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二人の予言者











「………うっ。」



小さく呻くと、水野美奈子はゆっくりと上半身を起こした。



頭はズキズキと痛み、意識も視界もはっきりしない。




「ここは…私の部屋…?私………帰ってきたの…?」



辺りを見回し呟くと、美奈子は目の前に立ちはだかる鏡を見つめる。


鏡は、指紋や吐息でうっすら曇り、それでも美奈子の姿をはっきりと映していた。




「泣いてる…。なんで…?」



鏡に映った自分の目から流れている涙を見て、全ては夢ではなく現実だったと悟ったのだった…。










荒廃した大地に、一人の青年が倒れていた。



漆黒の髪を後ろで一つに束ねた彼は、腹部からおびただしい量の鮮血を流していた。


そしてそれは、地面を赤く円状に染めている。



瞳は固く閉ざされ、微動だにしない彼の横を、風にながされてきた落ち葉がスッと横切っていった。


左側が暗闇に塗りつぶされた月だけが、青年の姿を明るく照らし出していた…。









「痛てて…派手に…やられちまったもんだぜ…。」



ホーム近く、荒廃した大地。



草木保は、傷だらけの左腕を右手で押さえながらヨロヨロと立ち上がる。



出血はそれほどひどくはないが、動かすと耐え難い痛みを感じた。




「まさか…あの数を相手にすることになるとは…正直考えもしなかったよ。」



夜澤騎士は、それぞれぱっきりと半分に折れてしまった双槍を見つめ、冷静に感想を述べる。


彼女は左足を引きずっていたが、それほど深手は負っていなかった。




「これで一つわかった。契約者は…表の世界と繋がる日に集まる習性がある。」



「表に干渉するため…なんだろうな。………美奈子ちゃん、表の世界に無事に帰れたかな?吹雪が…ガードとして付き添ってたから、大丈夫ては思うけどさ…。」



「………彼は不死身ではない。」



不意に二人の背後から声がした。




「へっ…!?」



「だ、誰だ!?」



驚いて振り返った二人の目に映ったのは、白装束で全身を覆った小柄な者だった。




「に、弐穂華様…?」



「…彼は不死身ではない。死の危険と隣り合わせな“人間”なのだよ。」



精巧な機械のように言葉を繰り返すと、弐穂華は二人が言葉を返す前に素早く去っていった…。










「……子、美奈子ってばー!帰らないのー?」



表世界での親友、志染 玲(しじみ れい)の言葉で、美奈子は授業が終わっていることに気づいた。



頭はぼうっとしていて、心はとても空虚だった。




「えっ…あ…うん。帰るよ…。」



「なんか元気無いみたいだけど…大丈夫?具合悪い?」



玲は心配そうに美奈子の顔を覗き込んだ。



山吹色の髪がふわっと揺れ、茶色い瞳に美奈子の顔が映る。




「ううん…大丈夫だよ。」



「それなら…悩み事とか?帰りながらでいいから話してよ!何でも聞くからさ。」



「ありがとう…。でも、今日は一人で帰るね…用事あるから。」



あ…ちょっとと呼びかける玲を残し、美奈子はフラフラよろめきながら教室を出て行った。




「ありゃ…。鞄忘れてってるよ…美奈子。」



その場に残された玲は、美奈子の机にある鞄をひょいと腕にかけ、彼女の後を追いかけた。








同時刻、神風拠点ホーム。




「彼…まだ、目覚めないのか?」



地下室のベッドに横たわる吹雪を見下ろし、ナイトが訊いた。



ベッドの近くのソファに座っている保が、無言で首を横に振る。




「全く…反応が無えんだ。吹雪…死んじゃうのかな…。」



「………さあ。自分に言われても…わからない。」



ナイトは特に表情を変えず言葉を返すと、保の隣に腰を下ろす。



話題の対象である吹雪は、固く目を閉じ微動だにしなかった。



左腕には点滴が繋がれており、枕元にはモニターが置かれている。




「一命はとりとめてるよ。吹雪のことだ…死にゃあしないって。」



モニターをこまめにチェックしながら、ドクター古葉が言った。



この部屋の主であり、神風の専門ドクターである古葉は、長い紫色の髪を持つ女性だった。


歳は三十代後半といったところか。



