やっと死んだか。ああ、よかった
『私、叔父さんと叔母さんが死んでるのを見ても何も悲しくなかった……それどころかホッとしたんです』
リーネのその言葉は、俺自身の実感でもある。俺もあの時、両親の死体を見て、怒りよりも悲しみよりも、まずホッとしたんだ。
『ああ…これでこいつらから解放される』
と、嘘偽らざる気持ちとしてそう思っちまった。次いで、
『俺がこいつらを殺してやりたかったのにな』
という形の憤りが込み上げてきた。そうだ。
『俺の両親が殺された! 許せねえ!!』
って形の怒りなんざ、これっぽっちも湧いてこなかったんだよ。悲しみなんてそれこそ欠片もない。
自分の子供にそんな風に思われる人生が、幸せか? 前世の俺も、たぶん、娘に悲しんでなんてもらえてないだろうな。
『やっと死んだか。ああ、よかった』
とか思われてただけだろう。むしろそう思われない要素がない。まったくない。
『ずっと反発してた親でも死ねば悲しい』
だと? 悪いが俺にはそんなもん、作り話の中のお涙頂戴の<感動ポルノ>ってヤツにしか思えねえな。
<逆張りガイジ>? はっ! <親の愛情>だの<育ててもらった恩>だの、そんな糞みてえな綺麗事をありがたがってる奴ら方が俺には<ガイジ>にしか見えねえよ。
ってのが、偽らざる本音だ。
ただな。今、リーネやトーイをこうして見てるとよ、この子らには幸せになってほしいって素直に思えるんだよ。たぶん、自分が幸せじゃなかったから余計にだと思う。
でもそう思えるのは、リーネが俺を労わってくれてる実感があったからだとも思うんだ。前世では女房からも娘からも、俺に対する労わりなんて感じなかった。だからあいつらのことも幸せにしてやりたいとは思わなかった。それも事実だ。
リサからは多少そういうのも感じたが、それもいつの間にかなくなってた。女房も、結婚したばかりの頃は労わってくれてたような気はする。
それがなくなったのは、前にも言ったとおり、俺があいつらを労わらなかったからだ。それは間違いない。自分を労わりもしない相手を一方的に労わり続けるとか、どこの聖人だよ。俺にゃ無理だ。俺にできねえんだから、リサや女房ができなくたって当然だよな。
そう悟った以上、俺がリーネやトーイを労わらない理由がない。当たり前だろ?
だから、
「リーネ……俺はバカでロクデナシな人間なんだ。だからこれからもリーネやトーイに怖い思いをさせることもあると思う。でも、そんな自分を正しいとは俺は思わない。それは本当なんだよ……」
トーイの頭を撫でながら言ったのだった。