人を叩いたら自分の手も痛くなるよな
そうして感情のままに何度も俺を殴りつけてくるマリーチカの手には、いつしか血が滲んでた。こんな幼い子供の手でこんな風に何度も殴りかかれば、服の生地で擦れて皮膚も裂けるさ。正直、阿久津安斗仁王が暮らしてた世界のそれと違って生地もごわごわで硬いしな。
するとようやく自分の手が傷だらけになったことに気付いたか、マリーチカは手にしていた木皿を落として、自身の手を目の前に持ってきて、震えてた。
だから俺は、彼女の前で膝を着いて目線を合わせて、血が滲んだ手にそっと触れて、
「痛いな。人を叩いたら自分の手も痛くなるよな。でも、心はもっと痛かったよな……」
穏やかに話し掛ける。
自分がつらい時に、面倒臭いからという程度の理由でぞんざいに扱われて嬉しいか? そんな態度を取ってくる相手を信頼できるか? たとえ血の繋がった家族であっても憎しみを抱いたりしないか? その当たり前のことを俺は承知してるだけだ。
マリーチカは人間だ。未熟で道理をまだ十分に理解できてないだけの人間だ。だから俺は彼女を人間として扱うし接する。
「マリーチカ、トーイを愛してくれてありがとう。トーイは俺の自慢の息子なんだ。そのトーイを見初めたマリーチカの目は正しい。だからこそ大事にしてほしいんだ。トーイの気持ちを。頼む……」
子供だからと軽んじたりしない。見くびったりしない。きちんと一人の人間として丁寧に告げる。その程度のこともできなくて何が<大人>か。
すると彼女は、また顔をぐしゃぐしゃにして、
「うあああああ~っっ!」
と泣き出した。
「ああ、そうだ。つらいよな。泣けてくるよな。誰かを愛するってのは、こんなにつらくて切ないことだよな。ここまで真剣に誰かを愛せるって、マリーチカは立派だよ。真っ直ぐな心根を持ってる。俺のところに来てくれてありがとう。マリーチカがつらい時は、泣きたい時は、泣いていい。気が済むまで泣いていいんだ……」
語り掛ける俺に、彼女はしがみついて泣いた。幼いなりに真剣に、継父と実母から『要らない』と捨てられたからこそ真剣に、縋る想いでトーイを愛した。それ自体は幼くて拙くて、<恋>と<依存>を混同したものかもしれなくても、彼女の想いそのものは本気だったはずなんだ。嘘はなかったはずなんだ。それを軽んじられて嬉しい人間なんていないだろう?
俺は<親>として、<我が子>のそういう想いにきちんと向き合いたい。我が子に<心>があることを、その心そのものを尊重したい。
何もかもが自分の思い通りにはいかなくても、心を蔑ろにされるいわれはないはずなんだ。
どうだ? お前の親は、ここまでお前に向き合ってくれたか? そしてお前は我が子に向き合ったか?
阿久津安斗仁王よ……
 




