。お前めアイツの仲間だろう?」
晴はため息をついた。年齢に見合わず、眉間に皺を寄せている。
「いい加減にした方が良い。俺が聞いてるんだ、さっさと答えろ」
体が震えあがりそうだった。年下に怯えるなんて恥ずかしい話だが、晴は尋常ではない執着を見せていた。
晴は花見月の首にそっと手をかけた。この首をへし折れば、吐く気になるだろうか。花見月は咄嗟に手で晴を振り払う。バチッと何かが弾ける音がして、花見月の目の前が白く光った。思わず晴は花見月から離れた。それを見逃す花見月ではない。一瞬の隙に目を隠し眩まないようにしつつ、花見月は席を立った。
「失礼します」
突然立ち上がった花見月を不審がるものはおらず、花見月は部屋を出て行った。全力疾走である。
花見月が座っていた空っぽの席を見て、晴は小さく舌打ちをした。最初はうまくいっていたのに、肝心なところでミスをした。逃がした獲物を惜しみながら、席を立ちあがる。父親は相変わらず崇拝されているようで、暫くは置いておいても大丈夫そうだ。二匹目の獲物は逃がしたが、獲物は幸いもう一匹いる。
席を立ち、久比と名乗った男を探す。先程まで見かけたあの二人組の払い屋はすでに帰ったようで、姿が見えなかった。唯一の話し相手であった彼らが帰ったなら、あの男は一人でいるはずである。
「探し人か?」
背後から声を掛けられ、背後に振り返りながら腕で薙ぎ払う。
「おっと、そんなに驚くなよ。攻撃的な子供だな」
探していた虚翠だった。相当力が込もった攻撃はあっさりと防がれ、煽るように頭をポンポンと撫でられる。内心舌打ちをしながら、素直に謝っておいた。
虚翠は晴の謝罪を受け止め、穏やかに会話を続ける。
「共にいてくれる友人がいなくてな、話し相手も帰ったし帰ろうと思っていたんだ。ついでに最後に話しかけてやろうかなって」
「そうなんだ。ありがとう」
晴は穏やかな笑みを浮かべた。何も知らないであろう虚翠は、会合から抜け出そうとする。それだけは阻止したいところであった。晴は世間話をつづけながら、それとなく情報を掴もうとした。しかし虚翠は隙を見せることなく、寧ろ晴を自分のペースに巻き込んでいく。
「父親と話さなくていいのか?」
「後でじっくり話せますから。今は普段話せない方々を優先するべきだなって」
「それは大人の判断だな…それはそうともっと甘えてもいいと思うぞ」
「…おっさんに言われなくとも、”またあとで”って聞いたことない?」
会話はそれで終わった。
その後、虚翠は緋日辻と軽く話しを交わし颯爽と帰る。その後ろ姿を晴は見送った。
「待たせたな」
花見月が会場に続く階段に座っていると、背後から声がした。振り向くと、粗方メイクを落とした虚翠が立っていた。花見月は立ち上がると、虚翠をぶん殴る。
「バレたらどうするんだ!もう既にバレかけてたけど」
「っててて…それに関しては大丈夫だ。厄介なのはもういねぇよ、巻いてきた」
あきれ果てた花見月は虚翠にハンカチを差し出し、虚翠はそれで残ったメイクをゴシゴシと拭っていく。メイク落としなど持っていなかった。花見月も普段手入れはするものの機会がなかったため、メイクはしたことは無い。そのため、メイクを落とすときのことは考えていなかった。
メイクのついたハンカチをしまう。そして虚翠は左、花見月は右に並んで、歩き出した。
「これでいいのかな。全然何もしていないけど」
「潜入は成功しただろ。俺たちは潜入してこいとしか言われてねぇ。お遣いは終わったんだよ」
疲れたと言いながら、虚翠は伸びをする。そのとき、ふと隠れていた左腕がのぞく。
「…何もってんだ、それ」
「…酒」
その言葉を聞いた瞬間、花見月は酒を取り上げようと動いた。手を伸ばしたが、虚翠に酒を持った手を高く伸ばされ届かない。
「返してこい!何盗んでんだ!」
「盗んでねぇよ。これは貰い物、つまり俺への捧げものだ」
「何嘘ついてる!怒られるだろ!」
「嘘じゃねぇ!それに、これしきのこと誰も気づかねぇよ!気付いたとしても、犯人が誰か分かんねぇだろ!」
「お前こそ、嘘つくなよ!それでも神か!」
花見月は結局酒を取り上げることができず、酒はその日の晩に空になった。




