物理法則的にオカシイんですけど!?
「ちょ、ちょちょちょ……なんだよこれ」
「やばい……何かやばい!」
ボクたちが同じ結論に思い至ったその矢先、脈打つような振動で前方のあばら家がバタバタと崩壊していくのが見えた。ここに留まるのは危険だ。どちらからでもなく駆け出し、正門に向かって全力疾走。
「くそっ、お前どこ掴んでやがる!」
「ぼーっとしてる場合じゃないのよパパ! わかんないの!? この地鳴り、普通じゃない!」
呆けたおじさんを米俵めいて担いでなお、ボクとビッキーとの間にはヒト三人分くらいの距離がある。常日頃鍛えておけというわけね。こんなに差があると走り込みくらいはしておかなくちゃって思う。
「待って、ナニコレ!? こんなに勾配きつかったっけ?」
「馬鹿、上がってんのよ、現在進行系でぇえええ」
あと少しで門の下、ってところで襲いかかる心臓破りの坂、坂、坂。というか坂って何? どうしてこんなに高くなんの!?
「ぎえええ、落ちる、堕ちる、墜ちるぅうう!!」
床の角度が七十五まで上がったあたりでボクの足は地面を離れ、ふわりと浮いた。そうしたらどうなる? 答えはシンプル。重力に後ろ髪を引かれ、真っ逆さまへ落ち行くのみ。
「嘘ぉ、無理無理無理! 死ぬ! 死ぬ! 死んでしまうぅう」
走り続けて気にも留めなかったが、既に『町』は地面から数百メートル近く"上昇"していた。ここまで来ると高さそのものが凶器になり得る。何処に体をぶつけようと、弾けた生卵になるのは避けられない。
「ちっ。この役立たずがッ」
けれど、ビッキーは汗一つかかず、おじさんを米俵に担いで落ちていた。ボクの方をちらと見、悪態をついて、こちらにぐっと左手を伸ばす。
「死にたくなきゃ手を握れ、ヒョロガリ!」
彼女は既におじさんを背におぶさり、右手を空けていた。この状況で何が出来る? わからん、分からないが……。今はこの手しかない。
「一つ貸しだからね、覚えておきなさい!」
ビッキーはボクの胸ぐらを左で掴み、右腕に力を込める。あの時の必殺技か? けど、今それをして何の意味がある?
「必・殺! 超絶怒涛極太筋肉!」
自分の半身くらい肥大化した筋肉で、何もない空を引っ叩く。落下の衝撃と拳圧の衝撃が打ち消し合い、弧を描いて斜め後ろに飛んでゆく。
「まだまだぁ! このぉ、このっ、こぉのおおおッ!!!!」
そこから続いてイチ、ニ、サン。横に、上に、最後に真下。衝撃を全部相殺し、ボクらは何事もなく周囲の草原に落下する。
「じょ、冗談でしょ……」
着地の際、多少跳ね飛ばされ宙を舞ったが、それでもかすり傷の範囲内。鍛え抜かれた筋肉は、高高度からの着地さえ容易に行えるのか。末恐ろしい。
「いた、たた……た……」
庇って打った左手をさすりながら体を起こし、土煙舞う上方を見やる。大きな木の板を振り散らしながら、ボクの目に恐るべき威容が首をもたげる様が映った。
「蛇……あれ、蛇?」
以前戦った竜とよく似た、鱗に覆われた緑の巨躯。紅い輪郭を持った不気味なギョロ目。頭の動きに追随してしなる尻尾。あのマザー・エルドランが赤子に見えるレベルのサイズ比。
あんなものが、あり得ていいのか? 全長は目算でだいたい1キロ。町一つをその背中に生やした大蛇が、ボクの目の前に立っている。
「いや、待てよ。『立つ』?」
昔、現実世界で本物の蛇に出くわしたことがある。手も足もないのに身体をぐねらせ前に進む恐るべき魔物。サイズ感はだいぶ違うが、奴もその部類で間違いない。
ならば、立つとはどういうことだ。言ってるボクもなんだかわからない。ただひとつハッキリしているのは、この目に見えているものが総てだということ。
(足……あんだけど……あれ……)
真ん中を過ぎて尻尾側。両側面から生えてるそれは、剥き出しになった人間の脚だ。健康的な肌色で、すね毛が無秩序に伸びていて、五指しっかりとついた足。手にあたる部分はない。どうやってバランスをとって立っているのかもわからない。なんだ。なんなんだこれは。パンゲアという夢の中で、悪い夢にでも浮かされているのか!?
「まずいよ……まずいぞ!」
あんなどでかい化け物、ボクの手に負える代物じゃない。殆ど反射的にビッキーの方へと振り向くが、彼女はうずくまり、利きの右腕を抑えて震えていた。
「あんた……何やってるんだよッ」
「見てわかるでしょ? 筋肉痛。あれだけの大技、リスク無しに放てると思うわけ?」
そりゃあごもっとも。助かっただけ儲け物だけど、だからって今?! 現在進行系でピンチなんですけど!?
「おじさんどうしよう。あんたの娘ダウンしちゃったよ……」
舞い散る土埃の中、おじさんの姿を探し出してそう尋ねる。それが無意味だと知るまで数秒とかからなかった。土気色の煙の中、おじさんは急に外套を脱ぎ捨て、四つん這いになったからだ。
「にゃ、ああああああん!!」
「は、はい……!?」
四十過ぎのおっさんの口から出た不気味な猫撫で声、いや猫そのものか。ナンデ? と思った次の瞬間理解する。これまで買い込んでいた酒は総てビッキーに捨てられていた。ここまでかれこれ六時間を飲まず食わずで移動して、おじさんが『まとも』でいられるはずが無い。
「冗談じゃないよ勘弁しろや……」
眼前には全長一キロの足の生えた蛇。仲間は片や利き腕を潰して動けず、片や『禁断症状』でアタマをやって戦力外。もしかしてボク? ボクがなんとかしろってこと!?




