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 鏡は家のドアノブに触れあれ、と思った。

 今は五月半ば。桜はとうに散り新緑が木を染め上げ過ごしやすい日々。今はまだ日も落ち切ってもいないのにドアノブは冷水でも浴びたかのように冷たい。

 誰か水でもかけたのかと思い大して気にもせず開ける。水をかけるような変な人がいるはずもないのに何故かそれで納得してしまう。


 ドアを開けると冷気が体を通り抜けて二つの意味で体が震えた。

 部屋に入るのが億劫になったが入らない訳にもいかず奥へと進む。いつも開けっ放しのスライド式ドアが閉まっている。

 少しだけ開けると冬を想起させる冷気が鏡を襲う。鳥肌が立ち体がぶるりと震える。

 ドアを最後まで思い切り開けると視界に飛び込んできたのは腕を組み胡座をかいて待っていた吹雪だった。


「おかえりなさい鏡。」


 笑顔でおかえりと言ってくるが目が一切笑っていない。とりあえずとても怒っている。理由はわからないが怒っている。


「ただいま。吹雪、スカートで胡座かくな。見えたらどうするんだ。」


 怒っている理由が分からず怖いが言いたいこと言った。良く言えた自分と褒めたいぐらいだ。


「別に鏡しかいないのだからいいでしょ。ほら、そこに座りなさい。」


 顎で向かいに座るように促してくる。普段の吹雪より荒い。中学生の頃みたいだ。あの頃吹雪はちょっと荒れてた。荒れてたと言ってもなににかもも反抗的とかだったとかではなくちょっとおかしかったというべきか。


 吹雪に促された通り向かいに座る。


「あのな一応今俺は男ってことになってるから軽率に俺の家には来ない方がいいと思うぞ。」


 あらぬ疑いをかけられたらどうするつもりだ。その被害は吹雪だけじゃなくて俺にも来る。


「婚約者なんだから問題ないわよ。それよりも――」


 吹雪は一旦言葉を切り、テーブルに肘をつき手を組んで笑みを深める。


「真との関係について洗いざらい吐きなさい。」


 部屋の温度が下がった。吹雪の体からまた冷気が溢れ出したのだ。


「真さん?そっか吹雪と真さんは幼なじみなんだよな。」


 そして真さんは吹雪が好き。そのことを思い出してなんとも言えない後ろめたさを抱える。


「へえーそんなことまで聞いたんだ。で、どこで知り合ったの?」

「あの夜だよ。あの時助けられたんだ。」

「あの夜ってどれよ?それに助けられたってどういうことなの?」


 あれ、どういうことだ?


 真さんと知り合ったのはもちろんあの夜だ。あのことについては吹雪の両親と黒桐の当主、流さんに伝えてある。吹雪が狙われたとあっては黙っていることはできない。てっきり吹雪も知っているのかと。


