パンゲアのない毎日
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「すみませーーん。注文していた栄養バーの一ダース、お届けに上がりましたぁ。サイン、サインをお願いしまァす」
バイクを走らせ、箱詰めされた赤だの青だのの色付き棒を送り届ける。こちらの世界では色鮮やかで綺羅びやかな料理を目にすることは殆どない。陸のもの、海のもの、その他諸々。そうした資源は二十年くらい前に尽き、猫も杓子もこういう食料で飢えをしのいで生きている。
他に選択肢が無いのもあるが、パンゲアをプレイするのに特化した食物とも言える。目覚めた短い時間に必要な栄養を補給し、また眠る。栄養さえ摂っていれば、生きていく上での楽しみは全てパンゲアが与えてくれる。
(じゃあもし、パンゲアに馴染めないひとがいたら)
そこに思い至ってぞっとした。もしも電気を止められてしまったら。総てを司るVRゴーグルが壊されてしまったら。依存していた人間はどうなってしまうのだろう。このうらぶれた救いのない世界で何を支えに生きていくというのだろう。
『――おぉい、配達まだなの? うち、三十分も前から予約してるんですけどぉ』
「ああ、はいはい。ただいま」
なんて。ボクが考えたって仕方のないことだ。アタマよりも先に手を動かせ。きょうのノルマを消化することだけを考えろ。どうせもうログインしないんだ。何の関係もないじゃないか。頭を振ってモヤモヤを払い、バイクを西へと走らせる。
(本当に、そう思う?)
曲がり角で目にしたカーブミラーに、どこかで見たことのある黒い影が映る。二度見しようとしたけれど、小石を蹴飛ばして体勢を薄く崩し、立て直した頃にはもう消えていた。
「そうさ。ボクには何の関わり合いもない」
幻覚だ。『彼女』がここに居る筈がない。夢のセカイに惑わされてどうする。ここは現実。異能のチカラなんてなくたって、手足を動かせば飯にありつける場所なんだ。
(逃げるんだ。逃げたところで、何も変わらないのにさ)
無人清掃車に反射した壁に、昨日の雨で出来た水たまりに、もう使われていない液晶パネルに。影はどこにだって現れる。知ったことか。ボクは二度とパンゲアには関わらない。それでいいだろ。
(無理だよ。あなたには、パンゲア以外に居場所なんてないもの)
気が付くと、死者の『焼却』でもうもうと煙を上げる清掃車が眼前まで迫っていた。ハンドルを切ってかわし、アクセルを強く踏みつけた。
※ ※ ※
「知りません。本当に知らないんです」
「どうか、どうかお慈悲を……」
かの要塞都市を離れ内陸。ピースメーカーとも影の軍団とも関係を持たず、どっちつかずを貫いてきたミランダの街は、大挙して現れた白装束に蹂躙されていた。
『くどい! 貴様ら半端者が"敵"を抱え込んでいることは命名白日』
『たとえ知らなかろうとも、いや、知らない事自体罪である。我々の教えに背き、のうのうと生きてきた罰を償え』
今日に至るまで、ピースメーカーは自身らに楯突きさえしなければ、如何なる過失も総て赦すと寛容な姿勢を貫いていた。だがその甘さとも取れる考えが影の軍団の驕りを産み、ピースメーカーの大型拠点であるタイタニアを火の海へと変え、多くの死傷者を出す結果となった。
『我らが大司教さまの命令を伝える』
『我らが思想に賛同しない者。パンゲアに銃を持ち込む愚か者。総て滅ぼし浄化せよ』
ここへ至り、ピースメーカーは方針を転換。自分たちの意に沿わない者たちは総て滅ぼすと決定を下した。銃を持つ者のみならず、黒頭巾を被る者、教団の思想に懐疑的な者。ミランダの街だけではない。本拠地フォボスのみならず、彼らの息のかかった全ての街で、無慈悲なる死体の山が築かれ続けている。
…
……
…………
「とうとう『浄化』に踏み切ったのですね。姉様」
船のマスト、物見台に立つカナエ・バシュタール船長は海から地平線の彼方を仰ぎ見てそう零す。唯一無事な右目の中に瞳が無い。
彼女の元へ、空色の海鳥めいたエネルギーが帰ってきた。カナエは避けることなくそれを受け容れる。彼女の右目に本来在るべき眼が収まった。
「便利なチカラよね、それ」
「えぇ。"WHO IS"のちょっとした応用です」
マスト伝いに滑り降り、甲板に立つビッキーにそう返す。彼女が偉大なるピースメーカーから与えられた固有能力は視るチカラ。ログインした人間の本名や性別を読み取り、敵の動きをごく僅かではあるが先読み出来る。
加えて、自らの眼を動物に変化させ、広域の索敵として利用することも出来る。姉や妹はこの事実を知らない。知らせたこともない。カナエがピースメーカーらに捕捉されないのはこれが事由だ。広域から様子を窺い、彼らの往ぬ間に陸地での活動を行い、また大海原に逃げ去ってゆく。
「好都合ね。奴らが虐殺に気を取られているうちに、我々はアルカディア・コードを回収します」
「回収……ね」彼女が自分をここに連れ込んだのは慈善じゃない。交換条件の核が自分というだけだ。
「ねぇ。『アルカディア・コード』ってなんなの。パパもあんたらの上役も、皆して狙ってて。そんなに大事なモノなワケ?」
それが大切なものなのは良く解った。しかし、ここまで一切説明がないのはどういうわけだ? 尤もな意見である。カナエは暫し考え込むと、『仕方がない』と小さく呟き、ビッキーの目を見て言った。
「知りたいと言うなら教えてあげる。けど、それを聞いたらもう後戻り出来ないわよ」
「後戻り。この状況でどこに戻るっていうのよ」
父は死に、旅仲間は消え、多分雇い主には見捨てられ。戻ったところで迎えてくれる場所なんてない。
「そうね。愚問だった」
カナエは意地の悪い質問だったと詫び、あくまで怜悧な表情を貫きながら。
「アルカディア・コードは、平たく言えばパンゲアの設計図。それを手にした者はユーザーではなく『管理者』としてパンゲアにアクセス出来るの」
「管理者……権限?」
「そう。遊ぶ側じゃなく創る側。何もかも思うがまま、パンゲアのルールとして持ち込める。このセカイの中限定だけど、全知全能のチカラの根源ってとこね」




