誰かを叩くために使うもんじゃねえ
夜が明けて、今日はすっきりとした気分で目が覚めた。まだ気持ちよさそうに寝てるリーネとトーイの姿を見ると自分でも顔が緩むのが分かる。
すっきり寝られたのはたぶん、俺自身が昨日の自分に納得できたからなんだろうなって気がするな。
俺は二人が幸せになってもらうために努力しようと思う。だが、今になってすごく分かるんだ。
『<努力>ってのは、あくまで自分を高めるためにすることだ。誰かを叩くために使うもんじゃねえ』
ってな。努力努力で誰かを叩こうとするから、
<努力って言葉の意味>
が歪む。努力ってのは『させる』もんじゃねえよな。自分が『する』もんだ。ましてや誰かを叩いたりマウントを取るための道具じゃねえんだ。それが分かった。だから今の俺は、
<リーネやトーイの感情や気持ちを受け止める努力>
ができる。自分がそうしたいからだ。そうすることが自分にとって益になると実感できるから『努力する』んだ。その納得がなきゃ努力なんてただの<苦役>だろ。
努力したって願いが叶うとは限らねえ。夢を実現できるとは限らねえ。でも、必要な努力をしなきゃ願いも叶わねえし夢も実現できねえんだよ。結局、それは自分にとって努力するだけの価値のある願いなのか?夢なのか?ってのが大事なんだろうな。
いい大学行っていい会社入っていい暮らしをしてってのが、自分にとっての、
<努力するだけの価値のあるやりたいこと>
なのか?って話のような気がするんだ。それで言えば、リーネとトーイに幸せになってもらうことは、間違いなく今の俺にとっては<努力するだけの価値のあるやりたいこと>なんだよ。
二人の寝顔を見てると、素直にそう思える。
だからこそゆかりに対してそう思えなかったことが悔しいし腹立たしい。前世の自分をぶん殴ってやりたい。でも、前世の自分も自分だからこそ、ぶん殴ったところで気付きもしないし考えも改めないってのが分かるんだ。
ぶん殴られて気付けるだけの素地がなかったんだよ。あの頃の俺には。親から丸々受け継いだ価値観がすべてで、他に何もなかったんだ。情けないことこの上ないけどな。
今世の俺がこんなことを考えられてるのも、結局、前世の自分を客観的に見られるからだし。
そんなことを思いながら、二人を起こさないようにそっとベッドから這い出して、仕事の準備を始める。仕事の準備をするのが嫌じゃない。これも二人の幸せにつながることだと思えれば、すごく気合が入る。
『やらされてる』んじゃないんだ。『やりたいからやる』んだよ。




