第六十四話 そして最強は舞い降りる
赤い宝石から放たれていた光が消え、代わりに上空には小さな黒点が見えていた。
「あのような者が、なぜ封印鍵を……」
天堂の震える声は才たちには届かない。しかし状況の深刻さは言われるまでもなく伝わっていた。
「試練などといっている場合ではなくなってしまったのか」
余裕のない所作で右腕を才へと掲げると、しばらくして天堂は口を開く。
「才っ!」
大声で名を呼ばれた才はハッとして振り向き、天堂の切迫した表情と状況から、何を伝えたいかはすぐに理解した。
「戻ってる」
「あ、ジェイさんと貞子さん……?」
「うん、呼べそう」
この状況の中で才の戦力が戻ったことを察した那波と美羽は、目線を交わしてから揃って才へと目を向ける。そしてその意図を受けた才は、上空の徐々に大きくなる黒点から目を逸らさないまま、『召喚魔法』を行使した。
「じぇ……」
「……」
音もなく、地中と、そして才の背後から現れた仮面の大男ゾンビと艶のある黒髪をした女ゴーストは、どちらも緊迫した空気を纏わしてそっと才の隣に立つ。
説明などせずとも、あれは危険なモノ……。そう二人の態度が雄弁に語っていた。
「一方的にあんなことした典理様が、何も言わずにすぐ解くなんて。それだけのまずいモノってことだよね」
「そうだねぇ、それこそああいうのに対して必要なのが“デーモン召喚”だってことかなぁ?」
才の考えも、美羽が口にした事と同じだった。
そして話している間に、ついに“それ”は地上へと達する。
ずずん、と地響きをたてて、しかしその大きさと落ちてきた高さからすると小さいといえるほどの衝撃で黒いモノが着地した。
「黒い……悪魔……?」
才が感じたままの印象を言葉にすると、それに反応したのは貞子だった。
「そうね、そのまま黒魔と呼ばれていたわ」
「こくま……」
聞いたことのない言葉を繰り返した才は、その内心で疑問が渦巻いていた。なぜこんなモノに名前がすでについているのか? どうしてそれを貞子が知っているのか? ……そして、そもそも黒魔とは何か?
だがそれらの疑問を才が言葉にするよりも、その黒魔の向こうにいる厳治が堪えきれなくなったように口を開くのが先だった。
「なんだ才っ、それは! お前がなぜ使えるはずのない『召喚魔法』を!?」
使えないはずの魔法系スキルを才が使ったことで、藤堂家としてありえない落ちこぼれ、という厳治にとっての何よりの大義名分が揺らいだ。それは厳治が呼び出した黒魔よりも、彼にとってはよほど悍ましく、恐ろしいものだった。
「グバァ、ア……」
しかしその喚き声に反応したのは、才よりも声の近くにいた黒魔だった。人間に倍する高さに、それに見合った屈強な体躯を持ち合わせた黒一色の悪魔は、そこだけは宝石のように赤い目を後ろに立つ厳治へと向ける。
「は……?」
「バッ!」
間抜けな「は?」が、厳治がこの世に残した最後の言葉だった。振り向きざまに黒魔が振り切った腕の後には、もう血の染みしか痕跡はなかった。
「兄上!?」
とっさに才から出た言葉は快哉でも怨嗟でもなく、ただ“兄”を呼ぶものだった。そこに込められた感情は、もはや複雑すぎて当の本人にも何であるかは分からなかった。
しかし改めて向き直る黒魔の威圧感を受けて、それ以上何かを考える余裕などはあるはずがなかった。
「ただ腕を振っただけで、人ひとりを消し飛ばすなんて……」
「スキルを使った形跡もなかったよねぇ」
冒険者としての厳しい目を向ける那波と美羽も、しらず後退る足を止めることはできていない。
「でも、こんなのここで何とかしなきゃいけない」
しっかりと地面を踏みしめた才が言うと、ジェイは一歩前に出て斧を慎重に構える。貞子も才のすぐ後ろに控え、いつでも仕掛けられるといった表情を見せる。
「(それでこそ、余が仕えるに足る強き者だ。強さとは何よりもその心のありようにこそ宿るのだから)」
再び聞こえた重厚な声に、才は驚き辺りを見回す。
「え、どうしたのサイ?」
「大丈夫だよ、あたしたちもちゃんと戦うからぁ」
那波と美羽の怪訝そうな反応から、二人には聞こえていなかったと才は察した。しかし二体の召喚獣は違うようだった。
「じぇ!」
ジェイは嬉しそうに一声上げ。
「もったいぶって、腹が立つわね」
貞子はどこか不満そうで、しかし明らかに肩から力が抜けているようだった。
今こそ、そして今度こそと確信した才が自信を持って再びその言葉を発する。
「デーモン召喚!」
その瞬間、才を起点に上へと向かって黒い光が伸びる。まるで先ほどの黒魔召喚時の色違い再演のようだったが、しかしその黒光は赤い光よりもはるかに眩しいように才には見えていた。




