ちょっとばかり早い遺言
「ど……どうして分かったんだ」
「だから。言ったでしょう。匂いで分かるって。火薬の匂いの出どころはそこ。これ以上の説明がいる?」
状況を整理しよう。目の前にはキャスケット帽を被った亜麻色の髪の女の子がひとり。彼女はボクが銃使いであることを見抜き、隠していた拳銃を奪い取った。
(まずい……まずいぞ)
何者なんだこの女。動かぬ証拠をピースメーカーに突きつける気か? 手の届く距離だ。奪い返せないこともないけど、下手に刺激したら何処へでも好きなところにズドンで終わりだ。どうする。どう動けば――。
「うん、うん。うん……」
あれ。ちょっと待って。何やってんのこのヒト。弾倉に耳を傾けて、撃つでもなくかち、かちという音を楽しそうに聴いている。
「良いわあ、凄く良い。火や水を射出するパチもんじゃない本物の銃。あぁあ、こんなに美麗な細工なものと『こっち』で出会えるなんてぇえええ」
ボクは今の今まで、撃たれたりこれを持って通報されるんじゃあないかと思って焦っていた。このヒトを殺すのもやむ無しとさえ思っていた。
けど、何この……何? 何やってんすかあなた。銃身に頬ずりして、恍惚の表情を浮かべちゃってるの。まじで何なの?
「あ、ゴメンナサイ。あまりにも素敵なものだからつい」
あはは、と笑いながら体裁を取り繕って、グリップをこちらに向けて銃を返してきた。ホントに銃を見たかっただけ? 冗談じゃなく?
「そうよそうなの。パンゲアの世界観がこわれるから銃は禁止、なんて馬鹿げた取り決めもあったものよねー。銃があろうがなかろうが、ヒトは残酷に誰かを殺すモンなのに」
言われてみると確かに理不尽だ。もっともっと多量にヒトを殺せる魔力魔法と違い、所持するだけで違法だと非難され続ける。
「あのですね」けれど、いま気にすべきところはそこじゃない。「結局、あんたは何をしたいんだ。通報か? ボクをそれで撃ち抜こうと?」
「違う違う。そんな物騒なことするわけない」ガンパウダー、と名乗る女は大げさに首を振って否定し。「私は三度の飯より銃が大好きなだけ。いいモノを持ってるヒトを殺すだなんて」
「本当に……?」嘘をついているようには見えない。ニワカには信じがたいが、そういうことで、いいのか?
「ま。警戒するのもしょうがないか。ごめんね、怖がらせちゃって」
銃把の方をボクに向け、ごめんなさいねと突っ返す。このまま引き金を引けば胸の辺りをズドンなのに、あちらに警戒する素振りはない。
「良いモノを見せてくれてありがとう。機会があったらまた会いましょ、拳銃使いの『お姫様』」
なんて。捨て台詞を残して手を振って。もう興味はないとでも言わんばかりと去っていく。
「あの、ボクお姫様じゃ……」などと訂正する暇もない。彼女の姿は乗り合わせた乗客たちの中に消えた。
改めて、渡された銃を見回すが、細工された形跡は微塵もない。あぁいうヒトばかりなら、この世界も平和で住みよくなるだろうに。予期せぬ出来事に、なんとなくほっこりとさせられてしまった。
(世の中には、変わったひとがいるもんだなあ)
逃してよかったのか? まあ、放っといたって害になることは無いだろう。性の違いは、今後出会う時にでも訂正すればいい。受け取った銃をホルスターに戻し、何食わぬ顔で先をゆく。
「参ったな、完全に見失った……」
おじさんが傍らにいないと気付いたのはその時だ。あのヒトってば、じっとしてろって言うのがわからないのか? 本当にもう、世話が焼ける!
