悪役令嬢は狩りに行く
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──悪役令嬢は狩りに行く
「パウル! 今日は絶好の狩り日和だな!」
「ああ。大物が獲れそうな予感がするぞ」
お父様の友人である軍務大臣閣下の領地にある狩場には、この国の大臣たちが集まっていた。郵政大臣であるお父様、大蔵大臣である痩せた初老の男性、内務大臣である神経質そうな中年の男性、そしてエネルギッシュなおじ様という軍務大臣閣下。
そして忘れてはならないのは、宮廷魔術師長であるフィデリオ・フォン・フラウンホーファー伯爵閣下だ。この人には将来、お世話になることだろう。いろいろと。そう、いろいろと。
「しかし、今日は家族連れなのですね。そういう趣向は嫌いではありませんが」
「ああ。私の娘のアストリッドが是非とも狩りに参加したいというのでな」
内務大臣閣下が告げるのに、私はお父様の横に行って、貴族らしいスカートをちょいと上げた挨拶をする。
「パウルの娘も大きくなったな。昔は片手に乗るぐらいだったのに」
「そんなには小さくはなかっただろう。子猫じゃないんだぞ」
軍務大臣閣下が哄笑し、お父様も笑う。
片手に乗るほど小さかったら大変だよ。未熟児過ぎるよ。
「アストリッド嬢は狩りに参加すると?」
「ああ。危なくないように私が見ておくが用心しておいてくれ。どこから矢が飛んでくるか分からないぞ?」
内務大臣閣下が感心したようにそう告げ、お父様がまた笑う。お父様、かなり上機嫌なのはいいけれど、私はそこまでノーコンじゃないよ!
「何にせよ、若いものが参加してくれるのはいいことだな。爺ばかりでは華がない。私の娘などはドレス選びばかりしておって、こういう催し物は避けるしの」
「そうですね。私も息子を誘ってみたのですが、次の試験で忙しいといわれて断られてしまいましたよ」
最年長の大蔵大臣閣下とフラウンホーファー伯爵閣下がため息を吐く。
どこの家庭もそんなものなのだろうか? それともリップサービス? お母様の読心術を早く身に着けたいところである。
「それにしてもアストリッドちゃんはもうこんなに早くから魔術の勉強を始められているそうですね、パウル?」
「ああ。どうしてもと言って聞かなくてな。ヴォルフに頼んでいるよ」
フラウンホーファー伯爵閣下が私に興味を示すのに、お父様がそう返す。
「ヴォルフ? ヴォルフ・フォン・ヴランゲルか? あれは有能だ。直に試験に合格して宮廷魔術師になるか大学の職に就くだろう。いい家庭教師を選んだね。これはアストリッドちゃんも将来は宮廷魔術師かな?」
「いえいえ。そこまで有能な魔術師になれるとは……」
謙遜してるけど、なっちゃうかもね。宮廷魔術師になれば、将来は安泰だし、魔術の研究し放題だし。夢のような生活が送れそうだ。
「馬鹿なことをいうな、フィデリオ。宮廷魔術師なんてなったら嫁の貰い手がなくなってしまう。もっと華やかな職業について貰わなければ。というよりも、もっと早く嫁の貰い手を見つけなければならん」
お父様、結婚を考えるのはちょっと早すぎません? 4歳児ですよ?
「急ぎすぎですよ、パウル。まずは学園に入って、魔術を本格的に勉強してみなくては。彼女が優秀なら是非とも宮廷魔術師にスカウトしたいですね」
そうそう早すぎ、急ぎすぎ。
「ところでアストリッドちゃんは魔術はどこまで習ったんだい?」
「ええっと。魔力制御とエレメンタルマジック4種の制御とブラッドマジックに関しては身体制御と治療技術まで。今は物質中の魔力の流れを制御するのに適した素材はないかとヴォルフ先生とディスカッションを」
まあ、今はせいぜいこんなところだ。
「そ、そんなに? そこまで教わってるの? それって学園の高等部越えて、学士課程に片足突っ込んでるよ……?」
フラウンホーファー伯爵閣下がひきつった笑みで私を見てくる。
「うちの子は魔力が高いからな」
「それで説明がつく話じゃないですよ、パウル。魔力制御は初等部から高等部にかけてゆっくりと習熟していき、エレメンタルマジックは4つの精霊を従えるのに4年。ブラッドマジックは中等部からようやく解禁。物質中の魔力の制御に適した素材って学士、いや博士号の論文より高度ですよ」
あれ? そこまで進んでたの? ヴォルフ先生の教え方がいいからかな?
「アストリッドちゃんは50年に1度の逸材ってところだね。これは是非とも宮廷魔術師になって貰わなければ」
「宮廷魔術師にだけはさせんぞ、フィデリオ」
お、お父様の目が本気だ!
