俺は誰だ?誰でもない
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自分の手元さえほとんど見えない闇の中。整列された机と椅子がびっしりと並べられ、その真ん中に俺がいる。
手に持っているのは松明だ。これがある限り、『やつら』は俺に逆らえない。
やつらは獰猛だ。息を殺して俺の持つ明かりを狙っている。渡ったが最後、俺は俺のままじゃいられなくなる。記憶が無くとも何故かそれだけは解っていた。
もしも、俺が俺じゃなくなったなら? それは俺自身にもわからない。実際に『なってみない』ことには――。
※ ※ ※
「ぶ……無礼なるぞ! 何者だ!?」
深呼吸で気持ちを整え、今ここで起こっている事象を見やる。ここは辺境伯のおっさんが屋敷に構えた立派な浴室だ。ぎっしりと敷かれたタイルの下には、奴が魔法で固めた美しい女たちが微かに苦悶の声を漏らす異様な空間。
その主、脂肪の『鎧』を剥がした髭の小男は、尻もちをついてその場から動けないでいる。その目線の先にあるのは――、さっき荒野に埋められてそれっきりだったあのおじさん。の、はずなのだけど。
「イッヒッヒィ! いいねぇ! いいですねぇ! 獲物を狩る側だったあなたが、今こうして狩られる側に回っている理不尽! 最ッ高のご馳走ですわぁ〜」
本当に、あれはおじさんなのだろうか。姿形は見知ったそれだけど、少なくともあんな卑下た笑みを浮かべるヒトじゃなかったはずだ。
「クエイカ・クエイク・クエラブル! 消え去れェい!」
おっさんが唱えたのは地の呪文の上位種か。床のタイルのその下から鋭く尖った岩が生え、四方からおじさんを狙う。喰らえば死亡01変換待ったなしだというのに、おじさんに動揺なんてものはなく。平と振った掌を内に返し。
「ほぉお〜う、あたッ! あたッ! あチョぉ!」
いや、待って? 裏拳? しなる弓めいて放たれたおじさんの拳が、迫る岩を即座に砕き切った。あんたいつの間にそんな技を? というか、使えるんなら捕まってるんじゃないよ。
「な、にッ!? ぐふゥ」
「ほァあたたたた、あチョぅ!」
目と鼻の先まで距離を詰め、あっという間の四連打。右腰、左脇腹、右肩、顔面。防ぐ間もない辺境伯は、たたらを踏んで仰向けに倒れ込む。
(強い……、強いんだけど)
あのヒト、あんなに目が据わってたっけ? いつも酔っ払って赤ら顔、視界が定まらないってぼやいてたくせに。
「やめろ……やめて、くれぇ……。我が、我が悪かった……。現実の灰色の日々を紛らわせたくて、つい、調子に乗ってしまっただけなのだ……」
こうなっては向こうにもう打てる手はないらしく。痛みに顔をしかめ、それでもなおおじさんに深々と頭を下げている。
「うお、あっ……と!」
あれがブラフじゃないことは、ボクを固めるセメントが、元通りのお湯に戻ったことが証明してくれた。バスタブの底から銃を拾い、浴槽からさっさと上がる。
「なァに寝ぼけたこと言ってんだ。今更自分は悪くないですアピールなんて見苦しいぞ」
そんな言い訳で女達を幽閉うんぬんが晴れるもんか。ここはひとつ、キツぅいオシオキを……。
「ひゃ、ヒャア……もう、我慢できねえ、ぉ、お、オオォォォッ」
以心伝心とはよく言ったもので。ボクの怒りが伝染したのか、頭を垂れる辺境伯に、四つん這いになったおじさんが首筋をがぶりと一発――。
「いや、ちょっと待って? 待って??」
がぶりって何?! おじさんアンタ今何した? 食うの? あんた肉喰うの??
「違う、問題はそこじゃない……」どこの世界に共食いする人間がいるよ!? いや、パンゲアはある種何でもありだけど、よりにも寄って極めるのそこ?!
この違和感は嘘じゃない。おじさんはやっぱり変だ。ヘン、ってことばで片付けてイイもんじゃない。埋められてからここまで来るまでの間、一体何があったんだよ?
「ウ……ウゥ……!」
あ、なんかこっち見た。口ひげ顎ひげに01の鮮血が滴ってるぅ……。まずいよこれ、こっち視てるあの眼が人間のそれじゃないもん。野犬……そうだ、野犬。腹を空かしてゴミ箱漁ってるあの感じ――。
「うが、あああああ!!!!」
「ちょっ、待っ、待っ!?」
けものめいた目をした四つん這いのおじさんが、風を切っての縦移動。狙いはもちろん新鮮な肉。どこにそんなものがある? ンなもんボクに決まってる。
目で視て初撃を躱せたのは奇跡だ。今の今まで足を置いていたバスタブが、この突撃でハチャメチャに砕かれてしまった。こんなものを生身で喰らったりなんかしたら……。
「ぐるぅうううああああ!!」
「ひ、ひぃいっ!!」
なんなのさこの状況。ボク、どうしたらいいわけ!?




