理屈なんざ適当に後付けにしてるってのが
樋のところの窓から浴槽の様子を確認しつつ注ぎ、水が溜まったら風呂場に戻って窓を閉め、風呂を沸かす準備は完了。
こうして母屋に戻ると、ちょうどスープ用の鍋の湯が沸き始めてるところだった。
「ありがとう、トーイ」
「うん……」
鍋の番をしてくれていたトーイをリーネが労う。これが大事なんだ。些細なことのように思えるが、こうやってきちんと労ってもらえるか否かで人間ってのは大きく変わってくる。
労ってもらえねえ奴は真面目にやってるのが馬鹿らしくなってきて当然だろう? 自分がどうか考えてみろよ。『やって当たり前』そのくせ『ちょっとのミスを貶されまくる』なんてことが続いてみろ。やる気を維持なんてできるか? 少なくとも俺はできねえ。
だったら労うようにするのがまっとうな大人ってもんじゃねえか?
俺はリーネに対してそうするように心掛けてた。そしたらリーネも俺の真似をするようになってくれた。
<躾>ってのは、こういうことでいいんじゃないのかよ?
それを、犬でも躾けるみてえに怒鳴るだの殴るだの、自分を人間扱いしねえ親を尊敬とかできんのか?
ああ、そういやあ、<子供用ハーネス>とやらを使う使わないで、
『子供をペットや犬みたいに扱うのはおかしい』
的なことを言ってた奴らがいたが、いやいや、『子供をペットや犬みたいに扱うのはおかしい』ってんなら、犬を躾けるみたいに躾けようとするってのは、
『子供をペットや犬みたいに扱ってる』
ってことじゃねえのかよ? そういや、
『子供をちゃんと躾けたら<子供用ハーネス>なんか使う必要ないだろ!』
とかホザいてたのもいたなあ。って、それあ、まあ前世の俺自身のことなんだけどよ。
よ~く考えてみな。<子供用ハーネス>を必要としてんのは、まだしゃべることもままならねえ、親の言ってることもちゃんと理解できねえ年頃の子供だろ? その子供をどうやって躾けるって? それこそ犬を躾けるみてえなやり方になるんじゃないのかよ? 『子供をペットや犬みてえに扱うのはおかしい』ってんなら、犬を躾けるみてえなやり方で躾けようとすんのは、子供をペットや犬みたいに扱ってるってことじゃねえのかよ? なんでそっちはスルーなんだ?
マジで自分の気に入らねえものを叩きたいだけで、理屈なんざ適当に後付けにしてるってのが丸分かりじゃねえか。
笑わせる。
しかも俺の場合は、ゆかりのことは女房に丸投げで、ゆかりを散歩に連れて行ったこともねえんだよ。そんな俺が『<子供用ハーネス>なんか使う必要ないだろ』とか言ってたんだから、滑稽以外の何ものでもねえだろ。




