悪役令嬢と従妹の部活
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──悪役令嬢と従妹の部活
イリスがついに演劇部に入部したと円卓で聞いた。
かねてより体験入部していたとは聞いていたが、今度は正式に入部したそうだ。
「わー! やったじゃないか、イリス! お姉ちゃんもイリスが勇気を出してくれて嬉しいよ!」
「ま、まだ入部しただけですから」
いや。イリスが円卓とかクラスとか小さな輪に留まらず、外に向けて踏み出してくれただけでお姉ちゃんも嬉しいよ。
「最初は何するの? やっぱりイリスがヒロインだよね?」
「それがまずは中等部の学生で劇をするそうなのです。それで中等部の学生がどれだけ演技できるか把握したら、高等部の先輩方と一緒に劇をするそうです」
「ふむ。試験的なものがあるんだね?」
演劇部っての試験って具体的にどんなことするんだろう。
「なんでも文化祭の劇を見て、大勢の入部希望者が殺到したそうで。実を言うと私も同じような口なのですが……」
あー。ラインヒルデ君目当てかー。
「なら、競争は激しそうだね。イリスも頑張らないと」
「はい。でも、何をしたらいいのでしょうか……?」
「それはー……。私もちょっと分からないな……」
演劇って具体的にどういうことすれば上達するんだろう。
「けど、イリスなら実力でどうにかできるよ! イリスは可愛いし、ヒロインのオーラを纏っているからね!」
イリスほどのヒロイン的オーラを放っている人物と言えば、エルザ君ぐらいである。この世界の選んだヒロインと同格のイリスならば、演劇部でヒロインの座を得ることぐらい容易いはずである!
「そ、そうでしょうか。私はいまいち自信がないのですが……」
「まずは自信を持つところから始めよう。イリスは人前で喋ることができるって自信を持つんだ。舞台では大勢の人に向けて言葉を発するわけだからね。自信をもってはきはきとセリフが言えるようにならないと」
「そうですね。自信が必要ですね!」
まあ、私は演劇の素人なので言えることと言えばこれぐらいなのだ。
「自信を持つためにもいろんな人と会話しようね。それで自信は付くはずだよ」
「いろんな人……。私がよく話すヴェルナー様やディートリヒ様、あるいはヴェラさんたちではダメでしょうか?」
「うーん。それだと微妙に内輪だから、知らない人と話す助けにはならないかも」
友達と円卓の仲間では微妙に勇気が付くような感じではない。
「とりあえず、イリスは自信を持って! イリスは魅力的な子だから、後はちゃんとセリフを喋れて、演技ができればパーフェクトだって! 頑張っていこう!」
「は、はい!」
私はイリスがヒロインになるって確信してるよ! だって、こんなにイリスはヒロインに相応しいオーラを放っているんだもの!
「演劇部は今日も練習とかあるの? それなら私、見学にいくよ!」
「ええ。今日も練習があります。私は端役ですが舞台に上がる予定です」
イリスが端役だと! そんなの許せるわけがない! ヒロインはイリスだ!
「ちょっとお姉ちゃん、演劇部の人に文句言って来るね。イリスがヒロインじゃないとか許されざることだから。イリスはヒロインの座を得て、ヒーローと活躍するんだよ」
「い、いえ。そこまでしていただかなくとも……。端役とは言えど、物語の上では重要な役割ですから。一生懸命、演じてみせますよ」
イリスは健気だな……。
だが、私は諦めないぞ。イリスにはヒロインをやって貰うんだ。学芸会で木の役とするイリスとか見たくないからね!
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「すみませーん。ここって演劇部の部室であってますか?」
「そうですよ。ここが演劇部の部室です。何が御用がありますか?」
私も迎えてくれたのは感じのよさそうな女子学生だ。
「ちょっと中等部の学生の演劇についてお話があるんですけれど」
「中等部の演劇ですか?」
「そうです。なんでも中等部の学生で演劇をするんですよね? そのことについてお話ししたいんですけど」
私の言葉に演劇部の学生か首を傾げる。
「是非ともイリスをヒロインに配役して貰いたいんですけど!」
「そ、そうは言われましても。急に配役を変更するのは……」
「そこをなんとか! 一度だけでもいいですから!」
何としてもイリスをヒロインにして欲しいんだ!
「無理ですよ。既に配役が決まって、これから練習するところなんですから」
「……どうしてもダメですか……」
「はい。まず無理です」
そうかそうか。ならやむを得ないな。
「ここにナイフがあります」
「あ、ありますね」
私がポケットから急に折り畳み式ナイフを取り出すのに、演劇部の学生が戸惑う。
「これには種も仕掛けもございません」
「ないんですか」
ないのである。
「このナイフを私の手平にぐさーっ!」
「ぎゃー!」
そして、私は無造作にナイフを自分の手の平に突き立てた!