「お父様、先の話ですから。これから何があるか分かりませんから」
「それはそうだが、宮廷魔術師だけはならんぞ」
そこまで反対されるのは困るなあ……。
「宮廷魔術師ってそんなに地味なんですか?」
「そんなことはないよ。このプルーセン帝国を支えているのは宮廷魔術師たちだ。生活の質の改善から国家の基盤となる国防まで、あらゆることに関わる魔術を開発しているのが宮廷魔術師なんだから」
ふむ。研究機関的な存在なのかな。地球だったら研究機関に就職なんてエリートっぽいけどな。お父様は何が嫌なのかな?
「だが、集まるのは下級貴族ばかりじゃないか。うちの子にはいいところに嫁に行って欲しいんだよ。公爵家令嬢だぞ。同じ公爵家と結婚するのがもっともいい」
ああ。お父様は家柄を気にしているのか。それは魔術の才能があれば、誰でもなれて将来安泰な宮廷魔術師は下級貴族が成り上がるのにはもってこいの職業だよね。そりゃ公爵家令嬢を出会いのない職場には送れませんか。
「そういえば、学園には今度フリードリヒ皇子殿下が入学されるそうだな?」
「ええ。アストリッドちゃんとは同学年になられますね。こちらも殿下の受け入れ準備で大わらわでしたよ。教師陣も再審査して、危険思想を持った人間がいないかって。これは内務大臣のお仕事でもありましたね?」
げっ。フリードリヒか。
私の破滅の要因になりえる連中のひとりが同学年。嫌だなあ。やだなあ。
「フラウンホーファー伯爵閣下。質問があります!」
「何かな、アストリッドちゃん?」
私は破滅に向かいゆく運命を避けるべく手を伸ばす。
「学園って飛び級ってできます? 私、魔術の成績には自信があるんですけど」
そう、一緒にいたくなければ逃げてしまえばいいのだ。バイビー、フリードリヒ! ヒロインとお幸せに! 私には関わらないでね!
「飛び級は認めてないなあ。他の貴族の面子にもかかわるから」
「がーん……」
畜生、フリードリヒ。私にそこまでしてしがみ付くか。
「アストリッド。せっかく殿下と一緒の学年になるんだ。殿下とお付き合いできるように頑張ってみてはどうだい?」
「え?」
何その最低の提案。
「わ、私のような魔術馬鹿では殿下には恐れ多いですよ。遠慮します!」
「何。公爵家令嬢ともなれば家柄も問題ない。魔術の才能に長けているというのも、殿下は高く買ってくださるかもしれないぞ」
やめてー! 私をバッドエンドに誘導するのはやめてー!
「そ、それより、狩りに行きましょう、狩り! 熊とか仕留めましょう!」
「熊は流石に無理では……」
私は強引に話題を逸らし、私をバッドエンドに導こうとするお父様を口にチャックしたのだった。
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「ふむ。狩りではクロスボウを使うのですね」
強引にお父様たちを狩りに誘導した私は、あまり慣れない武器を手にしていた。
クロスボウだ。機械弓。
「これはこうやって使うんだ」
お父様が使い方のお手本を。クルクルと滑車を回して弦を巻き上げる。そこに矢を装填して、レバーを引いて放つ。実にシンプルだが、時間はかかるし、巻き上げるのが意外に力が必要だ。
「結構、力が要りますね、これ」
「子供には難しいかもしれないな」
お父様は自慢げだ。こういうところを褒めればいいのかな?
「流石はお父様ですね! 私には難しいです!」
「そうだろう、そうだろう。私がやってやるから貸してみなさい」
おっ。いい反応だ。好感度アップだな。
「この森はシカが多く暮らしている。化け物のように大きなものもいるぞ。池の方に行けば鴨もいる。ここは森の恵みが豊かな狩猟場だ。」
「だが、魔獣はいないから安心したまえ。冒険者に定期的に魔獣狩りをさせているおかげで近づくものはない。余程馬鹿じゃない限りな」
なら、安心して狩りができるな。
そして、危険がないならば、お父様たちからこっそり離れて、生きた目標相手にショットガンの試し撃ちも。ふへっ。
おっと。なんだか今のはサイコパスっぽかったぞ。でも試し撃ちができるなら、それに越したことはない。ゴム弾は哀れな家畜泥棒たちを相手に試したけど、スラッグ弾はまだテストしてないしな。
「さて、アストリッド。シカは頭か首を狙わないといけないから難しいぞ。かといって鴨やウサギは的が小さくて当てるのが難しい。猟はそう簡単にはいかないぞ。だが、私が見ていてやるから安心するといい」
「う、嬉しいです、お父様」
うっ。抜け出す隙はないかもしれない……。
「獲物を見つけるのには猟犬を使う。うちで飼っているカイも立派な猟犬だぞ。カイはいい子だから、すぐに獲物を見つけてくれる。仕留めた獲物を押さえておいてくれるのもカイの仕事だ」
「カイを連れてきてたのってそういう理由からだったんですね」
うちにはカイという大型犬を飼っている。私はそこまで犬好きではなかったんで、最初は警戒していたが、割となつっこいので親しみを感じていたところだ。大型犬ほど吠えないっていうけど、本当にカイは静かな犬だ。しかし、猟犬だったとは……。
「さあ、獲物を探そう。今年のシーズンは獲物に恵まれているかな?」
私たちは大臣閣下方が連れてきた猟犬と共に森を進む。
猟犬たちを引き連れて黙々と森の道を進む。
「アストリッド。疲れていないか?」
「大丈夫です。ブラッドマジックで身体能力ブーストしてるので」
こんな山道を4歳児が何時間も歩けるわけがない。そこはブラッドマジックを駆使して、身体能力ブーストを行い、持久力と共に野道を進む準備を整えておいた。ブラッドマジック万歳。これは便利だ。
「その歳でブラッドマジックを自在に行使できるとは……。ちなみに、体内の監視は必ず行っているのですよね?」
「はい。ヴォルフ先生から真っ先に教わりました」
着々とフラウンホーファー伯爵閣下の関心を引きつつあるぞ。例外として特別に飛び級させてくれたりしないかな。やっぱり無理かな。
そんなことを考えていると、カイが東の方向を向いて、唸り始めた。早速か?