「吹雪なにも聞いていないのか?」

「?」


 首を傾げる吹雪に本当に知らないのかと唖然とし、あの夜のことについて全て話した。


「大丈夫!?どこも怪我はしてないわよね!どうしてそんな大事なこと言わなかったの!」


 すべて話終えるとすごく怒られた。


「吹雪の両親と流さんには伝えてあったから吹雪も聞いてるかと。」

「全く聞いてないわ。それに《精霊喰い》から狙われていたことは前から知っていたから言わなかったのね。それにしても私と鏡のことを一体なんだと思ってるのか。」


 やれやれと肩をすくめる。しかし、今鏡は聞き逃せない言葉があった。


「お前、前から狙われていたのか?」

「ええ。父も狙われているし皇家はこれでもかと狙われているわ。この体質が死ぬほど欲しいみたいね。」


 胸に手を当て不敵に笑う。


 皇家は代々精霊に好かれやすい。契約していない精霊でも簡単に力を貸してくれる。かなり昔からその体質のせいで狙われていることは多かったようだ。

 最近知ったことだけど。


「今度会ったら真にはお礼を言っておかないとね。それよりも鏡が無事でよかった。《精霊器》は抜けなかったの?」

「いや、《精霊器》は抜けた。」

「良かったじゃない!それで、抜ける理由は分かったの?」


 きらきらとした目を鏡へと向ける。期待が篭った眼差しに申し訳なさが心に溢れる。


「それは、まだ分からない。」


 目を伏せて答える。全くわからない。抜けた理由も抜けない理由も。吹雪の騎士として情けない。


「そう。なら仕方ないわ。私も何か分かればいいのだけど。今生きているので皇家の《精霊器》について細かく知ってる人なんていないから気に病まなくていいわよ。私だって分からないものを鏡に分かれだなんて責任を押し付けるつもりはない。」


 吹雪はそう言ってくれるが鏡はやはり自分が分からなければいけない気がしてならない。それに分からないままではいざという時吹雪を守れない。


「――ねぇ、いま。」

「どうした吹雪?」

「いえ、なんでもないわ。それにしても無事でよかったわ本当に。」


 何か言いかけた吹雪だが鏡が聞き返すと話を逸らした。

 無事……無事なのは良かったそれは、でも。


「どうしたの、浮かない顔をして。」

「――殺しそうになった。」


 人を殺しそうになった。加護の力がまったく制御が出来なくて腕を切り落としてしまった。あの時人を殺す恐怖とそれを吹雪を守るためと容認してしまう己に慄いた。


「殺しそうになったって当たり前じゃない。鏡は殺されかけたのよ。殺意に殺意で返して何が悪いの。ようはね、殺さなきゃいいの。」


 事もなげに言うがそれは実力が伴って初めて出来ることだと思う。


「実力じゃない。気持ちの持ちようよ。心構え、と言った方がいいわね。たとえ実力者だとしてもどこか心に緩みがあれば弾みで殺してしまう。実力があればあるほどそれは容易いはず。だから鏡。あなたに必要なのは自信。自分なら《精霊器》を正しく扱えるっていう自信よ。」

「持てたら持ちたいけどまともに扱えていないのにどうやって持つんだよ……」


 肩を落として下を向いてしまう。後ろ向きな鏡に思わず舌打ちをする。


「そんな萎びた状態で私の騎士をやってくつもりなの!?」

「!」


 吹雪の腹の底からの怒声に肩が跳ね上がる。騎士のことを引き合いに出されると心が何故か引き締まる。


「いい顔になったじゃない。そうよその顔。絶対諦めないって顔よ。」


 諦めない顔って一体どんな顔だよ……。鏡は頬に触れてみる。分かるわけがなかった。


「《精霊器》が扱えないのが何よ。扱えるようになってみなさい。」


 鏡は自分の手元にある刀を見下ろす。美しい柄に鞘。まだ自分が知らない力が秘められていることに恐怖しつつも吹雪の期待に応え、そして騎士を全うするための力だと思うと自然と心が前向きになる。