白衣をラフに着こなし、聴診器をクルクル指で回す癖を持つという、あまり医者らしくない医者だった。




「…本当なのかよ、ドクター古葉?」



「あんた達よりも、吹雪との付き合いは長いんだ。彼のことは、あたしがよーくわかってるさ。」



古葉は髪をかきあげながら言うと、ペンライトで吹雪の瞳を照らし始めた…。










一週間後の朝。




「いやああ!!」



美奈子は自分の叫び声で目を覚ました。



額からは冷や汗が吹き出し、顔面蒼白だった。




「はあ…はあ…またあの日の夢…。」



胸に手を当て自身を落ち着かせながら、美奈子は一週間と少し前のことを思い出していた………。












「…右半月の日だ。」



ホームのリビングルーム。



吹雪は、断定するような口調で言った。



本来は食事に使うテーブルの上には、その時は三冊の本が積まれていた。




「右半月ぅ…?なーんか、中途半端な日だよな…。」



「左じゃダメなのか…。」



保と騎士は、やや冗談めかした言葉を返す。




「それ…本当なの、吹雪?私…元の世界に帰れるの?」



美奈子が、半信半疑の表情で尋ねる。




「ああ…恐らく、だがな。常に存在するが見えない鏡…それは半分消えた月を指す。つまり、半月だ。そして、表世界は…文献上は月の右側を示している。」



「まぢかよ…。美奈子ちゃんは月から来たってことになんのか…。」



保が眉をしかめた怪訝そうな表情で美奈子を見つめる。



美奈子は、うつむいてジッと何か考え込んでいるようだった。




「次の完全な右半月の日は…明日だ。今日中にどうするか決めておけ、美奈子。」



吹雪は特に何の感情も込めずに言うと、スタスタと階段を上っていった。




「美奈子ちゃん…帰っちゃうのか、つまんねーの。」



「………。」



保はガッカリしたような表情でソファに寝転がり、騎士は無言で文献を読み返していた。



そんな中で美奈子は、




(どうしよう…?帰りたいけど…私…。)



一人、悩んでいた。




翌日、夕日が落ち、月が顔を見せ始めた頃。




「…決まったか?」



ぼんやりした表情でイスに座って紅茶をすする美奈子に、吹雪が問いかけた。




「うん…決めた。」



「そうか…。結局…どうするんだ?」



「………今までありがとう、吹雪。」



和やかに微笑んでそう言った美奈子から、吹雪は彼女の答えを悟った。




「たっだいまー。ふう…結構重てえんだな、一週間分の食糧って。」



「…話は終わったみたいだな。」



タイミングよく保と騎士が帰って来た。



「保君…ナイトちゃんも…今までありがとう。私…帰るね、元の世界に。」



凛とした、それでいて穏やかな表情で、美奈子は二人に言った。




「やっぱり帰っちゃいのかよ…まぢで寂しいぜ…。」



「短い間だったけれど…私は君のことは嫌いじゃなかったよ。」



保と騎士は思い思いの感想を述べる。



頃合いはよし、と吹雪が口を開く。




「そうと決まれば…もう時間は無い。美奈子…支度はもちろんできているな?」



「うん…準備万端だよ。」



「ならば、すぐに鏡の場所へ向かうぞ。美奈子が落ちてきたあの場所だ。」



「えっ…ち、ちょっと待ってよ、吹雪!」



先頭を切ってホームを出ようとした吹雪に、美奈子が慌てて声をかける。




「…なんだ?怖じ気づいたのか。」



「そうじゃなくて…みんなで行くつもりなの?」



「あったり前じゃん、美奈子ちゃん。俺達も行くよ!」



吹雪に代わって、頭の後ろで腕組みをした保が答える。




「保君…。気持ちは嬉しいけど、危険だし…私は一人で帰れるからみんなは…」



「なーに、水臭いこと言ってんだよ。見送りしてえの、俺達三人は。同じ神風の仲間なんだからさ。」



「それに、契約者から君を護衛する人間も必要だろう?」



騎士も保に同調するように言った。




「…今更引くわけにもいかないだろ。議論している暇も無い。…行くぞ、美奈子、保、騎士。」



吹雪は誘いかけるように言うと、今度こそ玄関から外へ出た。




「あー!置いてくなよ、吹雪ー!」



「保!美奈子より先に出てどうするんだよ!」



続いて、保と騎士が外に出る。




(みんな…本当にありがとう。私…この世界のこと、みんなのこと、忘れないから…。)