「シカが見えるな。それも群れだ。これは絶好の機会だぞ」
お父様たちは姿勢を低くし、シカの群れに近づいていく。獲物に気付かれないように静かに、静かに。シカの群れはお父様たちには気付かず、お父様たちは着実に獲物に迫りつつある。
私もクロスボウを手に、シカに迫る。
シカは急所を一撃で仕留めないといけないらしい。理由は不明だが、何かの理由があるのだろう。なので私はシカの急所を探りつつ進む。
だが、クロスボウの射程ってどのくらいなんだろう。100メートルは飛ぶのかな。いや、そこまで遠くには狙いを定められないはずである。確か40メートルかそこらだったはずである。クロスボウは現代兵器じゃないから能力を知らない。
だが、待てよ。将来、この国を相手に戦争することになったら、相手は弓矢やクロスボウを使ってくるはずである。その際にどれほどの距離ならば安全なのかを知っておくのは必要だろう。
そこで私はお父様方に混じりながら、クロスボウの性能を見定めるのだ。
「行くぞ」
お父様が小声でつぶやき、私はクロスボウをシカに向ける。
「いざ」
次の瞬間、お父様方の矢が放たれた。
私もレバーを引いて、矢を放つ。矢は巧い具合に──当たらなかった。
クロスボウの使い方がいまいち分からず、私の矢は明後日の方向に飛んでいった。
それに対して、お父様たちは3頭のシカを仕留めていた。
「やるな、パウル。だが、俺の腕もなかなかだろう?」
「ああ。流石は軍務大臣だ」
お父様と軍務大臣はシカが逃げていくのにそう言葉を交わす。
「流石はお父様です!」
「いや、これぐらいは容易なことだ」
分かったことはクロスボウを命中させるには40メートル程度の距離が必要であるということ。そして、狙うのは今の私には難しいということだ。
何せクロスボウときたら照準器も付いていないし、矢は風の影響を受けやすくて横に流れるし、反動は銃と違って初めての感覚だしで、素人の私が狙った獲物を狙うのはまず無理だ。
よくお父様たちは狙った獲物に命中させられたものだ。
だが、射程距離40メートルの武器ならば相手にならないな。こっちの自動小銃の射程は300メートルから400メートルだ。それならアウトレンジから一方的に殴りまくることが可能だ。
勝ったな。
「アストリッドはまだクロスボウには慣れないか。それでは獲物を仕留めるのは難しいだろう。これにはコツがあるんだぞ。教えてやろう」
「はい、お父様!」
武器を扱うのは嫌いじゃない。それがたとえクロスボウでも。武器と名の付くものは大好きだ。ただ、剣や槍とかは興味ないかな。そこまで原始的になると、面白みがないって感じちゃうんだよね。
……というわけで、お父様から私はクロスボウのコツを教わった。
「えいっ!」
ブラッドマジックを使うのは最小限。あくまでお父様から教わった技術で獲物を仕留められましたってことにしないと、好感度アップにはつながらない。私はお父様から教わったいろいろなコツを意識しながら、野ウサギを狙う。
ヒット!
「おおっ。野ウサギを仕留めるとはなかなかだな」
「えへへ。これもお父様にコツを教わったおかげですよ!」
お父様を讃えよー。讃えよー。
「野ウサギはシチューにでもするか。お前の狩った獲物だ。持っていなさい」
「はい。お父様」
ここで血抜きして皮を剥いで骨を取ってシチューにしてもいいんだけど、一般的な公爵令嬢はそういうことはしないので、私は腰のベルトに野ウサギの足を紐で結び付けておいておく。
ちなみにさっきお父様たちが仕留めたシカは使用人さんたちが処理しに行った。
「おっ。向こうにもシカの群れがいるぞ」
「おお。あの角は実に立派だな……。剥製にして飾れば客人たちを驚かせることができるだろう。是非とも仕留めたいな」
おや。お父様たちは新しい獲物に夢中だ。お父様も私から注意が逸れている。これはチャンスかもしれない。
私はこっそりと抜け出し、森の中で獲物を探したのだった。
…………………
次話を本日21時頃投稿予定です。