第三十九話 赦す訳がないでしょう?
才が槍を振るっているころ、崖上に留まった貞子は表情を消して歩き出していた。
「ふ、ふふ、ふふふふふ……」
全くの無表情ながら口から漏れるのは笑いに該当する音。
「さて、気がかりを潰しましょうか」
行動方針を確認するように口にした貞子は迷いなく足を進める。
がさがさと、枝葉や茂みに擦られるのも気にせず周囲から影になっている場所へと踏み入ったところで、貞子は視線をまっすぐに固定したまま立ち止まる。
「かくれんぼがしたいのかしら?」
貞子が挑発めいた言葉を口にした直後、小さく背後の茂みが葉擦れの音をたてる。
「――?」
ぴくり、と貞子は後ろを気にする素振りを見せた。
「かかったぁなあ!」
瞬間、貞子の右側にある木の裏から人影が飛び出してくる。叫声をあげる人影――戦斧を振り上げた鍋川――はためらいなく一直線にかなりのスピードで突進する。
「おぅらっ! …………あれ?」
勢いのままに鍋川が振り下ろした戦斧は、貞子の足元の地面を抉っている。間違いなく貞子の側頭部へと狙いをつけていた鍋川は、いう事を聞かなかった自分の腕を見て口を開いて呆けた声を出した。
「私に恐怖を感じた時点でお前はもう私の支配下」
「らあっ! ……んん?」
貞子の言葉には構わず今度は戦斧で切り上げた鍋川は、やはり貞子を避けるように戦斧を振ってしまった自らの腕に首を傾げる。
「あん? おら! はあ? なんで!? あたんねぇ、んだっ!」
何度も何度も戦斧で空気を切り続ける鍋川を、貞子が温度のない瞳で見る。それは実験動物を観察する研究者を彷彿させる目線だった。
「言っておいたでしょう? 私は優しくないの」
「ひぃっ」
顔を動かさずに視線だけで鍋川を見た貞子が、どこか非生物的な動きで右腕をまっすぐ右側へ、つまりは鍋川の眼前へと伸ばす。目の前に貞子の白魚のような手指を突き付けられた鍋川は、喉から引きつった音を出し、そのまま戦斧を振り上げた姿勢で動けなくなった。
「殺してしまうと才の不利益になる可能性もあるから、一応命は助けてあげる。あら? やっぱり私って案外優しいのね」
淡々と、訥々と、告げられる貞子の言葉に、鍋川は顔中を脂汗に塗れさせながらも反応ができないでいる。
「こうまで才に害意を向けるお前を、赦す訳がないでしょう?」
鍋川の膝が力をなくして崩れ落ち、戦斧を取り落として地面へと尻から落ちるように座り込む。
「…………」
もはやその口は開きっぱなしで何も言葉を発せず、その目は正面へと視線を向けながらも何も映さない。鍋川という名の愚かな冒険者は、この瞬間にその人格が完全に壊れたのだった。




