お前なんてただの通過点
『生きていることを恥とも思わぬ愚者が、いい加減、死に腐れッ』
戰場を地下道に選んだのは、自らの有利を理解してなのか? 反響する声で位置が掴めない。
鼻先で迫り来る疾風を感じる。僅かに首を反らす。軽いハンターナイフがそこを通過し、古ぼけた壁の煉瓦に深々と突き刺さった。
「ふざけんな、あんたが死ね」
最早視覚は当てにならない。ビッキーは目を閉じて耳を澄まし、水の音・煉瓦の音にだけ集中する。
「そ……、こっ!」
煉瓦に刺さったナイフを引き抜き、雷の魔力を右腕と左足に集中。気配の元へと投げつける。
舐められたものだ。カラダを使ったステゴロならこちらにも分がある。これでも喰らえと放たれたナイフは、何にヒットするでもなく虚空に消えた。
(外した!?)その隙を突き、ビッキーの左肩に突き刺さる。躱されたことも、反撃を喰ったこともどうでもいい。問題はそれがほぼノータイムだという事実だ。今ビッキーの動体視力は雷の魔力で研ぎ澄まされている。多少素早い程度の攻撃など簡単に避けられる筈なのに。
読まれている? こちらの挙動を先読みし、そこにカウンターを仕込んだというのか?
(成る程、さすがは六騎士サマってわけ)
あれがモノに頼るだけのサンシタなら、そもそもカナエ・バシュタールは死んでいない。命懸け。そう、命を賭けねばならぬ。手段を選んでなんかいられない。
『逃げるか? いいだろう、逃げてみろ』
ビッキーは臭いのきつい水路に『敢えて』飛び込む。稲妻を全身に纏わせての肉体強化。鼻が曲がるような下水の飛沫を派手にぶち撒け、出口へ向かって駆け抜ける。
(誘い出されたわね)
たとえ魔法に依る肉体強化がかかっていようと、水の抵抗をゼロにできるわけがなく。投げナイフが腿の裏に、背中に、左肩に突き刺さる。
「ぐ……う、うぅっ!」
覚悟の上の負傷だ。身体じゅうに循環する雷で痛覚を麻痺させ、無理矢理に突っ走る。
『馬鹿め。そんな気休めが何になる!』
筋肉を誤魔化して走れてはいるが、蓄積するダメージに嘘はつけない。舞う飛沫も少しずつ減っており、ふたりの距離はだんだん狭まってゆく。
これが攻撃に転じれば脅威だったかも知れないが、彼女はひたすら逃げているだけ。この地下道を脱すれば勝機があると? それこそ馬鹿げている。礼拝堂から一歩外に出れば、ピースメーカーの信者と衛兵に囲まれ袋叩きに遭うだけだ。
「あっ無理、そろそろ限界……」
バグ技のようなインチキでダメージを誤魔化してはきたが、やはりインチキは長く続かない。強烈な頭痛がこれ以上の運用にNOを突き付け、ビッキーは道半ばで汚水に半身を沈めてしまう。
『逃げて逃げて、結局貴様は何がしたいのだ』
汚水にまみれ、戦うすべもなく。ただ延命の為に逃げ続け、その結果がこれか。訳がわからない。六騎士アンリは透明の外套を拡げ、中にしまわれたナイフから特別刃渡りの広いものを抜き出して。
『無駄な足掻きはもう終い。せめてもの情けだ。一瞬でその頸を刈ってくれよう』
反りの無い鋭利なナイフ――、いや『ショートソード』というべきか。逆向きには未だこびり付く赤黒の染み。カナエ・バシュタールはあれで刎ねられて死んだのか。同じ得物で自分を殺そうというのか。
「ふ。ふふふ」だがしかし。ビッキーの顔に諦めの二文字はない。今まさに、頸を刈られる寸前であろうとも。
「あたしさ。才能がないって散々言われてたんだよね。稲妻をイメージできても、集中集束させるのに向いてないって。パパはどっちもできたのに。悩んで凹んで傷ついたっつーの」
『何?』
「だから、内に秘めて使うことにした。カラダ鍛えるのは性に合ってたし、実際これひとつで生きてきたから、他の方法あんまり知らないんだよね」
『今更何だ。何が言いたい』
不気味だ。これが、今ここで殺される人間の言葉か? 隠し玉があるというのか? 今ここで撤退するか? 馬鹿馬鹿しい。向こうは刺されに刺されて動けない。ハッタリに敗けて逃したとなれば、大司教の怒りの矛先は自分に向くだろう。
『もういい。さっさと死ね』
悩む必要などない。もう既にここは自分の距離だ。両手でソードを握り、半分汚水に埋もれたままの咎人目掛け振り被る。
「けどさ。もう、そんなのどうでもいいわけ」
ビッキーは、今の今まで自分自身にかけていた雷の魔力を『解除』する。後回しにした激痛に意識を奪われそうになりながら、広げた右掌をアンリに向けた。
「こんなところでバシャバシャ水かぶって。そんなキラキラしたものたくさんぶら下げてさ。始末屋のくせにあんた……。馬鹿じゃないの?」
しまった! などと声を上げた所で時遅し。アンリの目に映るのは、汚水がふつふつと沸騰し、微弱な電気を帯びる異様な絵面。
