この世は入れ子式のジゴク
新章開幕。だいぶ様子のおかしいイカれたエピソードをおたのしみください。
※ ※ ※
「よぉしよし、それじゃあ……明かりを消すぞ? 良かろうな?」
「は、はい。喜んで」
この世は入れ子式の地獄だ。押し込められた宿屋から逃げ出して、その先にあるのがヒトをヒトとも思わない主の住まう屋敷だなんて。
「あは。あはは。いいなあ〜。最高だァ。キミみたいな可愛いコが、私の屋敷に来てくれるなんてなあ」
でっぷりと脂肪の載った腹に、丹念に磨かれた禿頭。紫色の瞳は炯々と輝いていて、口髭はその容姿にそぐわず手入れが行き届いている。
パンゲアは広大なネットの海。幾らでも容姿を変えられるバーチャルの楽園だ。なのにわざわざこんな姿を保った――、ないしそんな姿を選ぶ理由がわからない。
嗚呼、ボクを置いて去った母様。顔も名前も知らない父様。あなたたちの不肖の息子は、これから『おんなのこ』として成金のオッサンに食い散らかされます。
「あは、あはあ。宜しくお願いしやーす……」
お願い助けて! ボクこんな末路嫌だ! やめて、ほんとやめて? ボク男の子なんだよ?! 狙うなら普通に女の子狙ってよ、ねぇ!?
※ ※ ※
「なぁおい、次の街まであとどのくらいだ」
「ボクに聞かれたってわかるわけ無いでしょ」
時計の針を三時間ほど前に戻そう。ハシバミの街を出てからかれこれ半日。行けども行けども、広がるのは空っ風吹く荒野。固い赤土、揺らめく太陽。歩く以外に抜け出す手段は無く、足元に転がる真新しい骸骨が、否が応にも「それっぽい」雰囲気を漂わせている。
「冗談じゃねえ。さっさと着きやがれってんだ。足が棒になっちまう」
「それには同感。けど、無理なもんは無理だって」
パンゲア内の街と街との間には、時折こうした遠大なマップが挟まるものだと母様が昔言っていた。今こうして踏みしめる土も、空に浮かぶ雲や太陽も。おじさんが呑み続ける酒壜も。パンゲアの中にあるすべての物質は、ここに立ち入ったユーザーが持ちこんだイメージの具現化だ。
想像とは広大で曖昧だ。境界の行間を他のイメージで補完していくと、自然とこうなってしまうらしい。理に適ってはいるが、実際に歩かされる側としてはしんどさの上乗せでしかない。
「なあ、着かねぇんならもう戻ろうぜ。そろそろ酒が切れそうだ。これ以上の無理は命にかかわる」
「馬鹿言わないでよ。もう少し歩いたら拓けるかもしれないじゃん」
おじさんの足元には、飲み干して捨てて行った酒壜が等間隔に落ちている。これを辿ればハシバミの町まで迷うことなく戻れるだろう。
「っていうか切れそうって何。あんた相当買い込んだんでしょ? 無くなるの? もう!?」
「たりめーだ。何もなく半日歩かされて見ろ。娯楽なんて酒呑むくらいしか無ェだろうが」
その主張はごもっとも。代わり映えのしない風景にボクだってイラついてたとこだ。けどさ。
「こっちの食費切り詰めて買い込んだっつーのに、なんでそう浪費するかなあ?! あんたの酒代でどれだけパンが買えたと思う? 」
電脳世界でモノを食わなくたって死なないことくらい百も承知だ。けど、脳を働かせて動き続けている以上、無駄と解っていても食べないとやってられないでしょ? ねぇ!
「お前には分からんのだ。飲み続けなきゃ引き裂かれちまうこの苦しみは」
「知るか、解りたくもないね!」
売り言葉に買い言葉。ボクらの間に走った溝は埋まる気配がない。というか腹減らないの? 生きとし生ける者は誰も彼も、なにかしらのメシ喰って生きてるもんじゃないの?
「オウ、メシが欲しいってんなら誂えのがあるぜ」最後のと思しき壜を傾け、嗄れ声でおじさんが言う。「そこだ。止まれ、音を立てるな」
言われて足を止め、彼の指差す方法に目を向ける。岩陰でごそごそと顔を出すそれは……。三つ首の黒い、犬?
「もしかして、あれを採って、喰えと?」
パンゲアでヒトが死ぬとその怨嗟が肉体を変質させ、怪物へと姿を変える。あちらこちらで転がっていた骸骨が、ケルベロスへと転生したのか。
「他に選択肢があるか?」
「そりゃあ、そう……だけど」
距離は目算で五十。銃があれば余裕で撃ち抜ける距離だよ。距離さ。けど、曲がりなりにも実質人肉だよ? それ食うの? 喰っちゃうの?
――BANG!
「うっし、ヘッドショット一発。喜べぼうず、今日の夕食は確保だ」
とか何とか言ってたら勝手にズドンで確保してるし……。葛藤とか申し訳なさとか無いの? 聞いても無駄だとは思うけど。
「ほぉら捌けぼうず。撃ったのは俺だ。調理はお前の担当だぜ」
了承した覚えないんだけど。食べたくもないのだけど。そもそもジビエなんてやったことないし。
(けど。腹が減ったと言った手前)
断るのも気が引ける。向こうはなんかしてやったりって顔してるし。あぁ、わかった。解りました。やりゃいいんでしょ。ナイフを持たされ、促されるまま、獲物の元へとそろりそろり。
大きさは――、ボクより少し小さなくらい。横たわっている分にはカワイイけれど、これが牙を剥いて襲って来るのを想像すると……。考えるのもおぞましい。
「うわー、なんかびくついてる」
「そりゃそうだ。仕留めたてだからな」
んなことを聞いてんじゃないよこっちは。えぇ、これ捌くの? 生きてますけど? まあその、ボクらは生きとし生けるもの喰らって生きてる訳だけど。
「早くしろォ。酒壜が枯れちまうだろうが」
「そんなこと言われたって……」
まずどこに刃入れるべき? お腹かなあ。お腹だよねぇ柔らかいもん。けどなんか血がどばぁーっと出て来そうで嫌だな。返り血で目潰しされそう。っつーか勢いで流しそうだったけど、こいつ魔物だよね? 血液に毒混ざってたりとかしない? 防護マスクとかエプロンとか先に持っておいた方が良い??
「ん……?」
びびり全開で眺めていたその最中、ふと獲物の首元に目が留まる。そういうデザインとして流そうと思ってたけど、これって『首輪』か? ご丁寧に三つ全部に同じ金色、同じ彫像。
なんだろう。なんか猛烈にヤバい予感がして来た。これが単なる魔物じゃなく、どこかの誰かの愛玩動物だとしたら!
「ご、おぅふ」
ボクの後方で待機していたおじさんが、めちゃくちゃでっかい岩の塊に呑まれてぶっ飛んだ。いやいや、岩ってナニ。ケルベロスでしょ? ンなもん倒してなんで岩??
「無礼なり。吾輩の仔をよくも、よくも……!」
岩が、動いた? 違う、アレは『岩』じゃない。『甲羅』だ。表面のススを一揺れで払い、地中から紫色の長い首をもたげ起ち上がる。
「我が仔を、『チャッピー』を我が目の前で惨たらしく殺したその報い、身を持って知れィ」
甲羅のてっぺんが縦に折れ、中からまるまる太った巨漢が迫り出して来た。亀の化け物じゃない。これ自体がそのまま、乗り物ってコト??




