『我慢する必要なんて無ェ』
「こ、こ、このぉ! 舐めるなよ賊どもぉッ」
下品な連中が露店エリアを蹂躙するその様が堪えられなかったのか、ひとりの男が杖を持って立ち上がる。杖とそれを持つ右腕が紅く輝いているとなると、炎で根こそぎ灼き尽くす気か。
「燃えよ! 我が魂を! 憎き敵を! 消し炭と変えてしまえ! フレイム……」
「ぉ、おっとォ。目の前が見えてないアホがひとり登場〜」
海賊のひとりが、決死の彼を鼻で笑った。連中は集束する炎を前に動揺することなく、近場にい数人が集まって、右腕に描かれた紋様らしくものをこれ見よがしに掲げる。
(詠唱破棄?)
三人寄ればナントヤラってか。男から見て左側から勢いよく水が噴き出し、発動しかかっていた炎をかき消した上、彼をその中に閉じ込める。
「ごほ! がばごほ、ごぼぉおおおお」
四角四面をゼリーのように閉じ込めて、息なんて出来るはずも無く。英雄にならんとした炎使いは海賊の下っ端たちに動きを止められ、あっという間に事切れた。
「馬鹿な奴だ。歯向かいかえしなければ、もう少し長生きできたものを」
邪魔者が消え、"整地"された船の中にひとりの男が現れた。他の海賊連中とは違い、上等そうなコートを肩がけにし、奇抜なデザインの帽子を被っている。あれが頭目。奴らの船長ってところか。
「我々の目的は聞いての通りだ。多少迷惑かもしれないが、俺もこいつらを養わなければならないんでねェ」
手前勝手な理屈を吐く連中だ。そもそも、あんたらが沖に出なきゃ済んだ話じゃないか。客の生死を握ったうえで、カネと食料をくれだなんて図々しいにも程がある。
「オウ。オウオウオウ。なんだかエラい騒ぎになって来たな」
物騒な格好の連中が乗り込んできて、おじさんもようやく事態の変化を察したらしい。シルクハットを目深に被り、店と店との間に隠れた。
「面倒くせぇな。あんな連中、眉間に弾撃ち込んで海にドボンでいいだろ」
「陸地ならね。けどここは海。下手に動くべきじゃない」
死んでいいやつ、って意見には同意するけど。"ギャラリー"がどこにでもいるこの状況。日も地平線の向こうに落ちてそろそろ夜。もうしばらく彼ら彼女らとお付き合いすることになるなら、銃を抜いて争うには時期尚早すぎる。
「おじさん、弾は幾つある?」
「オメーが正装をしろって言ったんだろ。羽織りモンは部屋だ。今ここには一挺しかねえ」
「さいですか」
隠しておけるところがないものな。実際、ボクがそうしろと言った手前、怒ることも出来ない。はてさて、どうしたものか……。
「オウ……、オウオウオウ? いいねぇ。上玉がいるじゃあねぇか」
なんだ。敵の頭目が、ぎらついた目でこちらを見ている。まあ、ヒトならたくさんいるし、と多少左右に揺れてみるけど、向こうの目線は変わらない。
「こんな海にいるとよォ、『女』に飢えて飢えてしようがねぇんだ。お前、今から俺の嫁になれ」
「は……あ!?」
何だその目は。なんだその鼻息は。冗談だろ!? なんでボク? ここは客船だぞ! 他にも沢山いるでしょうが!
「そうは言うがなぼうず。そんなカッコじゃあ説得力に欠けるぜ」
あぁそうかよ。そうですか。そりゃそうよな、今回も女装してるんだもんなボクは! 畜生め、最近ようやく忘れ去られたモンだと思っていたのに!
「ほら、来いよ。こっちに来い」
「あ、あ〜れ〜……」
撃つか? と懐を探るおじさんに、目で『駄目だ』と訴える。気付いてくれるかな? 良かった、入れた手を引っ込めてくれた。
「エメラルドの長い髪。ちっこい身体。まるで吸い込まれちまいそうなその瞳。あぁ、たまんねぇなあオイ」
このクソロリコン。艶めかしい目でボクを見るな。わきわきとした手付きで髪に触るな。一挙手一投足がいちいち癇に障る。
なすがままにされながら、こっそりと周囲に目をやる。ありがたいことに、お優しい乗客さまがたはボクの行方を固唾を呑んで見守っている。いや、ボクを心配してるんじゃあない。次は我が身。というか、抵抗は無駄だと解っているんだ。
「オイオイオイ、何ぁに辛気臭い顔してるんだよ。おめえは俺の花嫁だぞ。笑顔だ、笑顔を見せろぃ」
「うふ……。あは、えとぉ……」
力と恐怖を傘に来てやりたい放題。正直相当イラッとくる。おじさんには駄目だって言ったけど、そんな甘いこと言ってる場合じゃない、か?
