エンケラドスの悪魔
「討伐任務だ。ここから南に二十キロ、エンケラドスの街に巣食う魔物を始末してほしい」
浅黒い肌に黒と白が反転したような瞳。このパンゲア世界じゃ物珍しいスーツ姿の紳士。『パーマー』とかいうその男は、ボクら――、というかビッキーか。に仕事の依頼を突きつける。
「あのさ。見てわかんない?」当然ながらビッキーは眉間に皺を寄せ、遺憾の意を示し。「ようやく。ようやくだよ? 捜していたパパと出逢えたっていうのに! 今! 今このタイミングで仕事のはなしする?」
「申し訳ないとは思っているさ」多少声はトーンダウンしてるけど、その目に申し訳無さなるものは含まれていない。「けれども。キミに仕事を斡旋したのは誰だったかな。お父さんを探す中、路銀に困ったキミを養ったのは、決して慈善じゃないんだよ」
「むむ……む」
突っぱねたっていいはずなのに、彼女は苦虫を噛み潰したような顔で押し黙る。まだ出会って数分だけど、早くもこのふたりのパワーバランスが見えてきた。
「あ。お父さんでしたか。どうもどうも。娘さんにはいつも助けられております」
「そりゃどうも。正直実感が湧かないんだが」
こっちはこっちで挨拶に応じて握手なんか交わしてるし……。ぐたぐた言っておいて、あんたやっぱり人の親じゃないか。
「と言うわけで。こちら今回の前金、5000クレジットです。どうぞ有効にお使いください」
「オウ、丁度酒切らしてたんだ。ありがたく頂戴するぜ」
いや、待て待て。あんた何勝手にカネ貰ってんの!? ボクも彼女も請けるなんて一言も言ってないよね!?
「契約は成立した」あっ、この野郎。分かってておじさんに話を通したな!? 「急がなくても構わないが、仕事はキッチリ果たしておくれよ。それじゃ」
「ちょっと!? 待ちなさいよ! これでもう履行ってコト!?」
「そりゃそうだ。お金はもう渡したからね」
後はよろしく、なんて言葉とともに踵を返し、彼の身体は泡か風かのように消え失せる。仕事が済めば即座にログアウトとは。無駄がないことこの上ない。
「あんちきしょう、また逃げられたっ」
歯ぎしりのうえ、必要以上に筋肉を盛り上がらせ、怒りをあらわにするこの姿。おぉ怖っ。絶対敵に回したくないし、こんなのを相手取って涼しい顔してるあの人の気が知れない。
「しょうがない。とっとと片付けて絞め上げるわよ。ほら、パパ早く」
「ちょっ、いきなり何だよ! 剣の練習とやらは」
「全部あと! 話はそれから!」
ムカつき顔で困惑するおじさんを引っ張って、こっちの都合なんてお構い無し。今までま何度も観てきた光景だ。確かに、この二人は家族なんだなあと実感させられる。
「何してんのガキンチョ。あんたひとり置いてったって、あたしは何ぁんにも困らないんだからねっ」
「わ、分かってるよ。ついて行きますって」
そしてボクに拒否権はない。待ち構えるのがどんなに危険な場所だろうと、ボクはボクの目的のため、彼女たちについて行かなければならない。
(腹立つな……めちゃくちゃムカつく)
あんたがあの色黒をぎゃふんと言わせたいというのなら。ボクだって、あんたの鼻をばぁっと明かしてやりたい。負けるもんか。お前みたいな暴力女に。
※ ※ ※
「よーやく、見えて来たわね」
「やっと、やっと……」
荒涼とした土気色のフィールドを超え、背の短い草が足裏をくすぐる草原地帯。広大なパンゲアでもっとも自然らしい自然を残した地区。その玄関口が遠くに見ゆるあのエンケラドス。
「ちきしょう。酒が足りん。酒はどこだ」
「パパってばもうお酒は止めてって言ったでしょ。ただでさえ剣の振り方さえ忘れてるんだから」
発奮して前の街を出てから、パンゲアの時間で六時間。ボクもおじさんも、歩き慣れない強行軍でくったくた。正直今ここで休みたい。
しかも。おじさんは『呑み続けなければならない』という制約を己に課している。あれから"無補給"で六時間。まだ『まとも』なのは奇跡としか言いようがない。
「冗談じゃねぇ。俺は呑むぞ。確かまだここに」
「あっこら、呑んじゃだめ。はい没収」
外套から酒を取り出しても、稲妻が如き素早さには敵わない。壜に口をつけるより早く、それは払い落とされ、地平線の彼方までぶん投げられて終わりだ。
「馬鹿野郎、何してくれんだ! 俺の酒を返せ、『裂けちまう』」
「まじの中毒者みたいな言動やめてって。パパってばほんとにどうにかなっちゃうわよ?」
伝えるべきだろうか。いや、知らないのなら身を持ってわからせるのが最適解だろう。この調子で酒を捨てられ続けられてはたまらない。それに、彼女ならなんとか出来るかも知れないし。少なくともボクが損をすることはない。
「ここが……エンケラドス?」
「誰も、いないわね」
そこから歩いて更に十分。入り口らしき高い門をくぐった先にあったのは、家と呼んでいいのかさえアヤしいあばら家の群れだ。木組みの屋根にはどれも大穴が開いていて、扉はキイキイという音を立てて開け放されており、中を覗いて見たが誰もいない。そんな家がアスファルト敷きのごつごつとした地表の上に等間隔に並んでいる。
「まさか……もう、滅んだ?」
「あり得ないわ」ビッキーは据えた目であたりを見回し。「パーマーは単なる慈善で依頼を回したりはしない。守る価値の無い土地にヒトを寄越すだなんて」
カネの匂いがしなさそうなのには同意だ。そもそもボクらはどんなヤツを相手にするのかすら聞いてない。あいつがおじさんに渡した前金は5000。そう、5000。片田舎の飲食店が何年もかかって溜め込んだ量とそう変わらない。
(嫌な予感がする)ターゲットの詳細を告げず、報酬は豪華。そこへ来て指定された場所には何もないときた。
「あのさ。ヘンなこと言っていい?」
「何よ」
冷静になると今まで見えなかったものまで視えてくる。今の今まで、『それ』はただのあばら家だと思っていた。けれど。
「あれさ。ほんとに人が住んでたと思う?」
「どういう意味?」
一軒一軒中を覗いて見た違和感。家っぽいのは外観だけで、戸から先には家具やプライベートスペースなんてものは一切なく、ささくれ立った地表の棘が剥き出しになっている。デザイナーズインテリア? なわきゃない。少なくとも、人が居を構える場所であるはずが無い。
「これってさ。もしかして」
「もしかして、何よ……?」
ガタッ、と何がが揺れる・落ちる音がしたのはその時だ。何があった? 傍目にはなにもない。疑心暗鬼による幻聴? なわきゃない。次いで右斜め前からも『ガタン』と何かが落ちる音がした。
これは気のせいでも幻聴でもない。音がする度地面のささくれが増えたり減ったりを繰り返し、地表が微妙に脈打っている。
「勘弁してよ、サイアクだ」
「あのクソ色黒、ジョーダンにしたって笑えない!」
指定された場所にあったんだ。当然ここが件の町だと思ってた。でも実際はそうじゃない。5000も前金で渡す訳だ。こんなの想像できるかよ。
「「この町、そのものが……『ターゲット』って、コト!?」」




