脱人間整形
『夏だというのに、まだ人間やってるの?』
そんなキャッチコピーが書かれたポスターが壁に貼られた整形外科医院の待合室。壁は淡いベージュ色に塗装されていて、天井に設置されたスピーカーからは品のいいBGMが聞こえてくる。待合室全体にはほのかにミント系の芳香剤の香りが漂い、受付では容姿の整った女性二人がほがらかな笑顔で雑談している。新堂明穂は受付で渡された記入用紙を提出し終え、ラックに積まれた美容雑誌をパラパラとめくっていた。ほどなくして、奥の廊下から清潔なピンクのナース服を着た看護師が現れる。
「新堂さーん。新堂明穂さーん」
明穂が返事をしながら立ち上がり、そのまま看護師に連れられて廊下突き当りの診察室へと案内される。明穂が扉を開け中に入ると、白衣を着た医者が、すらりと長い脚を組んだ状態で、明穂が提出した記入用紙に目を通していた。医者は明穂に気が付くと、長い黒髪を耳にかけ、透き通った声でお座りくださいと明穂に促す。
「初めまして。今回新堂さんを担当させていただく鳴海と言います」
鳴海と名乗った医者がにこりと明穂に微笑んだ。
「よろしくお願いします。こんなこと言うのなんですけど……先生、すごくお若くてお綺麗ですね。なんでこう美容系を扱ってる整形外科のお医者さんって美人さんが多いのかなっていつも不思議なんですよ」
「うふふ、ありがとうございます。これでも結構歳はいってるんですよ? まあ、それは置いておいて、本日はどのようなご相談で?」
医者に促され、明穂が相談内容について説明を始める。
「えっとですね。実は私、幼い頃から目が疲れやすい体質なんです。それなのに、今の仕事に就いてからというもの、業務の関係で一日中パソコンの画面と睨めっこしなくちゃいけなくて、眼精疲労がずーっと抜けないんです。お世話になってる眼科の先生からは定期的に目を休ませなくちゃいけないって注意されているんですけど、やっぱり仕事の関係でそれも難しくて……。だから、ご相談なんですが」
それから明穂は自分の額を指差しながら尋ねる。
「この額部分にもう一個目を作って欲しいんです。そしたらほら、二つずつ順繰りに使えば目を休めさせられるじゃないですか」
医者がカルテに明穂の言葉を書き記していく。
「なるほど、相談内容は理解できました。それじゃあ、ちょっと確認してみますね」
医者が身体を乗り出し、彼女の額部分をコツコツと叩き、それから物差しで彼女の額の長さを測る。測定結果をカルテに記入していき、そうですねぇと呟きながら再び自分の椅子へと腰掛ける。
「どうですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。額の骨が特別硬いというわけでもありませんし、額の長さも目一個分くらいのスペースはありますから。額を切開して生体カメラを埋め込んだ後で、ちょちょっと視神経をつなげれてあげればすぐに追加できますよ。それじゃあ、額に目を一個追加の整形外科手術のご予約でよろしいですか?」
はい、と明穂が答えると、医者は引き出しから契約書や同意書をまとめた書類を取り出し、彼女に手渡す。
「あ、それから額に追加する目についてですが、オプションは付けます?」
「オプション? よくわからないんですが、何があるんですか?」
「色々ありますよ。例えば、オプションなしの標準コースでは、額に追加する目は新堂さんの両眼と全く同じ形のものを作るんですが、追加オプションで二重にしたり目尻を微調整したりすることもできますよ。あと、三つ目の目だけ瞳の色を変えるっていうのも最近人気ですね」
「うーん、確かに一重なのがコンプレックスなんですよね……。二重にはしたいかも。でも、お高いんでしょう?」
「お安くはないですけど、目を一個つける値段に比べたらそれほどですよ。一生ものですし、私としてはおすすめですね」
明穂はうーんと考え込んだ後で、じゃあ、お願いしますと医者に伝える。医者が申込用紙のオプション欄に『二重』と記入する。
「あとですね、今月中に施術を申し込まれたお客様はポイントが二倍になるっていう脱人間キャンペーンっていうのをちょうどやってるんです。ポイントを使ってさらにうちの医院の施術を受けることができるんですが、明穂さんの場合、今回でかなりポイントが貯まるんですよね。どうでしょう? 折角ですし、貯まったポイントで他の整形もやってみません?」
