"少"年期の終わり
『あが……うぅ……あっ……あ、ああ……あ010001000101010001111』
ピースメーカー大司教、ノゾミ・バシュタールの身体が、0と1に分解されて消えていく。たとえアルカディア・コードに選ばれようと、強大な力を得ていようとも。死んでしまえば皆同じ。それがパンゲアの掟だ。
「ははは、あのガキ。本当にやりやがった」
「えっ。あぁ、生きてたんですね。まじ頑丈〜」
下半身を失くしたビッキーはライルに膝枕されながら、この決定的な瞬間を眺めていた。総ての要たる脚を喪ったことはもう理解していた。遅い来る激痛を歯噛みして耐え、ぎりぎりのところで魂をパンゲアに繋ぎ止めている。
「ちょっと。何よ……なんで……」
だが、その顔に浮かぶのは達成感による安堵などではなかった。より正確に言えば今この瞬間までは安堵だったが、フィルの居た位置に目を向けた瞬間、その安堵が疑問に変わった。
「なんで、あんたがここにいんのよ」
ここから向こうまで目算で二百。半身を失い、生きているのがやっとな小娘の言葉など、向こうには届きもしないだろう。それでもなお、ビッキーは口を開かずにはいられない。
気配一つ悟らせず、いつ現れたのか全く判然とせず。今しがた大役を務め終えたフィルの目の前に、見知った浅黒い肌の男が立っているのだから。
※ ※ ※
「父親。お前今、父親って」
『――そうだ。我が息子よ。君のお母さんに遺伝子情報を渡したのは私だ。私は君の父親だ』
物心ついた頃からボクに父様はいなかった。母様に行方を尋ねても『わからない』の一点張り。
惚気話というか、父様をどれだけ愛していたかはイヤって言うほど聞かされた。だから『いたのだ』ってとこは信じていたし、生きてさえいればどこかで逢えるとも思っていた。
「いきなり……。なんだよ。なんなんだよ、それ」
会いに――、いや。何度も顔を合わせておきながら、どうして今まで何も言わなかった。今になって明かした理由は何だ。あまりにも唐突。あまりにも身勝手。そんなもの、飲み込める訳がない。
『――混乱しているね。けど、君自身解ってる筈だ。アルカディア・コードをその身に宿して行使出来る人間が普通じゃないということくらいは』
「それは……」確かにそうだ。けど、話の主旨はそこじゃない。「いや、はぐらかすな。ボクが普通じゃないと言うのなら。そうした理由をちゃんと話せ」
『――それもそうだね』奴は露骨に面倒臭そうな顔をして。『私はね、平和ってやつが嫌いなんだ。退屈、と言い換えてもいいかな。ずっと同じ、何も変わらないものに飽き飽きしている』
珍しく、奴の声に”憂い”みたいな感情が見えた。
『――ヒトの遺伝子だって、バラしてみれば01の塊だ。私はそれを自由に操り、世の女性たちに配ったんだよ。ノゾミ・バシュタール。このパンゲアを10年も停滞させた過去の栄光を滅ぼすためにね』
分かりたくはないが、何となく解ってきた。ボクのこの命は、お前のその我が儘の為に造られたっていうことなのか? ふざけるな。ふざけるなふざけんなふざッけんな!
――BANG!
疲れ果てた肉体を怒りが動かして。外套の中のデザートイーグルを掴み、奴の頭に叩き込む。
”当たった”。奴の頭を44口径が貫いて、鼻から上をトマトみたいにかち割った……はずなのに。
『――だから、正直に話すのは嫌だったんだ。きっとこういう手に出る。無駄な時間を使うことに意味なんてないのにね』
奴の鼻から上が、ブロック崩しにされた絵のように、はちゃめちゃに崩れて歪んでいる。だのにその言葉に振れはない。ブロック崩しは正しく組み直され、元の色黒の顔へと戻ってゆく。
――BANG! BANG! BANG!