美奈子ちゃんも行くよーという保の呼びかけに応え、美奈子も走って外へ出て行った。






「うわっ!早速お出ましじゃねえかよ…。」



ホームから一キロも離れていない場所で、美奈子達四人は四体の契約者に見つかり追跡されていた。




「獲物…。」



「神風…倒ス…。」



「一気ニカカレ…!」



「ウオオオ…!!」



どの契約者も興奮気味で、通常では考えられない速度で四人を追ってくる。




「このままじゃ…追いつかれちゃうよ!」



「うっし…それなら…。」



不意に保が立ち止まりくるりと反転した。



「保君…!?」



「ここは俺が引き受けるぜ!神速斬!!」



保は契約者達に向かって、円輪を投げつける。



円輪はクルクルと回転し、四体の契約者をシュパンと順番に傷つけていった。




「保の大バカ!……豪雷貫!!」



「ナイトちゃん!?」



美奈子と吹雪の後ろを走っていた騎士も反転し、保に加勢する。



地面に刺された双槍は自ら電流を発し、契約者達の足元を痺れさせた。




「行きな、二人とも!」



「美奈子ちゃんをしっかり守れよ、吹雪ー!!」



二人の叫びが遠くなっていく。




「保君…騎士ちゃん………きゃっ!?」



「………。」



戸惑う美奈子の手をとり、吹雪は無言で更に速く走り始めた。






やがて、吹雪と美奈子は右半月の真下に当たる場所に着いた。



美奈子が吹雪達と最初に会った場所である。



驚くことに、その場所には美奈子の部屋と同じ鏡があったのだった。




「鏡…!本当にあったんだ…。」



「…これでおまえは元の世界に帰れる。早く…鏡の中に………!?」



「えっ…どうしたの、吹雪…」



「…囲まれている。」



美奈子は、ええっと目を丸くして辺りを見回した。



いつの間にか、二人の半径一メートルの周を契約者達がぐるりと囲んでいたのだった。




「グウウ…吹雪…獲物…。」



「ガアアア…!!」



「ウウウ…。」



とてもとてもではないが、たった二人で勝てる数ではない。




「どうしよ…吹雪?」



「…どうしようもないだろ。相打ち覚悟で倒すしかない。」



吹雪は片手剣を右手に構え、低い姿勢をとる。




「一人じゃ無理だよ!私も…」



「いいから、おまえは早く鏡の中に…っ!?」



カンッ!



痺れを切らした契約者の一体が、吹雪に襲いかかる。



だが、長く鋭い爪は吹雪の剣によって弾かれた。



それを合図としたかのように




「グアアア!!」



「倒スゥゥウ!!」



「神風…憎イィィイ!!」



他の契約者達も吹雪と美奈子に向かって駆けてくる。




「青龍断!!」



「ガアアアッ!?」



吹雪は目前の契約者の胸部を剣で断ち、すぐに身を翻し右側の約者の背中に斬りつけた。




「グアッ!?」



「ウオオオ…!!」



けれど、契約者は怯むことなく次々と向かってくる。




「きゃあ!?」



「美奈子…!!」



三体の契約者が美奈子を鋭い爪で突き刺そうとしていた。




ドスッドスッドスッ!