スカートの中に手を滑らせ、全弾装填済みの愛銃に指先が触れた。右に三、横に三。おまけに背後で略奪中なのが二。リロード無しじゃ全部は無理だ。それでなくとも、今ここでセクハラをはたらくこいつのことを勘定に入れていない。たとえどんなものだとして、反撃を貰った時点でボクに勝ち目はない。
「表情が硬ぇえぞ。笑え、笑えってんだよ。俺の言うことが聞けないのか」
逆に、やつの顔から笑みが消え、代わりに怒りが噴き出した。なるほどこれは救いようのないDV野郎。女に飢えている? その気になれば幾らだってストック出来るだろうに、そうしないということは。
「笑え! 笑えっつってんだよオラァ!」
痛ッ。髪引っ張ンのやめろよ! ボク……は違うけど、髪は女の命なんだぞ。切ってやりたいくらい邪魔だけど!
「ちょっ、やめ……やめてください!」
「うっせェ。お前は俺の所有物だぞ。自分のモノをどう扱おうがそりゃあ勝手だろ」
「て、手前勝手な理屈……」
殺すか? いや、でもギャラリーが見てる。けど放っておくには下劣すぎる。我慢できない。けど、我慢しなくちゃ。どうしよう、どうすれば――。
『我慢する必要なんて、無ェ』
バン、と響いた一発の銃声。ボクのすぐ隣で赤黒の花が咲き、下劣な海賊の体がくず折れる。降り掛かった血を払い、ギャラリーの方を見る。彼ら彼女らは、誰しもが怯えた顔である一点を見つめていた。
「ちょっ……何やってんだよ、おじさん!」
「え……何って、何だよ」
抜くなと。面倒を起こすなってあれほど言ったのに。こんな、どこからでも見えるところで発砲しやがって!
※ ※ ※
『ずいぶんと……騒がしいですね』
パンゲアの秩序たるピースメーカーの大幹部は、この周囲で起こる争いを知覚しつつも、関係ないねと言う体で無感情に受け流す。
「アンタ、秩序の番人なんでしょう? 弱き者を助けるんでしょう? こっちよりあっちの方が大事でしょ、行かなくていいの?」
『優先順位の問題です。今大切なことはそれじゃない』
「へェ……」
とても、分かりやすい奴だと思う。言葉ではそう、淀みなく言い切った。しかし、キモチはそれと相反しているらしい。全方位で隙を窺うビッキーは、そう話す彼女の目が泳ぎ、僅かに動揺したのを見咎めた。
(今! だッ)
それが何であれ、好機を逃すわけにはゆかない。ビッキーは自らの下半身に稲妻の魔力を集中させ、床を踏み抜かん勢いで跳躍。大手を広げカナエを捕らえにかかった。
『な、にっ!?』
反応し、右に避けようとしたがもう遅い。無理矢理に軌道を反らせ、手で身体に触れた瞬間。五指全ての先に力を込めて。カナエの柔い脇腹に突き立てる。絹を裂くような、それでいて歯を食いしばり堪える叫びが客室に響き、そのまま窓を突き破る。
「よぉやく捕まえた。もう、離してやんないから」
『く……ぐ、ぅう……』
ビッキーは船の外壁を『踏み抜いて』"刺さり"、カナエは壁を足場とすることで、重力の干渉に抗った。
ダメージを受け慣れていないのだろうか。痛がり方が少々オーバーだ。あと少し力を込めれば根本から折れてしまいそうな、細くて柔い女の腰。
「ずっとこうしてやりたいと思ってた。」
両手を自由に使えるビッキーは、もう片方で腹を掴み、前と後ろから爪を立て、ぎりぎりと掘り進めてゆく。
『ビッキー! 話を、聞きなさい! 私は貴方と争うつもりは……』
「うっさいママの仇! ここで、くたばれぇええええ!!」
今この場で、言葉には何の力もない。それでも、諦めて逃げるわけにはゆかない。
自分は教団にマークされている。”休暇”と称して抜け出せるチャンスはもうないだろう。
だからこそ。彼女に諦めという二文字はない。たとえ嫌われようとも、この命を喪うことになろうとも、ブリットとの約束を、責任を果たさなくては。
『え』
だが、運命は文字通りに二人を分かつ。船の側部に脚を引っかけ、もう片方は彼女の重量によって支えられている状態だ。長続きするわけがない。
なれど、想定してなどいなかった。重力と吹きさらしの海風は容赦なくカナエの身体を左右に引っ張り、ビッキーの手からこぼれ落ちた。
「あっ、ちょっ、あっ、あっあ……!」