続け様に胸、腰、脚と撃つが結果は同じ。当たってはいる。だが、攻撃として認識されていない。
だめだ。これには勝てない。これ以上の抵抗は無意味だ。ボクの中の直感がそう告げてくる。
「あんた。一体何者だ。その頭、絶対人間じゃないだろ」
『――そうだね。私は君が言うところの"人間"じゃあない』
多少は渋るかと思っていたが、この男は引っ掛けもなく首肯して。
『――君にも解かるように説明するなら、"管理者"ってところかな。このパンゲアが創設されてからずっと、勝手にここに入って来た人間たちを監視して、停滞しないようにさり気なく導いてきたんだ』
「停滞」
ボクはアルカディア・コードのチカラを得て、パンゲアの敷いたルールにある程度干渉できるようになった。だからこそ相手の本質が視えたり、ワープや手足を注ぎ直す事もできた。
そうしたチカラの及ばない相手。このパンゲアの『管理者』。アキ・クロサワのように自然発生したものとは違う。マジモンの上位存在がここにいる。
「つまり。ボクも、ノゾミたちも」
『――君の想像通りだよ。十年前、硬直したパンゲアの起爆剤に彼女を選んだのは私だ』
パンゲアはそれぞれが思い描く夢のセカイだ。ノゾミ・バシュタールはそれを額面通り理解して、現実の不浄の原因たる銃の一切を禁止した。
『――勘違いしないでほしいんだが、私は思想にまでは干渉していない。ピースメーカーという団体の理念は彼女のモノだ』
「だろうね」もう過ぎたことだ。本人がいない今、是非を問うてもしようがない。
「あんたがどんな奴で、何しようかってのはだいたい解ったよ。で? 今更ボクの父親ヅラして、何がしたいわけ?」
『――それを事細かに説明するつもりだったんだが、多少手間が省けたね』
パーマー……だっけか? 父を名乗る色黒の男は、その何処を見てるんだかわからない眼でボクを見据え。
『――私の期待通り、君はノゾミを殺してピースメーカーを解体。このパンゲアのトップに立った訳だ。ひとつの時代に王はひとりだけ。相容れない組織を滅ぼして、君はこの先どうしたい?』
たぶん、そう聞かれると思っていた。ボク自身が何もしないと答えても、奴はきっと納得しないだろう。
『――返事の持ち越しはナシだ。尤も、先延ばしにしたところで、君の運命はそう変わらないと思うがね』
「はっきりと言ってくれる……」
"棚ぼた"と言っていいのか、これまで虐げられてきた運命の揺り返しってヤツなのか。それはわからない。母様を見つけて、父様の顔を見て、おじさんの仇を討って。もうボクの中にすべきことが見当たらない。
「何をしたいか? 何をしたいかって? そんなもん、決まってるだろ――」
あるとすれば。あると、するならば。
…
……
…………
「フィル……?」
あたしの胴元と話をしていたあいつが、異様に冷めた目をして戻って来た。
「ごめん、ビッキー。あんたとはここでお別れだ」
何よ。この怪我? 文字通り足手まといだからついてくるなってこと?
「"父様"と交渉はした。すぐに代わりを用意してくれるって言ってた」
質問に答えなさいよ。父親? あれがあんたの親父ってこと? 冗談も休み休み言いなさいよ。全ッ然似てないじゃない。代わり……? 何の代わりよ、どういうことよ。
「じゃあな、『姉さん』」
あたしと同じく驚いた顔をしたライルの奥襟を引っ張って。あいつの姿が離れてゆく。後ろから怒号が聴こえた。ピースメーカーに酷い目に遭わされた信者たちの群れか。
情緒が追いつかない。なんであたしから離れるの。なんでそんな冷たい目をするの。
どうして急に、あたしを姉さんだなんて呼んだの?