明穂がどんな手術があるんですかと医者に尋ねる。医者は医院のパンフレットを取り出して彼女に手渡し、おすすめのコースを一つずつ説明していく。
「本当に簡単なやつだと、身体中の要らない骨や筋肉を切除して、体重を軽くしたり、細身にしたりするというプチ整形が人気です。人体には進化のなごりで残っているだけの余分な骨や筋肉やらがたくさんあってですね、それらを全部取り除くだけで簡単に体重が落とせて、しかもスリムになれるっていうので女性に大人気なんです。モデルさんなんかも、みなさんこの施術をされてまして、さらに気合の入った方なんて、いらない臓器を切除したり、お酒はあまり飲まないからという理由で肝臓を半分切り取る方もいらっしゃいます」
「下の臓器追加コースってなんですか?」
「これはその名前の通り、臓器を一つ追加するコースです。アスリートなんかだと心肺機能を高めるために肺をもう二、三個追加したりする方もいらっしゃいますし、グルメ通な人の中には、いちにち六食食べたいからって胃を二つ作る人もいます。あ、そうそう。受験を控えた子供を連れてきて、早急に外付けの脳みそをつけられないかって相談しに来られた方もいらっしゃいましたね。さすがに、未成年の施術なんでお断りしましたが」
「その下のパーツ追加コースってやつは私が受けるやつですね」
「そうですね。新堂さんのように目を追加する人もいらっしゃれば、腕を背中からもう一本生やしたいって方もいらっしゃいます。腕は何本あってもいいですからね。私としては着られる洋服のバリエーションが少なくなっちゃうので嫌ですが、そういうのを我慢できるのであれば、なかなかに便利らしいですよ。そうそう。見栄えが悪くなるのが嫌というのであれば、一旦自分の腕を切り落として、新しい腕に付け替えるってこともできます」
明穂が真剣な表情でパンフレットを読んでいく。偏見もちょっとあったんですが、こうして見てみると面白そうですね。明穂がそうつぶやくと、昔は科学リテラシーのない方からすごくバッシングを受けたりしたんですけど、最近はそういうのもなくなって来たんですよとセールストークで答える。そこでふと明穂がパンフレットから顔をあげ、医者の顔をまじまじと見つめる。どうしたんですかと尋ねる医者に、明穂がおずおずと口を開く。
「先生も実はこういう整形を受けてたりするんですか? こういう医院の先生たちってみなさんやられているイメージがあるんですが」
「そうですねぇ。みながみなそういうわけではないと思うんですが、少なくとも私はやってますよ。それも、ぱっと見でわかりやすいところを」
「え、どこですか?」
「ふふふ、当ててみてください」
明穂が医者の顔、体を舐め尽くすように観察する。
「目も耳も二つずつで、鼻と口は一つずつですし。腕も二本で、足も二本ですよね……。指の数も左右とも五本ずつですし。だとすると、すごい美人ですし、顔ですかね。オーソドックスですけど、二重にするためまぶたを切開してるとか、鼻の先にシリコンを詰めてるとか」
「どっちも外れです。目は別に切開してませんし、鼻先にもシリコンは詰めてないです」
「じゃあ、豊胸ですか? それかスタイルを維持するために脂肪を定期的に切り取ってるとか?」
「近からずも遠からずってところですかね。でも、やっぱり恥ずかしいので内緒です」
医者が濡れた唇を人差し指でなぞりながら、艶っぽく微笑んだ。ポイントを何に使うかは次に来院した時に決めてもいいですかと明穂が尋ねると、医者も大丈夫ですよと快諾する。明穂が目の追加施術の同意書と契約書に記載を行い、それを医者に手渡す。それでは、手続きが終わり次第またお呼びしますので待合室でお待ちくださいと告げられ、明穂が診察室から出ていった。
一仕事を終え、医者が深く息を吐きながら大きく伸びをする。そのタイミングで奥の衝立から一人の女性の看護師が現れて、今お時間よろしいでしょうか? と遠慮がちに尋ねてくる。大丈夫ですよと医者が答えると、看護師はカルテを持ちながら近寄ってきて医者に相談を持ちかける。
「お忙しいところすいません、敏三郎先生。実は、この高橋さんという患者のことでご相談がありまして……」