善人なだけじゃやってけない
また、前世じゃ、
『社会に出たらマジで身勝手だったり自分本位だったりって奴ばっかだから、善人なだけじゃやってけない』
とか言う奴がいたが、まあこれも他でもない俺自身だったわけだが、いやいや、それを言うのはただ単に、自分が身勝手で自分本位な奴になってんのを<他人の所為><社会の所為>にして正当化しようとしてるだけじゃねえか。
違うのか? 違うってんならどう違うのか説明してみろや。おお!?
確かに善人なだけじゃやってけないのは事実だ。だけどな。だからって自分もその真似をして身勝手で自分本位に振る舞うってのは、話が違うぞ? 他の奴らがルールを守らねえからって自分もルールを守らなくていいなんてのは、マジで典型的な、
『他人の所為にしてる』
『社会の所為にしてる』
ってヤツだろうが? しかも、
『そういう時にどうすればいいのか親が教えてくれなかった』
とかホザくなら、そりゃあ、
『親の所為にしてる』
ってことじゃねえか? ええ?
と、それが他でもない前世の俺自身のことだから、分かり過ぎるくらいに分かっちまうんだよなあ。自分がどれだけ甘ったれてたかが。
人間だから甘えたくなるのは分かるし今だって甘えてる。けど、前世の俺と今世の俺で一番違うのは、
『自分が甘えてんのに他の奴が甘えるのは許さない。ってのがなくなった』
って部分かな。
甘えるなら甘えるでいい。だがその上でじゃあ具体的にどう対処すれば問題は解決する?
ってのを考えるようになったってことだ。だからリーネ達が俺に甘えたいなら甘えさせるし、その上で具体的な対処法を考えるってのができるようになった。それがリーネ達から信頼されてるんだってのが分かる。
『我慢しろ!』
だの、
『そんなこと自分で何とかしろ!』
だの、いやいや、それはお前が面倒だから関わりたくないってだけで、お前自身が甘えてるだけじゃねえか。
リーネと出逢ってからでももう五年。前世と合わせれば百五年の人生経験を重ねてきたわけだ。それなのにまだ俺は、内心じゃ汚え言葉を使ってたりする。だから俺は決して善人でもないし聖人でもない。
<人としての振る舞いをわきまえようと心掛けてるだけの人間>
だ。でも、それでいいと思う。根っからの善人とか聖人とか、そんなのどこにいんだよ? しかも、世の中には、
<身勝手で自分本位な狡い奴>
ってのが溢れてるのも事実だ。親から<人としての振る舞い方>を教わってねえと<親の所為>にして甘ったれてる奴がな。
そういう奴らにいいように餌食にされないためにはただの善人や聖人じゃいられないってのは確かだと思う。けどな、だからって自分がそういう奴らと同じになるのは話が違うぞ。