◆ ◆ ◆
「あー、お酒切れちゃったア。バーテぇン、赤ワインもう一瓶持ってきてえ」
そう栄えていない町の、日の当たらない酒場。独り身で身軽な女・リュミエールは、まだ日も高いうちから浴びるように酒を呑み続けていた。
ピースメーカーによる"粛清"が未遂で終わり、至る所で同団体の旗が降ろされ、そこらかしこで燃やされている。『影の軍団』が消失し、ピースメーカーに鞍替えして、敬虔な信者を装おうとした矢先にだ。
結果、彼女は身を置いていた団体から着の身着のままで脱走し、奪った献金を一時の楽しみに使い込んでいた。咎める者など誰もいない。彼女と同じ団体は、ほんの少し前まで信者だった一般人の襲撃を受け、機能不全から立ち直れないでいるからだ。
「ちょっとォ、バーテン。お酒まだア? 流石にちょっと遅すぎるんじゃないのお?」
最早恥も外聞もない。気にする必要もない。彼女にとって大切なのは今この瞬間の快楽のみ。
「はい。お待ちどうさま」
「遅いわよォ。けどあ、り、が、と」
震える手で瓶を引っ手繰り、グラスを使わずの直呑み。ふと、その声に聞き覚えがあることに気付く。なんという運命の巡り合わせか、ここはかつて彼女が自分の息子を棄てた店。パンゲアの果ての果て、エウロパスの小さな宿屋だ。
「久しぶりだね、母様」
「ちょっとヤダちょっとぉー。うっそォあんたフィルぅ? どしたのどしたのォ」
「別に。ちょっと、母様の声が聞きたくなって」
腰まで伸びた髪を後ろで括り、色は紺碧に青碧のグラデーション。あの日のままのフィル少年がそこにいた。
そこに怒りや恨みといった感情はない。穏やかなれど、決して優しさの感じられない瞳をしている。
「ここのこと、憶えてる? 母様と最後に食事したの」
「え〜? ごめんね覚えてない。お酒呑みにキオクの話し振っちゃやーよー」
「そ」
フィルがここの主を撃ち殺した後、そのまま残った建物には別の店主が入り、引き続きレストラン兼宿場として営業することになった。彼は元従業員。銃を突き付け、『お願い』すればカウンターに入ることなど造作もない。
「ねぇ、母様」
「なーにー?」
酒瓶をラッパ飲みする母の姿を見、フィルは彼女に問い掛ける。
「母様はさ、今のパンゲアに満足してる?」
「何よ。藪から棒に」酒瓶に入ったワインを半分程度胃の腑に落とし、げっぷと共に言葉を返す。
「そりゃあ満足してるに決まってるじゃない。パンゲアにはコワーい借金取りは来ないし、お腹いっぱい食べられるし、オシャレだって自由自在。ちょぉっと人間関係に不自由することはあるけどさァ。それだって逃げちゃえば問題なっしんぐ」
「『逃げる』って選択肢があるとこ、母様らしいな」
柔らかい言い方ではあるが、彼は全く笑っていない。その理不尽のツケを払ってきたのはいつも彼だったからだ。
「じゃあさ、もしパンゲアが明日消えちゃうってなったら、どうする?」
「ハァ? 何言ってるのあなた。無くなるワケないでしょ。パンゲアはもうただのゲームじゃなくてみんなの『人生』なのよ。終わるだなんてそんな。馬鹿も休み休み言いなさいな」
消える、という言葉に一瞬動揺が見られたが、そんなわけがないと酒を呷る。どこまでも前向きというべきか。
「そっか」フィルは怒るでも呆れるでもなく一人頷くと、手にした酒瓶を母の近くに持ってきて。
「おかわり、要る?」
「ワオさんきゅー。気が利くじゃなーい」
今呑んだ分で追加のワインも空っぽだ。リュミエールは即座に手を伸ばすも、フィルは瓶を高く上げ。
「交換条件。支払いは全部引き受けるから、この紙にサインしてくれないかな」
フィルがペンと共に懐から取り出したのは、パンゲア・未成年使用に伴う保護者の同意証だ。これにサインを入れれば、フィルを縛る総てのルールが撤廃される。
「はーい。はいはーい。おっけー、これでいいっしょ? ほぉら、ほらほら。イジワルしないで。おかーさんにそれちょーだい?」
久しく会っていなかった息子がそんなものを差し出したというのに、リュミエールは二つ返事でサインを書き入れ、書類は『ポーン』という音と共に虚空へ消えた。正当性が認められ、パンゲアに受理されたのだ。
「ありがとう、母様」フィルはもう一度だけ母の顔を見る。その美貌で何人もの男を手玉に取り、けれど本当に好きだった男には裏切られた哀れな女。もう二度と、彼女の顔を拝むことはないだろう。
「じゃあね」
「ほーい。サヨナラさよならー。近くに来たらまた顔出しなさいよねー」
大仰に手を振る母に背を向け、フィルの姿はエウロパスの街から消えた。
その母リュミエールはこれが息子との今生の別れになるとは知らず、通算七本目のワインを呷り、赤ら顔でカウンターに突っ伏した。