…貫音が三度響く。



美奈子は思わず閉じてしまった瞳を、ゆっくりと開ける。



すると…




「くっ…っ…。」



「あっ…ああ…吹雪ぃぃぃ!!」



自らを盾にして、美奈子の代わりに契約者の攻撃を受けた吹雪の姿があった。



腹部と両胸部を契約者の爪に深々と貫かれている。



傷口からポタポタと溢れ出す鮮血は、見る見る内に流れ落ちる量が増えていった。




「いや…いやあああ!!」



「…っ…美奈子………。」



吹雪は力を振り絞って、美奈子の背中を右肘でトンッと押す。




「あっ…。きゃあぁぁ…!?」



美奈子の体は鏡の中へと落ちていく。



美奈子を飲み込んだ鏡は、まるで始めから何も無かったかのように跡形も無く消えてしまった。




(美奈子…おまえだけは……幸せに……生きろ…よ………。)



「氷…地獄…!」



爪が体から引き抜かれたタイミングで、吹雪は剣を高く掲げ叫んだ。



それに応え、地面から何十本ものつららが出現し、契約者達を檻のように捕らえていく。




「ナニ…!?」



「ヌアアア!?」



「ギャアア!」



契約者達は断末魔の悲鳴を上げ…やがて全て消えた。




「美奈…子………。」



ドサッ!



吹雪の体は、うつぶせの姿勢で地面に崩れ落ちたのだった………。









(吹雪…死んじゃ嫌なんだから…。)



悪夢から覚めた美奈子は、気分転換にと街を散策していた。



…しかし、イマイチ気分は晴れなかった。




かわいらしい看板を掲げているファッション店も、美味しいパフェが食べられるカフェも…今の美奈子にとっては、何もかもどうでも良かった。




(吹雪…会いたいよ…。毒舌で冷たくて…けれど根は優しい吹雪…。私…あなたのこと…)



ドンッ!


目線を地面に向けていた美奈子は、道行く誰かにぶつかってしまった。




「きゃっ!」



ぶつかられた者は、反動で大きく後ろによろける。




「あっ…ご、ごめんなさい!」



美奈子は申し訳なさそうに頭を下げた。



ぶつかられた人間は、




「あ…いえ!わたくしもぼうっとしていたので…こちらこそすみません。」



律儀に状況を説明して、謝り返してきた。



「あ…。」



美奈子とぶつかった人間…淡いクリーム色の髪を持つ女性は、美奈子の顔をまじまじと見つめた。




「えっ…私の顔に何か付いてますか?」



美奈子はきょとんとした表情で、女性に尋ねる。




「いえ…。あの…今、時間ありますか?突然で何なのですけど…あなたと少し話がしたいです。」



「あっ…は、はい。構いませんよ。」



返事を得ると、女性は嬉しそうに目を輝かせ、美奈子を喫茶店へ案内した。




喫茶店エルミナーデ。


フランスのカフェをモチーフとした喫茶店で、女性に人気が高い場所である。




「わたくしは、ハーブティーをお願いいたします。」



「私はコーヒーで。」



女性と美奈子は向かい合うようにして、テーブルについた。



店員が注文を承り去って行ったことを確認し、女性が口を開く。




「…強引にお誘いしてしまってすみません。自己紹介もまだでしたね…。わたくしは伊穂華いほかと申します。この世界の弐穂華ですわ。よろしくお願いいたします。」



「えっ…弐穂華様…?あっ…わ、私は水野美奈子です。よろしくお願いします…。」



多少面食らいながらも、美奈子も挨拶を返した。




「やはり…弐穂華様をご存知でしたか。水野美奈子さん…あなたは、裏の世界の人間なのですか?」



「と、突然そんなこと言われても…何のことだか…」



「わたくしは笑ったりしませんから、隠さないでください、美奈子さん。」



真剣な表情で返す伊穂華を見て、美奈子は惚けても無駄ということを悟った。




「…はい。鏡に吸い込まれて、つい一週間前まで裏の世界に居ました。でも、どうしてわかるんですか?」



「…匂いですよ。裏の世界に満ちる死の匂い…あなたからも漂ってきたんです。わたくしも…あの世界の住人でしたから、わかるんです。」



「伊穂華さん…何もかも知ってるんですか?」



ええ…もちろんと伊穂華が答えた時、店員がハーブティーとコーヒーを運んできた。



店員は訝しげに二人を見ながらも、何も聞かなかったかのようにすぐ去っていった。




「わたくしは…かつて、裏の世界の予言者でした。」



「えっ…じゃあ、弐穂華様は…?」



「………あのお方は、わたくしを守るために予言者になったのです。」



伊穂華は悲しげに目を伏せると、弐穂華と自分の関係を話し始めたのだった。



「…わたくしは三年前、弐穂華様の仕事を行っていました。表向きは予言者ということになっていますが…本当はより強い契約者を出現させ、神風を倒すことが仕事なのです。」



「そうだったんですか…。だから、弐穂華様…。」



美奈子は何か思い当たることがあるように、ぽつりと呟いた。




「けれどある日、嫌になったんです。人を悲しませることしかできない仕事が…。だから、総主様…契約者を司るお方に申し上げたのです。わたくしは、もうこんなことは辞めたい、と。」