ビッキーは自身に宿る雷の魔力を適切に集束できない。故に放出を諦め、それを身体能力強化に割り振った。だがこの状況ならば。互いに水に浸かり、水を浴び。加えて向こうは"金属"をたっぷりとぶら下げていると来た。
『こ、こ、こ、こ・れ・は! あっ、あぁああああ』
内に秘めた魔力を最大限解放。水面から放出された雷は、この場で一番『金属』を身に着けたアンリに向かって一直線。
ビッキーが狙っていたのはこれだった。透明で、暗がりで、足場も悪ければ肉弾戦はほぼ無意味。生き残る為に知恵を働かせ、相手の能力と姿、自分のチカラを仰ぎ見て導き出した逆転の一手。
上手く行くかどうか不安ではあった。たとえそうは見えなくとも正道六騎士がひとり。強引に行かれたら勝ち目はなかった。
始末屋を名乗っていながら間抜けな女である。最重要抹殺対象を殺して、後はもうオマケとでも思っていたのだろうか。逃げる自分に警戒すらしないで、ご丁寧に追ってきてくれて。
『この……。虫けら……。大司教様の教えに背く……愚図……』
それでもなお、ソードを手に頸を刎ねんとする根性は立派だ。事実今ビッキーに対抗する術はない。傷が深く、魔力は全部雷に回した。押し返せない。
『うぐ……うく……う……』
ならば、今あるチャンスにすべてを懸けるまで。右掌にぎりぎりまで魔力を回し、高拡散される雷をひたすらに解き放つ。
「く、た、ば、れ、ぇえええええええてええええええええええッ」
お前がどんな存在だろうと。
言うことが如何に高尚だろうと。
自分のしていることが人の道に反していようと。
知ったことか。そんなことどうだっていい。
お前はただの通過点。託されたこの命、この武器、むざむざすててなるものか。
『この……この……こ、の、ぉ……ォ……』
奴の握るソードが手から滑り落ち、汚水の中に消えた。蒼く輝く光の中で、全身に仕込んだナイフたちは尋常ならざる熱を帯び。やがて糸の切れた人形のように棒立ちとなる。
与えられた情報量に脳がついて来られず、オーバーフローを起こしたのだろう。脳味噌をそのまま電子レンジで加熱したかのような衝撃だ。たとえ生きていたとして、二度と落とした刃物を拾うことはないだろう。
「ざまあみろ。やってやった。やってやったわよ」
痛みを堪え汚水から上がり、身体中に刺さったナイフを一本ずつ引き抜く。出血と、それに伴うダメージは雷で焼いて塞ぎ、気合で我慢する。
カナエの居た場所はもう見えない。戻ってあいつの亡骸を埋葬する暇もない。奴は死んだ。自分は紙一重で生き残った。彼女はこの武器を好きに使えと遺してくれた。大切なのはそれだけだ。だからもう振り返らない。済んだことは済んだことだ。折り合いをつけて前に進め。
「あ、っと。その前に」
前言撤回。臭い汚水に鼻を摘み、もう一度だけその身を沈めてゆく。
「よし、あった。貰ってくわよ、これ」
通常、プレーヤーが死ぬと装備も道連れになって消えてしまう。だがレア度SSRとなれば話は別。気配さえ消せる透明の外套。やはりこれは超貴重装備だったか。
ビッキーは奪った外套を身体に巻き付け透明になり、手探りで元来た道を戻ってゆく。果たして、この短剣は誰に、何のために使うべきなのか。それはまだわからない。
※ ※ ※
王都・フォボス全体を見通せる高い高いピースメーカー大聖堂。その頂に座し、市民らを睥睨する彼女は大司教ノゾミ・バシュタール。このパンゲアの秩序を司る、『神』に最も近しい存在だ。
『ふぉっふぉっふぉっ。壮観でおじゃりますなぁ大司教さま。あなた様のお声ひとつで愚民どもがほら、あんなにも』
殆どヒトのいない聖堂の祭壇に列席を許されているのは、正道六騎士がひとりニコラウス。綺羅びやかな装飾を全身に纏い、歯は金の総入れ歯。あからさまに他者を見下す、品『だけ』は良さそうな男である。
「だが、まだ足りない」大司教ノゾミは不満げにそう洩らし。
「気は熟した。始めようか、ニコラウス」
『ホウ、ホ、ホウ』ニコラウスは下卑た顔でニイと笑い、『だがしかし大司教さま、サマエルが戻ってないようでおじゃるが』
「問題ない。彼なら"発動"しても余裕で戻って来られるさ」
ノゾミは怜悧な顔で席を立ち、高らかに右手を挙げる。大聖堂に光をもたらすステンドグラスが微かに揺れた。次いでフォボスの市民たちが揺れを察し、天を仰いで跪く。
「方舟にようこそ、我が臣民諸君。そしてさようなら、それ以外の異教徒共。パンゲアに巣食う穢れは私が根こそぎ、払ってみせよう」
いま、このフォボス以外がどうなっているか。この場で天を仰ぐ市民たちにはわかるまい。彼女は今この場で、パンゲア崩壊の引き金を引いたのだ。




