第六話 さよなら、アクヤちゃん
フェブリアルの街に到着すると衛兵さん達が大慌てで私たちを取り囲みました。
「クレイ伯爵家の竜車とお見受けする!
ご無礼は承知! 即刻降りられよ!」
凛々しい女の人の声です。
私たちは両手を上げながら車から降り、横一列に並びました。
「これで全員だな!」
衛兵さんの隊長っぽい女の人は確認を終えると、部下の人が持ってきた透明な液体を御者さんの頭の上からかぶせました。
「うおっ! 何を————」
「この馬鹿者があっ!!
男人禁制のこのフェブリアルに何をノコノコやってきている!!
ご令嬢が無事でいるのは奇跡だぞ!!」
金木犀のような甘い香りが漂います。
さっき被せた水は香水のようです。
アクヤちゃんが隊長さんに話しかけます。
「禁を破ったこと、お詫び申し上げますわ。
でも、それと私達がモンスターに襲われたこととどう言う関係が」
「フェブリアル自治区は男人禁制。
その理由はこのあたりのモンスターはオスの臭いを嗅ぎつけると凶暴化して襲いかかってくるからです」
「なにそれ……」
アクヤちゃんが言葉を失いつつもびしょ濡れの御者さんを見つめます。
甘い香りが漂って少し気になっていた加齢臭が消え去りました。
オジサンから娘っぽい香りがすると脳が混乱します。
「信じられないかもしれませんが事実です。
現に女しかいない街と聞きつけてすけべ心を出した男がたまに近づいて来るらしいですが、ことごとく土に還ってたどり着ける者はほとんどいません。
貴方、ムチャクチャ運が良いですよ」
御者さんはブルリと身体を震わせた後、私に向かって頭を下げました。
「ありがとうございます! キサラ様!
危うく私だけでなくか、お嬢様の身を危険を晒すような大失態!!
無事来られましたのは貴方様のおかげでございまする!!」
「お気になさらず。
元はと言えば私をここに届けるためにアクヤちゃんがはからってくれたことですし」
私が御者さんにそう言ったのを隊長さんは聞き逃しませんでした。
「ほう……とすると、君は新入りか。
命令書は持ってきているな」
「はい、どうぞ」
鞄の中から命令書を取り出して隊長さんに渡します。
スラスラとその文面に目を通すと、
「ハッハッハッハ!!
十年以上、衛兵として新しい住民を迎えてきたが貴族諸法度の三十九条違反は初めてだな!
これは期待できる!」
どうやら私の罪状はよっぽど珍しいようです。
「歓迎するよ、ミス・アニエス。
いや、この街で元貴族と知られるのはあまり得策ではないかもな」
「何故ですか?」
「単純に貴族に恨みを持っているものが多いからだよ。
君も知っての通り、ここに送られてくる人間は何かしらの理由がある。
法を犯した者。
身を売った者。
身寄りを亡くした孤児。
心に傷を抱く者。
それらの原因にお貴族様が関わっていることは少なくない」
「我が家は友達に引かれるくらいビンボーで善良なだけが売りの没落貴族なんですけど……」
「ならば家名が役に立つこともないだろう。
この町では名乗らないことだ。
女しかいないからって、治安がいいとは限らないぜ」
隊長さんが私を脅すように声をかけます。
ちょっとだけ怖くて震え上がってしまいました。
「さて、そちらの伯爵家の皆様は早々にお引き取り願おう。
臭い消しの香水の効き目は半日といったところ。
それが切れるまでに自慢の竜車で危険地帯から離れてくださいな」
御者さんと侍女さんは慌てて旅支度を始めました。
アクヤちゃんは当然、それを手伝いはしません。
私に真っ直ぐ近づいてきて手を取ってくれました。
その瞳は涙で潤んでいます。
「やっぱりフェブリアルに用があるってのはウソだったんだね」
「おーっほっほっほっほ。
用ならありましてよ。
追放されてだれも知らない街に放り出されるあなたの泣き顔を間近で見てやろうと思っていましたの」
要約すると「誰も知らない街で一人ぼっちで泣いていたらかわいそうだから付き添ってあげた」というところなのでしょうね。
「ほほほ……でも、あなたは涙ひとつ流さないのね。
力も心も、こんなに強い子、他に知らないわ……」
今にも泣き出しそうなアクヤちゃん。
なかないで————と、言葉にするよりも早く私は彼女に抱きつきました。
すると彼女もまた私の首に手を回してきました。
「ありがとうね。本当のところ、アクヤちゃんがいなかったら危なかったかもしれない。
私、方向音痴だし、一人だったら山で遭難したり、海で漂流したりしてたかもしれない」
「うふふふ……ここまでほぼ一本道なのにどんくさい子。
やっぱり私がいないとダメですわね」
このまま勢いで私と一緒に暮らすとか言い出しそうです。
悪くない話ですが、さすがに伯爵令嬢様と駆け落ちする勇気はありません。
それに……
「大丈夫。私はちゃんとやっていくから。
アクヤちゃんはクレイディアに戻って」
「……キサラ」
「街でアニエス家を見守ってくれないかな?
お母様、私がいなくなって気を落としているかもしれないから」
アクヤちゃんとお母様。
ふたりがいるあの街に帰ろうって、その日まで頑張ろうって思えます。
勘の良いアクヤちゃんはそんな私の気持ちを察してくれたようで、
「もちろん。下位の貴族家の取りまとめは我がクレイ伯爵家の務めですもの。
我が家を繁栄させる大切な養分ですもの。
搾り取れるだけ搾り取れるようじーっくり観察して過ごしますわ」
と、耳元で声を震わせながら答えてくれました。