「………。」



「総主様は、それはそれは恐ろしい形相でわたくしを睨むと、『おまえは使えない予言者だ。…死ぬがよい。』そう冷たく言い放ちました。そして、わたくしに剣を向け殺そうとしたのです。」



「そんな…!ひどい…。」



「いえ…総主様が怒るのも当然です。わたくしが悪いんですから。…剣の先が鈍く光って胸元に近づいてくるのがわかりました。ああ、わたくしはもうすぐ死んでしまうんですね…そう思った時。『待て。』と背後から留める声が聞こえたのです。その声の主が…弐穂華様でした。」



伊穂華はそこで一度言葉を止め、ハーブティーを少しだけすすった。




「総主様はピタリと手を止め、弐穂華様を睨みつけて言いました。『何者だ、貴様は?』と。弐穂華様はすぐにお答えしました。『我は弐穂華。その者は我の姉だ。我が代わりを務める。だから、姉を見逃してくれ。』と。」



「兄弟だったんですか…弐穂華様と伊穂華さん。」



「いいえ、兄弟どころか、顔も合わせたけとは有りません。弐穂華というお名前も…偽名らしいのです。わたくしを助けるために、あの方は嘘をついたのです。」



今度は美奈子がコーヒーをごくりと飲んだ。




「総主様も、嘘だと見破っていたのでしょうね。嘘だとわかっていながらも…なぜかその条件を飲んだのです。すなわち、弐穂華様を新しい予言者として雇い、わたくしを見逃してくれました。ただし…」



「ただし…?」



「…わたくしは表の世界に追放。弐穂華様が妙なことをしたら、わたくしを跡形も無く消し去るという契約をさせて。こうして、わたくしはあの世界を追放され、あのお方が予言者として君臨しているというわけです。」



「………。」



美奈子は、返す言葉が見つからなかった。



(弐穂華様に、こんな秘密があったなんて…。)



三年間、弐穂華がどんな気持ちで予言者をやってきたかを考えると、何とも言えない気分になったからである。




「わたくしばかり、話してしまいましたね…。美奈子さん、次はあなたの話を聞かせてもらえませんか?わたくしへの質問でも構いませんよ。」



「私の話か質問、ですか…?」



「ええ。あなたは、わたくしが予言者だった者と知った以上、何か訊きたいことができるはずです。…話したいことがあるはずです。」



伊穂華は、柔らかに微笑んで言った。



美奈子は、じゃあ…と口を開く。




「裏の世界に帰る方法…教えてもらえませんか、伊穂華さん。私…どうしても会いたい人が居るんです。戻ってきて気づいた…私にとってかけがえのない人が。」



「かけがえのない人…。あなたはその方が好きなんですね。」



「………はい。いつもケンカばっかしてて、毒舌で冷たいけど…私のことを命がけで守ってくれる優しい人なんです。あの夜も…私を助けようとして…。せめて、無事なのかだけでも知りたいんです。」



「あなたの想い…十分伝わってきました。…鏡です。あちらの世界で右半月になる日に、鏡の前に立つのです。次の転移日は…明後日。時間は午後七時ですよ。」



美奈子は、本当ですかと目を輝かせた。




「ええ、ほぼ間違いないと思います。」



「ありがとうございます、伊穂華さん!」



「どういたしまして、美奈子さん。またこちらに戻って来たら…お話ししましょうね。」



伊穂華は美奈子とそう約束して、弐穂華と同じリン…という鈴の音を鳴らしながら、別れたのだった…。











二日後、午後六時五十九分。



美奈子は、自分の部屋にある大鏡の前に立っていた。



鏡には、決意に満ちた顔をした自分が映っている。



壁時計のチッ…チッ…という針の音だけが美奈子の耳に響いていた。



…まもなく、七時になる。




(きっと…吹雪は怒るだろうなあ。でも…私…会いたい。吹雪の声が聞きたい。側に居たい…。)



