酒だ酒、酒を出せ
※ ※ ※
「そこからそこ。棚に一列で並んでる奴、全部くれ」
「お客さん、本当にそれ全部買うのかい? 今日はなんだ? 酒宴かなにかか?」
「いいや。全部、俺一人で呑む」
ガニメデ場末の酒屋の店主はさぞ困惑したに違いない。新顔らしい赤ら顔の無精髭男が、店にある酒の殆どを引き取ろうと言い出したのだから。
悪い冗談だと切り上げたかったが、バーカウンターに叩き付けた札はそれら全部を売り渡したとしてもお釣りが来る。
「まあ、買うって言うなら売ってはやるがね……」
パンゲアは電子渦巻く仮想世界だ。どれだけ飯を喰らおうとも腹は膨れないが、酩酊となれば話は別だ。長期的に覚醒物質を摂り込み続ければ、その先にあるのは破滅の二文字だけ。彼がしくじり、責めを負わされることになってはたまらない。
「カネならあるだろ。何が不満だ」
少しづつ彼の語気が強まっているのを感じる。この手の中毒者は腹いせに何をしてくるか分からない。店長は『どうなっても知らんぞ』と息を吐き、棚に並んだ酒瓶を一つずつ下ろしてゆく。
「重畳」くたびれた姿の男――、キャラハンはそれらを一つずつ掴み取り、上掛けのポンチョの中へとしまい込む。割れ物を複数重ねたにも関わらず、中ではガラスの擦れる音ひとつ聴こえない。
「ワーォ、すっげぇ。SSSR装備じゃん」
店長とキャラハンしかいなかったカウンター先で、割り込みに入る声一つ。若く軽薄そうな男のそれだ。許可も無しにポンチョの裾に触れ、物珍しそうな目を向ける。
「渋いねえ。無限収納の携行タイプ。『教会』の騎士団長級だろ、持ってるのって」
次いで別の男が逆側に立った。声の調子こそ気のいい若者のそれだが、悪意ある含みが込められているのをキャラハンは聞き逃さなかった。
「オウお前ら。勝手に触ンな」
乱暴にポンチョを引くが、彼らは手を離さない。やる気か? キャラハンは右手を中に沈め、拳銃を突き出さんとするが、
「待てよ。待て待て。そうイキり立つなってえ」
軌道を、読まれた? ポンチョから出さんとした手の出際を狙い、木の根で出来た蔓がキャラハンの右腕をピンポイントで締め付ける。握っていた銃が重力に従い、古ぼけた床板の上にこぼれ落ちた。
「なんだなんだァ? 『これ』で俺達に何しようってのよォおじさんさあ」
「話し合いをしましょうよォ。こちとらあんたのその上着、俺たちにちょっと貸してくれって言ってるだけだぜ?」
貸したその先が何になる。奴らはそのまま古着屋に売るか威圧の為に使うに違いない。キャラハンは捩じられ、背中に行った右腕の痛みに顔をしかめながらも、
「断るね。お前らみたいなボンクラに、貸してやるモンはない」
この悪態にふたりが眉根を寄せたその瞬間、キャラハンは残る左手をポンチョに沈め、起死回生の一発を放たんとした。この距離だ。外しようがない。だが実際に銃声が轟くことは無かった。
「おーうオウ。危ねえな。お前ら油断してんじゃねぇぞ」
「兄貴! スンマセン、こいつ聞き分けが無くってさあ」
背中に受けた強烈な衝撃を受け、キャラハンの意識が一瞬飛んだ。よろけながら振り向けば、そこには右腕に木々の蔓を巻き付かせた屈強な男が立っている。
「あんた、間が悪かったね」いつの間にかカウンターの下に隠れた店長が、キャラハンに囁く。「ありゃァガニメデ一帯を縄張りにしたモリノ一家だ。"教会"の目の届かない辺境を牛耳ってて誰も手が出せねえ」
「一家」
言われ、今いる者たちを目で追う。最初に仕掛けた奴らが左右にひとり。親玉らしい男が背後。その両隣に一人ずつで計五人。普段なら屁でもない数だが、両腕を縛られていてはそうもゆかない。
「ここが俺たちモリノのシマだと分かっての物言いか? そのナリで長く生きといて、今更命を散らそうってか?」
親玉の男は指を鳴らして弟分らに指示し、両腕を更にきつく絞め上げる。
パンゲアでの死は現実世界での死と同義だ。多少のダメージは防御機構が肩代わりしてくれるが、度を超えると壁をすり抜け、膨大な電気信号が無防備の脳を駆け抜ける。本体は植物人間と成り果て、二度と目を覚まさなくなる。
「俺たちは寛大だ。この町の元締めとして治安維持に協力している」親玉は悪辣な顔でそう宣うと。「弟たちの望みだ。その上着を置いてとっとと立ち去れ」
至極真っ当な答えだ。続く返答は間違いなくイエス。この場にいる誰もがそう思った。
「そのどちらにも、NOだ」
なれどこの男は否で返した。腕のきしみに顔をしかめ、打開できる理屈も何もない中で。
「これは、俺が俺であることを証明する唯一のアイテムだ。俺が何者なのかわかるまで、誰に何を言われようが手放すつもりはない」
この男、キャラハンは過去の記憶の一切を失っている。酒浸りで沈んでいたのをフィル少年に叩き起され、過去を探り始めた只中だ。怖れもなければ、道を阻む者への容赦も一切ない。
「ハ! 言ってくれるなこの状態でよォ」無論、その決意もこの場では悪手以外の何者でもないのだが。モリノの頭目はキャラハンの言葉を鼻で笑い、弟分たちに指示を飛ばす。
「こんな野郎に舐められちゃ町の顔役としての名折れだ。広場に連れて行け、見せしめにしてやるゥ」
※ ※ ※
「何やってんだよ、あんたは……」
両腕両足を蔓で絡め取られ、大の字を作って磔にされたあんちきしょう。彼の武器は銃だ。腕を封じられれば成す術はない。
余程痛めつけられたのだろう。右目は大きく腫れ上がっており、肩で息をしているのが遠目でもわかる。服の下は更にひどいに違いない。
(けど、チャンスじゃないか?)
あの傍若無人に辟易してたんじゃないのか。あいつのことを見限ったんじゃないのか? これ以上の好機が他にあるか。
「知ったことか。ボクには関係ない」
奴が首をもたげる前に踵を返す。あれは奴が背負い込んだ面倒だ。ボクがどうこうしてやる義理はない。
(関係ない。無いのだけど)
背を向けたその瞬間、奴に『護身用』と渡された拳銃ががちゃりと揺れた。結局、ボクはそこから離れることは出来なかった。何が起こるにせよ、見届けるべきと思ってしまったから。