回想〜絞まる縄、逃れられぬ運命〜
勘の良い方はもうお気づきかもしれませんが、この回想は最後から最初に戻るような感じで構成されております。
なぜ? とか、そういうことは深く考えずにおたのしみください。
※ 6 ※
『大司教ノゾミの妹、カナエです。入室許可を願います』
「了解しました。暫しお待ちを」
大都市・フォボス中心部にあるピースメーカー本部。伝道師カナエ・バシュタールは教団の教本などを多数所蔵した書庫へと赴いていた。
「確認、取れました。カナエ様、どうぞお入りください」
『有難う』
ここに収められた書物は文字通り宝であり、幹部級であっても上位の実力者しか入室を許されない。万が一蔵書が盗まれ、無関係の人間が教義を説かれては事だ、というのが表向きの理由。
カナエは保管された厚い本らには目もくれず、奥から二番目、六段目と七段目の間のちょっとした隙間に手を入れる。棚と棚の間に作られた小さな隙。女性の細く長い手指でなければ届かないその場所に、カナエの人差し指がようやく触れた。
『良し』
隠さなければならないからと言って複雑な場所にしなければならないというルールはない。むしろうわさが噂を作り、そう言ったトレジャーハンターを呼び込みかねない。
それは、他の分厚い書籍たちとは違う平綴じの薄い本であった。『アルカディア・コード』と印字された以外は無地のクリーム色であり、一見するとそれがこのパンゲアで一・二を争う重要レリック・アイテムだとは誰も思わない。
「あらぁお姉さま。こぉんなところで出くわすなんてえ」
そのまま誰とも会わず、逃げ去ろうとしていたのに。書庫を出たその場で聞き知った声に呼び止められる。
『タマエ。こんなところで。どうしたのですか』
「それはこっちのセリフでしょお、カナエ姉さま。書庫で何してるんですかあ」
別に、大したことじゃない。幹部級が書庫を利用して何の不都合がある。カナエは涼しい顔でそう言い終え、『もういいか』と背を向ける。言葉にも表情にも一切淀みがない。タマエとしても追求しようがなく、諦めてその背を見送ったのだが。
「あぁ、姉様。言い忘れておりました。大胆にもアルカディア・コードを盗みに来た族がいたそうですよぉ。馬鹿ですよねぇ〜〜。ピースメーカーの目から逃れられる訳ないのに」
言葉少なではあったが、その先に続く展開は容易に想像できた。逃げられない。自分と彼が知恵を絞って、ようやく作ったチャンスだったのに、上はそれすらも奪い去ってゆくのか。
「それじゃ、また礼拝堂でぇ。ばいばーい」
『ええ、さようなら』
全部分かって言っているのなら、これほど嫌味なことはない。取るべきは組織の和か愛か。今更考えるまでもない。
(覚悟を決めなさいカナエ。もう、後には退けない)
最早一刻の猶予もない。カナエは頬を張って目を見開き、足早にその場を去って行った。
※ 5 ※
「アルカディア・コードを奪ってこい、だと?」
「そう。手にした者はパンゲア内で絶大な権限を得られる古のアイテム。その存在を知る者は誰だって欲しがる代物さ」
賞金稼ぎ・ブリットは、バーカウンターの隣に座すこの男の言葉をどう取るか決めあぐねていた。浅黒い肌に幾重もの皺が刻まれた威厳ある顔つき。古馴染みの情報屋のミッチェル・パーマー。情報屋にも色々いるが、彼の情報に嘘はない。あると言ったら本当に『有る』のだろう。
「にしても。そんなモン、フリーランスの俺に依頼するなよ。保管元はどうせピースメーカーだろ。個人でどうにかできるものじゃあねえ」
「君に話を持ち掛けた理由は三つある」パーマーはショットグラスに残る琥珀色の液体を飲み干すと、遊びのない真剣な表情で彼の顔を見た。
「ひとつ。これだけ危険な代物だ。複数に頼んで仲間割れが起きたらどうなる。いくら統率が取れていたって所詮はヒトだからね」
自分を信頼していると言いたいのか? 額面通りに受け取ればそうなるが、彼の言葉はどこか嘘くさい。沈黙を続けろと取ったのか、パーマーは次いで話を進める。
「ふたつ。君にはピースメーカーの中枢に『いいひと』が居るね。コードを奪うのに、これほどのアドバンテージは無いだろう」
やはり知っていたか。誰にも、娘にさえ告げていなかったが、彼ならば情報を握っていても不思議じゃない。
「オイオイ、その為にくっついたって言いたいのか? 馬鹿なこと言いなさんな。俺とあいつは正真正銘惹かれ合って……」
「そして、三つ目」熱っぽく話すブリットを、パーマーは冷淡に遮って。「こんな情報を、私がただで握っていると思うかい。ピースメーカー、君の同業者、エトセトラ・エトセトラ……。買いたい奴は幾らでもいる」
怒りはあるが、驚きはない。『カナ』の名前を引き合いに出した所で、何となくこうなるんじゃないかとは思っていた。
「何故そこまでしてコードが欲しい?」
恨みを買う仕事だとは思うが、ここで食っていくのに困るようなことは無いだろう。そもそも。仲介業者がそんな大それたものを求める事自体疑問だ。もっと大口のクライアントからの依頼だとでも?
「パンゲアの明るい未来のためさ」パーマーは悪びれるでも、茶化すでもなく、至極真面目な顔でそう返す。「君の想像を超えるような話だよ。お互い、まだまだ五体満足でいたいだろう?」
(何……なんだ……?)