チッ…チッ…チッ…カチッ………。



長い針が、十二を指した。



その瞬間、




「あっ!?」



鏡から凄まじい風が吹き荒れてきた。



そして、




「きゃあ…!!」



鏡は美奈子の体をあっという間に吸い込んでしまった…。













………。



…………。



……………。




「うっ…痛たた…。ここは…裏の世界、リバーシア…?」



美奈子は起き上がると、辺りをキョロキョロと見回した。



そこは荒れ果てた大地。




最初に転移した場所かは定かではないが、裏の世界であることは確かだった。




「帰って来たんだ…私…。行かなきゃ…!」



美奈子は全速力で駆け抜けた。



吹雪へ会いたいと、その気持ちだけを胸に………。












ホーム、地下室。




「今日でもう一週間だよな…。吹雪は目覚めないし、美奈子ちゃんは帰っちゃうし…もうどうしたらいいんだよ…。」



長イスに座って、一人嘆く保の姿があった。



吹雪は、この一週間全く目覚める様子は無く、ベッドに横たわり続けていた。



モニターで見る限り、呼吸は平静で心拍数にも問題はない。



けれど、意識が戻ることは無かった。




「まあ、人間も動物さ。冬眠していると思えば、気にするほどのことでもないだろ?」



ドクター古葉はそう冗談混じりに言うが、保は心配で仕方がないようだった。



気分転換に出かけようという騎士の誘いを断り、今もこうして苦悩しているのである。




(やっぱり…美奈子ちゃんが居ないとダメなんだろうな…吹雪は。目覚めないんじゃなくて、目覚めたくねえのかもしんない…。)



「はあ…美奈子ちゃん…。帰ってきてくんねえかな…。」



保がそう言った時。



ピンポーン…とチャイムの音が音が鳴った。




「………?ナイトがわざわざチャイム押すわけねえよな…。」



保は、階段をタタッと駆け上がり、玄関のドアをカチャリと開けた。



するとそこには…




「はあ…はあ…保君!」



「み…美奈子ちゃん!?」



息を切らして美奈子が立ちすくしていた。




「お、おかえり。」



「たっ…ただいま。」



保と挨拶を交わすと、美奈子はホームの中へ入る。




「美奈子ちゃん…まぢで帰ってきたんだ…!俺…すっごく嬉しいぜ!」



「ありがとう…保君。えっと…吹雪は…?」



「…吹雪は、冬眠中だよ。美奈子ちゃん…起こしてやってくれよ…。」



「へっ…?」



美奈子は怪訝そうに眉を潜めながらも、保の案内に従い地下室へ足を進める。



「吹雪…!?」



地下室のベッドで眠る吹雪を見て、美奈子は目を白黒させた。



体にコードを繋がれ、ただ息をするだけの植物人間状態。




「吹雪!聞こえてるんでしょ…?返事してよ!!」



大声で話しかけても、体を揺さぶっても全く反応は無い。



スゥ…と穏やかな寝息が聞こえるだけだった。




「本当に…冬眠…してるみたい…。」



「うーん…美奈子ちゃんの声かけでもダメかー。お手上げだぜ…まったく。」



最後の希望も意味をなさなかったので、保はガックリと肩を落とし頭を抱える。



美奈子は、吹雪を見下ろして立ちすくしていた。




(一週間前…私が表の世界に戻った日…。あの日、吹雪は…。私の…せいなんだ…。)



「ちょいと…お二人さん。若いのに、なーにしけた顔してるのかい?」



「ドクター古葉…。」



保に名を呼ばれた古葉は、更に奥にある部屋から歩いてきた。




「…ああ、吹雪のことが心配で何にも手が付かないってわけかい。」



「吹雪がこんな状態になったのは…私のせいだから。元気なんて出るわけもないですよ…。」



「水野美奈子ちゃん…だったっけ。こんな話、知ってるかい?」



古葉の唐突な質問に、美奈子は不思議そうに彼女を見つめ返した。



保も、なんだ…と顔を上げて古葉に視線を移す。




「悪い魔女に眠らされた姫は、王子様の口付けによって目を覚ましました。めでたし、めでたし。」



「…はい?」



「ってことはさ、こんな話も有り得るんじゃないか?契約者に襲われて眠りについてしまった王子は、異世界の姫の口付けによって目を覚ましました。めでたし、めでたし…とか。」



