いい歳した大人のすることか?
前世の俺もそうだったが、
『人間ってのは、自分以外の誰かを支配することに喜びを見出すこともある生き物だ』
と、言われてたりもするよな。でもな、今はこうも思うんだ。
『でもそれって、子供や家族を支配しようとする親の姿を見て育ったからそう思うってのが強いんじゃないか?』
ってよ。『人間ってのは、自分以外の誰かを支配することに喜びを見出すこともある生き物だ』ってえ考えに違和感を覚えて疑念を覚えて冷静に客観的に見たら、そう思えて仕方ねえんだよ。
確かに、これも<陰謀論にハマる心理>と似たようなものである可能性は否定できないが、
『隠されていたものに辿り着いたことで高揚感を覚えてる』
だけかもしれないが、現に今の俺は、リーネやトーイを力で抑え付けて支配することを楽しいとは感じないんだよ。そんなことをしたいと思えないんだ。
リーネもトーイも、俺と同じ<人間>だ。人間を人間として扱って、人間として敬う姿勢を学び取ってもらうことに何の不都合があるんだ? 俺がリーネやトーイに対してやってることを二人が真似て自分の子供に対してやることで、どんな問題が生じる?
『厳しい人生の荒波に耐えられなくなるだろ!?』
ってか? いや、その『人生の荒波に耐えてる』奴がなんで家に帰って家族相手に尊大に振る舞ってストレスの転嫁しなきゃいけないんだよ? 耐えられてるんならそんなことする必要ないし、そうしなきゃ持ち堪えられないならそれは『耐えられてる』とは言わねえだろ。家族にストレスを転嫁する場合じゃなくても、酒とかに頼ってストレス発散って、『耐えて』はいないだろ。誤魔化してるだけじゃねえか。
そうやってストレス転嫁したり誤魔化してるのを、『家に帰って家族にあたたかく労ってもらって癒してる』のに置き換えて、何が問題だ? 家族との良好な関係を維持することでそうしてもらえるんだぞ? 俺が今、
『俺から見て嫌な奴ばっかりの村に行って商売してるのをリーネやトーイに癒してもらってることで頑張れてる』
ことの何が問題だってんだよ?
俺がリーネやトーイに労ってもらえる人間でいられてるのは、『二人に対して理不尽なことをしないから』というのはまぎれもない事実だろ。それとも何か? 仕事で嫌なことがあったのを家に帰ってから家族に八つ当たりするようなのを本心から労えるのかよ? そんな人間ばっかりがこの世にいるってのかよ? そんな奴よりは、
『自分が労わってもらえるから相手のことも労われる』
って人間の方が普通じゃないのかよ。
俺は大人だから、子供にそうしてもらうのを期待するんじゃなくて、まず自分がそれを手本として示してるだけなんだよ。
先に子供に気遣ってもらうのを期待するとか、いい歳した大人のすることか?