そんなガキでも普通に
アントニオ・アークは、まあ、それなりに村のガキとも遊んだりケンカしたりもした<普通の子供>だっただろうな。阿久津安斗仁王の記憶がよみがえってからはちょっとヒネた変わった子供になっていっただろうが、それでも人付き合いぐらいは難なくできた。
学校もねえ。勉強もさせてもらえねえ。そんなガキでも普通に人間関係を築けたんだぜ? なんで義務教育だけで九年。高校大学も含めりゃ十六年くらいはお勉強をさせてもらえてた『お利口』で『賢い』連中に、<コミュ障>なんて呼ばれるのが出てくるんだよ? いわゆる底辺校しか出てねえような奴らでも、麓の村のどんな大人よりも知識は持ってて『お勉強はできる』んじゃねえのかよ? それがなんで人間関係の築き方も分かんねえんだよ? 一体、十六年も何を学んできたってんだよ?
ああ?
まあ、だいたい想像つくけどな。親が自分の子供の面倒を学校に丸投げしてまともにコミュニケーションを取らなかったからだろうなってよ。
教師は<親>じゃねえ。何十人もの生徒を一度に相手にしなきゃならねえから、いちいち一人ひとりまで丁寧に相手なんざしてられねえだろ。教師の、いや、教師だけじゃねえな。保育士や、個別指導じゃねえ塾の講師とかも実感あるんじゃねえか?
『自分は親じゃないんだから一人だけを構ってられるか!!』
ってな。あと、
『子供は一人一人性格も違うんだから全員同じようなやり方で接するわけにはいかないんだよ!!』
とか思ったりするんじゃねえか?
なのに親は、
『学校にさえ預けといたら必要なことを全部教えてくれるだろ』
みてえに思ってんじゃねえか? アホか! 学校は託児所じゃねえんだよ! 学校が教えるのは基本<学問>だ。人間としてどう生きるかなんてこたあ、本来は親が教えることだろうが!
親がちゃんと子供とコミュニケーションを取らねえから、子供もコミュニケーションの取り方を学べねえんじゃねえのかよ?
言っとくが、自分の都合や気持ちを一方的に相手に押し付けんのも<コミュニケーション>じゃねえぞ? そんなことしかできねえ奴は立派な<コミュニケーション障害>だ。相手の言葉に耳を傾けて相手の気持ちを理解する努力をしてその上で自分の言葉や気持ちを丁寧に伝えようとするのが<人間のコミュニケーション>ってもんだろうが!!
違うのかよ?
親が子供の言葉にも耳を傾けねえで一方的にあれこれ押し付けるだけなんてのはよ、<コミュニケーション>じゃねえってこった。親がそんなんじゃ、そりゃ子供だってコミュニケーションの取り方も学べねえよなあ?