「あの…意味がわかりませんけど。」



美奈子はやや呆れ顔で突っ込みを入れた。




「同じく…意味わかんねえし。ドクター古葉…あんた、どういう…」



「別に意味を理解しなくてもいいさ。…いい物あげるよ、美奈子ちゃん。」



古葉はツカツカと美奈子に歩み寄ると、彼女の手に白い錠剤を一つ載せた。




「これは…?」



「吹雪を目覚めさせる秘薬。…昨日、完成した試薬だけどね。必ず効くという保障はできないけど…使ってみて。」



保と美奈子にヒラヒラ手を振って、古葉は颯爽と奥の部屋へと戻って行った。



「…怪しさ百パーセントだな。」



「だよな…って、ナイト!?帰って来てたのかよ…!」



保の背後で発言したのは、騎士だった。



ちょっと前にね、と答えを返しながら、彼女は長イスに腰掛けた。




「話は聞かせてもらった。美奈子…、その薬を使うのか?」



「………うん。私…古葉さんを信じてみる。吹雪とまた話ができるなら…おとぎ話みたいなことでも、試してみたいの。」



騎士に言葉を返すと、美奈子は錠剤を口にポイッと入れた。



そして、




「美奈子ちゃん…。」



「………。」



保と騎士の二人が見守る中、美奈子は吹雪にそっと口付けをした。



錠剤がコロンと転がり、吹雪の口の中に移る。




「吹雪…目を覚まして。」



美奈子は吹雪から離れると、両手を組んでそう願った。



………吹雪は目覚めなかった。




「…はあ。そんな都合いい話、あるわけねえよな…。」



保が諦めムードでそう言った時。




「………美奈子…?」



眠り続けていた吹雪が、瞼を重たげに上げ呟いた。




「吹雪…!目が…覚めたの…?」



「ええっ!?まぢかよ…信じらんねえ…。」



嬉しそうに微笑んで駆け寄る美奈子と、口をあんぐり開けている保。




「…奇跡、だな。」



騎士が小声で断言するように言った。




「俺は…眠っていたのか?」




吹雪は上半身を起こし、数度まばたきをした。




「そうだよ…吹雪!寝坊するにも、程があるんだから…。」



「美奈子…おまえは、表の世界に帰ったはずじゃなかったのか…?」



「えっ…あ…わ、忘れ物したのを思い出して。また…帰ってきちゃった。」



美奈子はどきまぎしながら、吹雪の問いかけに返答する。




「なかなかいい雰囲気だな。」



「俺達は、退散すっか!」



「た、保君!騎士ちゃん!別にそんなんじゃ…」



騎士と保は美奈子の弁解を聞かず、ササッと階段を上がっていく。



地下室には、美奈子と吹雪の二人だけが残された。




「何を言ってるんだか…あいつらは。」



吹雪は額に手を当て、フウと深いため息をつく。




「う、うん…そうだよね。私と吹雪…仲良くないのにね。」



「………美奈子。」



「な、何よ…吹雪?」



「…おかえり。」



「えっ…?」



美奈子は全く予期しなかった言葉をかけられ、狐につままれたような顔をした。




「俺がそんなこと言うと、変か?」



「…ううん、変じゃないよ。ただいま、吹雪。」



眉を潜めて不機嫌そうに訊く吹雪に、美奈子はにっこり笑顔で返したのだった。













荒れ果てた大地、ホームから十キロほど離れた場所。




「伊穂華…そなたのことは、我が必ず自由にしてやる。待っていてくれ…。」



地面を見下ろして、呟く弐穂華の姿があった。



そうして、一分も経たない内に、弐穂華はまた歩き始めた。



リン…と鈴の音が響き、それは風に流されすぐに聞こえなくなったのだった…。










二人の予言者-了-

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