愛しい愛しい俺の娘だ
イワンがカーシャにそれを話したことを、俺は叱らなかった。どうせいずれ分かることだったしな。
けど、そもそも論として、アントニオ・アークが生きるこの世界じゃ、親子の血縁関係を科学的に証明する方法なんざなにもねえ。DNAどころか血液型さえ調べる方法はねえと、思う。もしかしたらすでにどこかで発明されてたりするかもしれねえが、俺達のような庶民にゃなんの関係もねえ話だ。
だから元から、<血の繋がり>を確かめようがねえんだよ。
『あんたの子だよ』
って言われてそれを信じるか、信じねえか、ってだけでしかねえ。なのに阿久津安斗仁王が生きてた世界じゃ変に血液型の検査だのDNA判定だのができるようになったことで、<血の繋がり>ってのが妙な意味を持っちまっただけなんじゃねえのか? それが実用化されて普及するまで、
『顔が似てるかどうか』
くらいしか判別のしようもなかったんだろう? それでどうやって血の繋がりを確実に判定したんだよ?
だからなおのこと、『どこで生まれたか』『誰の実子か』なんてのは、大した問題じゃねえんだよ。
『誰に育てられて』
『誰との記憶が一番深いか』
が、結局は<親子>ってもんを形作るんだと俺は実感してる。
『赤ん坊はコウノトリが運んでくる』
とか、
『赤ん坊はキャベツ畑で生まれる』
とか、そんな話があったところで、
『コウノトリが届け先を間違えた』
『キャベツ畑でうっかり他所の子を連れ帰っちまった』
って話にだってできるよな? <間違い>ってのはいつでもどこでも有り得るんだしよ。なら、
『間違って他所の家で生まれちまった』
って理屈だって成り立つんじゃねえか? この世界なら。
もちろん、そんなのは<戯言>にすぎねえよ。でも、その戯言で納得できるんなら、まあ、それもアリっちゃアリだろ。そしてカーシャはそれで納得してくれたし。
<本当の親>が誰かというのを知っても、彼女はその家に帰りたいとは言わなかった。むしろ、あんまりいい印象のない客だからか、嫌ってさえいる。いちいち余計なことを口にして煩わせるんだ。
その所為か、カーシャは、
「私、あの人に育てられなくてよかった」
とも言ってたよ。
「お父さんの子供でよかった」
なんてことも言ってくれた。トーイのことがある前だけどな。
そして俺が勝手に一方的にトーイとリーネの結婚を宣言したことには反発して、恨んでる。恨んでるが、同時に、マリーチカが俺を『気持ち悪いオッサン』と罵れば、それに対しては憤ってくれる。
矛盾した感情を同時に持つことができるのが人間ってもんだ。目が見えなくたってカーシャはれっきとした人間だよ。
愛しい愛しい俺の娘だ。