居丈高な言い分を聞き、ブリットは怒りではなく困惑に顔をしかめた。カネや、自己顕示欲が目的ならば、素直にこの男を憎む事ができただろう。しかし彼には更に上位の存在が居て、『それ』は平和の為にそうしろという。滑稽な話だ。自分が関わってさえいなければ笑い飛ばしていただろう。
「そういう訳だ。頑張ってくれたまえよ。その分報酬は弾む。成功すれば、パンゲアで不自由しなくなるだろう」
制限付きの自由だがね、なんて言葉が続くのだろう。ブリットは不快感を隠そうともせず苦々しげな顔を浮かべた。お願いという体だが、彼と彼女にNOという選択肢を取る道は残されていない。やるしかない。やるしかないのだ。
「負けたよセンセイ。報酬と逃走ルートの確保、その辺で手を売ってやる」
「助かるよ。そちらは任せておきたまえ」
如何に困難な依頼であろうと、そこにどんな思惑が隠れていようと。成功させてしまえば問題はないのだ。そう思うと、少しだけ肩の荷が軽くなった。
※ 4 ※
「な、何者なんだ手前ェ」
「俺たちが何したってんだよ!」
とある街の、陽の当たらない裏通り。慌てふためくスーツ姿の男たちを、賞金稼ぎブリットは無感情に眺めていた。
「見られたからには容赦しねぇぞ」
「殺せ、殺せーっ」
目深に被ったテンガロンの鍔からその周囲を一瞥する。前方にガラの悪い男たちが八。得物は全員刀か。刀身が朱や青に輝いている。自らの魔力を刀に込め、殺傷力を増しているな。
そしてその裏で、戦いを諦め背を向けている者がふたり。たとえ倒したとしても、『ブツ』を持ち帰られてはおしまいだ。依頼料は全額先払い。取り逃がしたなんて言えば、追われる立場は簡単に逆転してしまう。
「詠唱破棄」
彼は静かにそう呟いて、紅い輝き漲る両の五指を自らの脚に突き刺した。細くしなやかな筋肉は倍程度まで肥大化し、敵の姿を睨みつつ上体を沈める。
「な!」
「あ?」
「ぉお?」
まるで、稲妻が地を駆けたかのようだった。瞬きの間にブリットは突っ込んで来た八人の背後を取り、逃げる二人を両手で掴んでいる。
「なんだ……こりゃあ」
「は、腹が……腹が!」
「こっちは胸だ。ちきしょう何しやがったッ」
スーツ姿の男たちは、それぞれ一様に腹や胸から紅い火花を迸らせ続けていた。まさかそれが末期の言葉だとは誰も思っていまい。与えられた輝きはそこを起点に全身に伝播し、彼らの体は花火めいて鮮やかに破裂する。
「ほげ!」
「はが!」
「お……おんどれ……ぬすけちが……っ!」
自らと適正の合った雷の魔力の発展系だ。電気ショックで身体能力を増大させ、体内の極めて狭い範囲に魔力を叩き込む。防ぎ切れなくば即殺。雷・ブレイク。文字通りの『必殺技』である。
「歯ごたえのねぇ奴らだ」
稲妻による身体能力は発動後もしばらく残る。ブリットは捕らえたひとりの頸を折って殺し、荷物を持った最後のひとりの背に容赦のない左回し蹴りを叩き込む。腹を境に男の身体がふたつに裂け、間もなく事切れた。
「ほい、任務完了っと」
彼らが運んでいたのは、抱えて持てる小さな木箱だった。中身に関しては聞かされていない。訊けば次に狙われるのは自分だ。厄介事はのらりくらりと躱すに限る。賞金稼ぎとして生きてきた彼の知恵だ。
「パパぁ、もう終わったあ?」
「おーうビッキー。歯ごたえの無い奴らだったぜ。食後の運動にもなりゃしねえ」
騒乱の集結を見計らい、柱の影に隠れていた愛娘が飛び出して来た。子どもながらにしなやかに鍛え上げられた筋肉。魔力こそ微弱だが、徒手空拳だけで十分他の連中と渡り合えるウデはある。親馬鹿にも似たひいき目かも知れないが。
「で。これが今回の獲物? さって、御開帳ー」
「あっ、待て馬鹿。それは……」
前言撤回。彼女はまだ子ども。戦利品と見れば開けずにはいられない。そしてそれは猛烈に困る。依頼主からの要望は、中身に知らん存ぜぬを通すことだからだ。
「あれえ。何これ。パパ、なんにも入ってないよ」
「だから開けるなって……」
待てよ。空っぽ? 取り返せと命じた箱に、何も入っていないとはどういうことだ。
「ビッキー、封をしろ。『俺もお前も何も見ていない』。わかったな」
「はーい」
こいつは臭うぞ。娘が産まれ、長らく近付いて来なかったタイプの『におい』だ。もしかしたら自分は、なにか妙なことに巻き込まれているんじゃあないか。心当たりはあるか? 恨みを無限に買う商売だ。多すぎて判断できない。
(これはひょっとすると、ひょっとするか……?)
昨日前の懸念。逢瀬の中でカナエが発した言葉が頭を過ぎる。逃げ支度をしなくては。身を翻し、行くべき場所を思案し始めたその瞬間、『それ』はすぐそこに立っていた。
『やあ、腕利きの賞金稼ぎ君。カネに困ってそうな顔をしているね。いい仕事を紹介したいんだが、どうかな』




