相手を信じることこそが愛です
「私は村の人達とどう接していったらいいですか?」
リーネがそうも訊いてくるから、俺は、
「別に、何か特別な接し方とか考えなくていいと思う。自分の方から何かを伝える時にはリーネは言葉遣いも丁寧だし物腰も柔らかいから相手もまあ不快になることはないだろう。ただし、相手の要求は安請け合いするな。特に自分の方が譲歩しなきゃならないような要求はすぐには聞くな。『持ち帰って検討します』とでも言っとけ。
俺がいる間は俺も考える。でも俺は、順当に行けば確実にリーネ達よりは先に逝く。その時には、トーイやイワンやカーシャと話し合って、<別の視点>で考えることを心掛けるんだ。とにかく『騙そうとしてるのかもしれない』って用心は忘れるな。
狡い奴は、『相手を信じることこそが愛です』みたいなことを言ってくるが、そういう奴はそれこそ信じちゃいけない。自分に都合よく相手を操るための下準備としてそう言ってくるんだからな。もし本気でそんなことを思ってるんなら、とっくに誰かに騙されて利用されてボロボロになってるはずだ。
リーネだって自分の村の連中がどんなのだったか覚えてるだろ? そんな連中をまったく無批判で信じたらどんな目に遭うか想像つくだろ? なのにそこまで無事にやってこれたんなら、それは逆に相手を騙して食い物にできるようなタイプの人間だったてことだ。パッと見で<優しそうな奴><誠実そうな奴>は、それこそ信じちゃいけない。そいつの裏の顔が見えるまでな。
その一方で、<完璧な人間>ってのもいるわけないから、誰にでも褒められない一面は必ずと言っていいほどあると思う。大事なのは、そういう<褒められない一面>ってのをちゃんと恥じて正当化しない奴かどうかだってことだと思う。
忘れないでほしい。『相手を無批判に全面的に信用すること』と『相手を敬う』というのは違うってことを。信用しなくていいし、信頼しなくてもいい。だが、相手を蔑むな。嘲るな。見下すな。相手も自分と同じ人間なんだ。蔑まれて嘲られて見下されていい気がするわけがない。そんなことをすれば無駄に厄介事を生む。相手を自分と同じ人間として敬いつつも、同時に『人間だからこそ褒められない一面もある』ってのを常に頭にとどめておくんだ。
とまあ、口で言っててもピンとこないだろうし、その辺はちょっとずつ村の連中と関わっていくことで、実地に経験していくしかないな。俺が言ってるのはあくまでただの<基礎>だ。実際の現場ってのは千差万別。その時その時で考えるしかない。
俺はそうしてる」
と語ったんだ。親として。




