第七話 その頃、藤堂家邸宅にて
がちゃりと、やや乱暴に扉を開いて入ってきたのは、ネレイダの街の外にある遺跡まで出掛けていた厳正だった。
入り口近くにいた老齢の執事がすぐに近寄り、自宅へと返ってきた当主から旅の荷物を受け取っている。
「え……?」
ちょうど遅めの昼食を終えて、休日の残りをどう過ごすか考えながら自室へと向かっていた長女である雫は、通りすがりに疑問を表情に浮かべて立ち止まった。厳正に連れられて出掛けたはずの弟――才の姿が見えなかった。
「何だ、雫」
「あ、お父様、お帰りなさい」
機嫌の悪そうな父から態度を見咎めるように声を掛けられた雫は、とっさに背筋を伸ばして丁寧に答える。
しかし感じた不安は、いかに気の弱い雫であってもこのまま知らぬふり出来るものではなかった。
「その……お父様? 才は何か用事ですか……?」
「……」
問われた厳正は口を引き結んで答えない。それが雫の中に芽生えた不安を大きなものへとしていく。家庭内で立場の弱い才は、よく厳正や、長男であり雫にとってはもう一人の弟である厳治から買い物や伝言といったちょっとした用事を言いつけられることが多かった。だから才だけが遅れて帰ることは珍しいことでは無い、はずであった。
ただいつも冷徹に、しかし明瞭に物を言う厳正のこの態度は、雫から見て明らかにいつもとは違っていた。
「……はぁ。後で正式には通達するが、事故があった」
「…………え?」
何かを体の外へと押し出すような溜め息を吐いた後で、厳正は直前の雫からの質問とは関係の無いことを口にする。その唐突に変わった会話の流れの意味するところを、雫は察していながらも受け入れられず、貴族の淑女としてはあるまじき間抜け面で疑問符のみを返した。
「奈落の遺跡を調査中に、才はあの奈落へと転落した。足を滑らせたのか、あるいは故意だったのかは儂にもわからん」
どこか突き放すような、義理とはいえ息子の事故について話しているとは到底思えない厳正の物言いに、普段は全く逆らうことのない雫が顔を赤くして厳正へと詰め寄る。
「なんですかそれは! お父様の『樹木魔法』なら防げるでしょう!?」
「目を離していたのは確かに儂の落ち度だな」
声を裏返させて糾弾する雫へ、厳正は少し目を伏せ、責任の一端は感じているという態度を見せる。しかしそれは雫からすると神経を逆なでするものでしかなかった。
「そうだとしてもお父様なら助け出せるでしょう! なぜお一人で帰ってきているのですか!? ここへ連れ帰っていれば、怪我をしていても私ならっ!?」
高度な『治癒魔法』の使い手である雫が、必死で仮定の話を言いつのる。しかし当然そんなことでここに才は居ないという現実は変わらず、厳正の態度も同様だった。
「お前も知っているだろう、奈落の深部まではスキルの効果は及ばない。あそこへ落ちてしまったものを助け出せた前例はない」
「――っ! それは……、そうです……けど、ですが……」
「とにかく詳しくは後で話すと言っただろう。帰ってきたばかりで疲れている儂を煩わせるな」
「お父様!?」
食って掛かる雫に焦れた厳正からのあまりに情の無い言葉に、雫は驚愕して怒りを覚える。が、それ以上聞く耳の無い厳正はすたすたと歩き始めてしまい、荒れる感情に翻弄される雫は追うことも問うことも、また邸宅を飛び出して探しに行くこともできずにただ立ち尽くしていた。