「もう1回ぐさーっ!」
「わーっ!」
もう1回突き立てる。
「それでイリスをヒロインにしてくれますか?」
「いえ。ですから、もう配役は……」
「ぐさーっ!」
「うわーっ!」
見よ。我が捨て身の交渉術を。
「わ、わかりました! 分かりましたからもうやめてください!」
演劇部の学生が悲鳴を上げるようにそう告げるのに、私は血塗れのナイフを拭うと、ブラッドマジックで傷口を治癒する。
「イリスをヒロインにしてくれます?」
「か、考えておきます。自分だけでは決められないので」
「もう1回……」
「やめて!」
私がナイフを構えるのに、演劇部の学生が悲鳴を上げた。
「ともかく、自分だけでは決められませんので! 先輩方にはイリスさんをヒロインにしてはどうかと告げておきますので! だから、ナイフでぐさーっはやめてください!」
「約束してくださいね?」
ふう。お姉ちゃんが体を張って、イリスの晴れ舞台を確保したよ。
後は頑張れ、イリス!
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というわけで、イリスがヒロインの座に就いた。
イリスはどういうわけなのかと首を傾げていたが、事情は話さないでおいた。私は自分の功績を誇らないのだ。知られたらイリスに失望されそうだからとかいうわけではないのである。本当に。
「イリス! ヒロインの練習は進んでるかい!」
「なかなか難しいです、お姉様。本当に役を演じ切ることができるのか……」
イリスは円卓で台本の暗記を行っている。
演じる劇は“アウグストゥス”。
劇のあらすじは竜退治を職業とする男アウグストゥスが、ある日一匹の竜を見逃すところから始まる。その後、アウグストゥスの下にひとりの若くて美しい娘が現れる。その娘はアウグストゥスに仕えさせて欲しいと申しで、アウグストゥスはそれを了承する。
この後、なんやかんやあってアウグストゥスと娘は恋仲になるのだが、ある日娘の瞳がドラゴンのそれになっていることにアウグストゥスが気付く。アウグストゥスが問い詰めるのに、娘はいつの日か見逃して貰ったドラゴンであると告げ、正体を顕す。
そして、アウグストゥスは泣く泣くドラゴンとなった娘を退治し、自分も後を追うのであった。
……なんというかエクストリーム鶴の恩返しという感じだ。
イリスはヒロインの竜の娘を演じるわけだが、この役は難しいそうである。何せ、ドラゴンの誇りと娘の健気さの両方を演じ切らなければならないのだ。変身ヒロインは難しいのだな。
「イリスならやれるよ! 今日は演劇部の練習はあるの?」
「は、はい。配役も変わりましたので、追い付くために練習が」
ちなみに本来ヒロインを演じるはずだった子は、よりによってヴェラの取り巻きだったので罪悪感は皆無である。連中、どさくさに紛れてイリスと一緒に入部しやがって。変態ストーカーはどこか行って! 今すぐどこか行って!
「じゃあ、今日の練習を見学に行くね! 私も応援するよ!」
「そうですか。嬉しいです!」
イリスがヒロインだもんな。見ないわけにはいかないぜ。
「おや。イリス嬢は演劇部に入部されたのですか?」
「は、はい、殿下」
げっ。イリスと一緒になごんでたら、でてきたよフリードリヒが!
「アウグストゥスですか。いい劇ですね。悲劇として名高い」
「そうですね。台本を読んでいても泣きそうになります」
くうーっ! フリードリヒの奴がイリスと楽し気に会話している! 許すまじ!
「劇のお披露目はいつですか?」
「正式な披露は来月です。今日は練習がありますが」
「見学させていただいてもいいでしょうか?」
「え、ええ。ですが、練習ですので……」
フリードリヒ! 迷惑なんだよ! 分からないのか!
「それでしたらヴェルナー様とディートリヒ様もご一緒に来ていただけませんか……? その、よろしければですけれど」
「構いませんよ、イリス先輩」
おや。ここでイリスがヴェルナー君たちを。
ああ。そうか! 私とフリードリヒが観客席でふたりきりになるのを防いでくれているのか! なんで優しい子なんだイリスは! 助かるよ!
けど、イリスはやっぱり私とディートリヒ君をくっつけようとしているのだろうか。それは微妙に困るのであるが。ディートリヒ君はまだ小学生だし、身長も私より高くないしな。ちょっとストライクゾーンからずれてる。
「では、今日の放課後に第1体育館でお会いしましょう」
イリスがそう告げて、私たちはあれこれとあったがイリスの劇を見学しに行くこととなったのだった。
はあ……。それにしてもフリードリヒめ……。あの野郎は私とイリスの大事な時間までもを邪魔するというのか……。
というか、エルザ君とはどうなってるの? ちゃんとルート入ってる? ちゃんとエルザ君攻略しないと許さないよ?
いや、攻略するのはエルザ君だ。エルザ君ー! ちゃんと攻略してー! この核地雷を処分してー! なるべく急いでー! 私の精神が持つ間にー!
だが、私の心の叫びにエルザ君が答えることはなかった。
虚しい。
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