※ ※ ※
「いらっしゃい、いらっしゃい。獲れたてのサンマだよぉ。なんならここで食べて行きなよぉ」
「新しい大陸には新しい冒険ガイド。大都市フォボスで発行された最新版だ。テーブルマナーや最新のファッションまでてんこ盛りだよ」
「ちょっと、ちょっとちょっとお兄さん! 見てってよこれ。海の向こうで流行りの帽子。港町アリエルでの強い日差しにはこれが一番。安くするから買って行ってってばあ」
総てが0と1のデータで構成されたパンゲアという世界において、見てくれはさしたる意味を持たない。ヒトの力量然り、この帆船然り。遠くからみれば帆で覆い尽くされたこの船も、中に入れば四階層で客室・広間・甲板と多くの区画が備わっている。
大酒飲みキャラハンが迷い込んだのは、長い船旅に飽いた客らをカモに商売をするアコギな者たちの商店街だ。ある者は危険と不安を大仰に煽り、ある者は新鮮さをウリに食べていけと迫り、またある者は大量に積まれた帽子を買えとしつこく言い寄って来る。
この船で唯一の娯楽をひとかどに纏めたような豊かさであるが、キャラハンがひとつの場所に足を止めることは無かった。
「酒だ……。アルコールはどこだ……どうして置いていない……!」
海産物を買えと迫る店はあるのに、それを胃の腑に落とし込む酒類を扱う店はどこにもない。
パンゲアの中のことしか知らない彼には理解できないことではあるが、この世界は現実の挙動に出来得る限り近付けて制作されている。故に帆船は風がなければ進めないし、大勢を載せた船は上下左右大中小、タイミングを読ませず何度も揺れる。実際、バーチャル船酔いを起こし、未だ客室から起きられない冒険者も少なくない。
そんな状態で、プレーヤーを酩酊に陥れる酒を呑ませたらどうなるか。多少間が抜けていようと、そのくらいのことは子どもでもわかる。故に誰もそこに不平不満を示すものはいない。このどうしようもない酔っ払いを除いては。
「ん、んんん。いや、ある。近い、近いぞ。匂ってくるぜ。神はまだ俺を見捨てていないっ」
だが、この病的なアルコール中毒者は他の有象無象から酒の存在を嗅ぎ取った。目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。アルコールの匂いがどこから来るのか。目を閉じるまで、魚の臭いに誤魔化されて気付けなかった。まとわり付く声を無視し、屋台の隙間に滑り込み、匂いの元へと辿り着く。
「お前、お前だなッ。酒を持っているだろ。ちょっとでいい。分けてくれねぇか」
「入ってくるなりまァ、不躾な」
黒く小さな丸眼鏡をかけた老人は、キャラハンの失礼を咎めることなく棚を探り、年季の入った酒壜を取り出した。
「ほら。持ってけ」
「サンキュウ」言うが早いか引ったくり、壜の中の半分くらいを胃の腑に落とし。「ちょっと待ってくれよ。今お代を」
「構わんよ。こちとら暇持て余してたモンで。景気の良い飲みっぷりが気に入った」
"正気"を取り戻したことで、改めて店を見やる。魚屋と飲食店の間に建ち、看板すら出せそうにない小さな屋台。
「えらくヘンなとこに店構えたな。これじゃあ客も来ねぇだろ」
「場所取りは人気店舗が優先なんでね、うちみたいな零細は、こんな隅っこがお似合いなのさ」
次いで、目の前に鎮座する小さなテーブルに目をやる。置いてあるのはタイプライターか? だが形が妙だ。指を置き、文字をタイプする部分がこれにはない。代わりに、右端に煙突めいた孔が接続されており、一見しただけでは何をしたいのかわからない。
「興味本位で訊くんだが、あんた一体何をやってるんだ?」
「そうですな。平たく言えば、『郵便屋』ってことになるんじゃないかねえ」
郵便。したためた手紙を遠方の誰かに運ぶ仕事だったか。「だが、お前のところには手紙が無いように見えるが」
「そう。だから『みたいなもん』なんですわ」
老人はタイプライターらしきものに手を触れ、紫紺の魔力を流し込む。タイプはひとりでリズムを刻み、煙突の中から虹色のシャボン玉が飛び出した。
「私は少々特殊な水の魔力を体得しておりましてな。人の話した言葉をシャボンに閉じ込め、長い間保存して置く事ができるんですわ。これを風船みたいに飛ばして、声を直接遠くの誰かにお届けする。ま、そういうサービスです」
「なるほど、だから郵便」
水の魔力に風の魔力の複合。なかなか面白いことをする。酔いが回って機嫌の良いキャラハンは、再び酒壜に口をつけてこう言った。
「よし。こいつのお代替わりだ。それ、使わせてくれよ」
「あぁ、はいはい。それでしたら」
老人はタイプライター側面の細い穴に水差しで液体を注入し、左側についたハンドルを回す。ガチャンという音がして、手慣らしをするように勝手にタイプを刻み始めた。
「はい。準備できましたよ。タイプに向けて喋ってくださいな。届ける日付、時間、ヒト。それは後々設定出来ますんで」
「そうか、そうか……」
キャラハンは咳払いで居住まいを正すと、赤ら顔ながら真剣な表情でタイプの前に立った。これもなにかの思し召しかも知れない。今こうして、まだ意識を保っていられる間に。『あいつら』に伝えておきたいことがある。
「あ。アー……。おほん。この声を聴いている時、俺は――」