「……時間がかかってもいいか?」

「もちろん。私は生涯騎士を変えるつもりは無い。」


 深く頷き、鏡への信頼を示す。これに応えないわけにはいかない。


「絶対扱えるようになってみせる。俺はお前の期待に応える自信は昔からあるんだ。」


 笑顔で応えてみせると同じように吹雪も笑顔を返してくれた。


「あ、思い出したけど今日の球技大会惜しかったわね。」


 相変わらずバドミントンは上手いじゃない。と手放しに褒めてくる。

 鏡としてはブランクもあり、十分なパフォーマンスではなかった思うが褒められるのは悪くない。


「吹雪は明日か。バレーボールやったことあるのか?ドッヂボールの方が良かったんじゃないのか?」

「ドッヂボールは去年やったからどうせならやったことのないものをやってみたくてね。安心しなさい。これでもかって言うほど練習はしたから。」


 鏡の不安をかき消すように胸をはる。


「だから応援に来なさいよ。」

「もちろん行くけど一回戦の何番目だ?」

「えーと確か二番目よ。」


 バレーボールのコートは広い。一回戦全ての試合を体育館で行うことは不可能だ。だから一回戦も何回かに分けて試合を消化していく。


「二番目……?うわ、俺のクラスと当たってるのか?もしかして……」

「知らないで応援に来るって言ってたの?呆れた。自分のクラスの対戦相手ぐらい把握しなさい。」

「いたっ。」


 額を人差し指ではねられた。爪が少しかすって地味に痛い。


「で、来るの?来ないの?」


 吹雪の応援にということだろう。少し悩むが直ぐに心は決まる。


「もちろん行くよ。クラスの人には悪いけど吹雪の応援がしたいからさ。」

「ん、楽しみに待ってる。さて、私はもう帰るわ。」


 立ち上がろうとして膝を立てるとスカートの中身が見える。だから胡座はやめろと言ったのに。しかし、当の本人は気にしてないみたいだ。


「送っていく。」


 そこで鏡は靴を履こうとする。


「別にいいわよ。それに私を送って行ったら鏡が帰り一人になるじゃない。」


 吹雪に止められるが構うことなく靴を履き地面を爪先で何度か叩きしっかりと履く。


「それ言うなら俺が居なきゃお前も一人だろ。それに俺は今男だろ。お前がそうしたんだ。だから男として扱え。」

「男って言ったけど女であることにも変わらないでしょ。」


 吹雪が女と言ってニヤリと笑う。


「そうか吹雪は女が一人で帰ることが駄目って言いたいんだな。」

「ええ、そうよ。当たり前じゃない。」

「なら、吹雪も女だ。一人じゃダメだろ?」


 してやったりと満面の笑みを向ける。


「た、確かにそうだけど……。私は別!鏡はだめ!」


 まったく理にかなってないことを言ってくる。単に鏡を心配しての発言ということは分かる。


「俺が駄目っておかしいだろ。いいから送るぞ。頼むから送らせてくれ。もしお前に何かあったら不安だ。」


 この間襲ってきた《精霊喰い》の男のこともあって鏡は警戒をしている。

 その事を言うと吹雪も渋々だが納得してくれる。


「いいわ、送っても。でも!半分だけ!途中まで!」

「わかった。半分だけだな。それだけでも十分。」


 上機嫌で吹雪の隣に立ち吹雪と一緒に歩く。特に会話もなくゆっくりと二人は歩いていく。手を繋いだり、まして腕を組むようなことはしない。

 端から見ても友達にしか見えない。


「――ねぇ、鏡。学校楽しい?」


 沈黙を破って何を言い出すかと思えば他愛のないことだった。


「楽しいよ。最初は少しは不安だった。でもいい友達も出来たし幸せだよ。それに――。」

「それに?」


 鏡は吹雪の顔を見ると優しく笑う。


「それに――は、内緒だ。」

「え、ちょっと、気になるじゃない!」

「ちょうどここで半分だな。真っ直ぐ帰れよ。」


 喚く吹雪の背中を押して帰るよう促す。それに、が気になって仕方ない吹雪だが日も暮れて空が暗い中長時間いるのは躊躇われて大人しく進んでいく。


「鏡も気をつけて帰るのよ!」


 振り向いて注意をしてくる。先ほどと同じ柔らかい笑みを浮かべて手を振ってあげる。


「分かってるよ。吹雪も気をつけて。明日応援しに行くから。」

「ぜっったい!来てよね!――おやすみ、鏡。」


 吹雪は一度深呼吸をして鏡に挨拶をすると優雅に歩いていく。


「おやすみ、吹雪。」


 吹雪に背を向けて鏡も家へと戻る。


 家に戻ると部屋の電気が付けっぱなしだった。

 部屋のテーブルを見ると吹雪の忘れ物であるヘアゴムがあった。それを手に取る。


「それに――それに吹雪が近くにいるし。」


 鏡は吹雪の代わりにヘアゴムへと本音を吐き出した。


「これはちょっと恥ずかしくて言えないな。」


 明日返そうと制服のポケットに仕舞う。明日試合前に返そうと決めれば少しだけ明日の楽しみが出来た。

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