はみ出し者
だが、自分が見捨てた相手のことをいつまでも考えてたって仕方ねえ。『後悔先に立たず』ってやつだ。それに、あの女と結婚して子供を作ったとしても、たぶん、子供との接し方でケンカになってただろうな。
何しろあいつは普通にここに生まれた人間だ。親に奴隷のように家畜のように単に労働力として使われて、そういう親の姿を見て育ち、それが『当たり前』として育ってきたんだ。だったら親と同じようするのが当然だろう? 多少は親に対する反発もあってちょっと違った様子も見せるかもしれないが、そういうのもきっと、<誤差の範囲内>で済んじまうだろう。
一方、俺は、前世の記憶ががっつり残ってて、しかも前世の自分自身には後悔しかないから、前世のやり方も今世の大人共のやり方も反吐が出るくらいに嫌ってる。
<甘ったれた大人>
でいることが心底嫌なんだよ。もちろん今の俺だって、<理想の自分>と比べたら話にならないくらいダメダメだけどな。それでも、前世の俺よりはずっとマシだと自分では感じてる。
まあ、それ自体、今のこの世界の常識とは噛み合っちゃいないわけだが、これについても、いつの世だって<常識>ってもんからはみ出す奴はいたじゃねえか。それに、同じ、
<はみ出し者>
でも、人殺しを生業としてるような奴らに比べりゃまだまっとうなんじゃないか?
だから俺は、今の自分を変えるつもりもねえ。そして、そういう、
<我を通す生き方>
ってのも、リーネやトーイに見せておいてやりたいと思う。ただ、『我を通す』ってのは自分の生き方ややり方を他人に押し付けることじゃねえ。我を通したいならそれこそ他者と折り合いをつけることが必要なんだ。それを心掛けずに周りと衝突すると、結局は<数の論理>に潰される。
所詮はそうだ。自分の生き方を声高に叫んで世間に認めさせるなんてことは、そうそう成功しないんだよ。だからこそ、フィクションで定番のモチーフになるんじゃねえか。もっと現実的に我を通すには、
『折り合える部分は折り合う』
ってのが結局は必要になってくるんだと実感する。
『ただの負け犬じゃんwww』
と嗤う奴もいるだろうが、そんなどこの誰とも分からない奴の戯言なんか気にしてて我を通せるか。自分じゃ何もしないできない奴なんざスルースルー。どうしたって譲れない部分と『ここまでだったら妥協してもいい』って部分をしっかり自分で見極めて、<折り合う努力>をするんだよ。それができない口先だけの奴は潰されるだけ。
そういうのがこの世ってもんだ。




