ようこそ、私の世界へ
ある恐ろしい事実を悟った湊介は、ベンチに深く腰かけて、頭を抱え込んだ。その背後に人が近づいてくる気配がする。ぎくりとした湊介だったが、そこにいたのは、駅に来る前に別れたはずの透だった。
「あれ、湊介。先に帰ったんじゃなかったの?」
「ああ……」
湊介は絶望に浸りながら、曖昧な返事をした。
透の様子は、目に見えておかしかった。いつ見ても元気なはずの透だが、今の彼の丸い目は、ほとんど死んだようになっていたのだ。それに、その表情と言い仕草と言い、どことなく覇気がない。いつもの彼とはまるで別人だ。いや、本当に『別人』なのかもしれない。少なくとも、湊介がよく知る透とは――。
「一緒に帰るか」
それでも湊介は、自分の置かれている状況を認めたくなくて、必死でいつも通りに振る舞おうとした。
「いいけど……」
湊介が誘いをかけると、何故か透は口ごもった。「どうした?」と湊介は尋ねる。
「あー……うん。何でも。……じゃあさ、帰りにコンビニかスーパー寄って行ってもいい? その……ポケットティッシュか何か、買いたくて……」
「ティッシュ?」
「ほら、それくらい、身だしなみの一つとして持っておくべきじゃん?」
湊介は眩暈がした。透の口から身だしなみがどうとかなんて聞く日が訪れるなど、思ってもみなかった。
――ムゲンさんの世界に連れていかれちゃうんだよね。
もう元には戻れない。湊介は閉じ込められてしまった。この世界で、一人ぼっちになってしまったのだ。
「ようこそ、私の世界へ」
カナカナカナ、というヒグラシの鳴き声に交じって、あのひどく耳障りな笑い声が耳朶を打ったような気がした。